時代劇と経済を通じて江戸時代のことが身近に感じられるようになる『エドノミクス〜歴史と時代劇で今を知る』。著者のエコノミスト飯田泰之氏と、時代劇研究家の春日太一氏は高校の部活の先輩後輩だ。

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水戸黄門、暴れん坊将軍、忠臣蔵、新選組――
江戸時代といえば、時代劇や時代小説、落語などを通じて、われわれにとっても馴染みの深い時代。エンターテイメントとしてあまりにも馴染みがあるため、ついついフィクションの中の世界と思いがち。でも江戸時代は実在したし、そこには生活があり、それにともなう経済が存在したのだ。

そのことを再認識させてくれ、江戸時代を、そのエンターテイメントをより面白く身近にしてくれる本が発売された。

『エドノミクス〜歴史と時代劇で今を知る』(扶桑社)。
著者はリフレ派の論客として20代の頃から10年以上論陣を張ってきた人気エコノミストの飯田泰之氏と、『天才 勝新太郎』・『あかんやつら』などのヒット作で一躍有名になった時代劇研究家の春日太一氏だ。

同じ高校の部活の先輩後輩でもある気鋭の二人がタッグを組み完成した本書は、江戸時代を経済の観点から読み解く飯田氏のコラムと、時代劇の描かれ方に潜む批評性を紐解く春日氏のコラムと、二人の対談から構成されている。

「僕も春日くんも歴史考証にがんじがらめになると、エンターテイメントとしての時代劇はつまらなくなってしまうと思っています。でも簡単な時代の雰囲気は皆さんと共有できたら嬉しいなと思って書きました」

先輩にあたる飯田氏が、執筆意図について話してくれた。

「たとえば1820年代の江戸はバブル景気だったとか、逆に1840年代末から50年にかけてから世の中はかなり暗かったんです。そういうことがわかっていると楽しむ時の姿勢が異なってくると思います」

江戸時代といえば、悪代官がいつも私腹を肥やして、農民が万年困窮しているものと思い込んでいた身からすると、好不況があるというだけでも目からウロコだ。

経済という観点から切り取るだけで、江戸時代をグッと現在の私たちの生活に引きつけて感じることができるようになるのだ。

たとえば名君と呼ばれる徳川吉宗は、初期の経済政策では質素倹約により支出を減らしたと習った人も多いと思うが、本書ではそれを「完全にデフレ政策」(飯田氏)と今日のニュース用語でズバッと説明してくれている。それだけで当時の時代の空気感を身近なものとして感じることができる。

話は少し逸れるが、景気の悪いときにデフレ政策をとった吉宗は、現在の価値観でいうなら経済オンチだったということなのだろうか?

「確かに豆腐価格が高騰しているからといって、江戸市中の豆腐屋を集めて無理やり大幅に値段をさげさせたのは経済の実態がわかっていなかったからかも知れません。しかし必ずしも経済オンチとは言えません」

吉宗は徐々に政策方針を転換し、就任20年目には小判の金含有量を減らして流通量を増やす、いわば金融緩和と呼べる政策を施行する。そのことが吉宗の名君の誉れに一役買ったのではないかと飯田氏はいう。小判の金含有量で通貨供給量(マネーサプライ)をコントロールするというのは、かなり高度な金融技術であり、西洋では経済学の父と呼ばれるイギリスのアダム・スミスが生まれてさえいなかった時代にそれだけ尖端の金融手法を使っていたというのだから驚きだ。

「中国ではかなり前から同様の金融技術が知られていたので、資料的な裏付けはありませんが、当時の官僚もそうしたものを学んでいたのでしょう」

また飯田氏は吉宗が将軍時代の金融引締から、真逆の緩和に方針を転換したことにも注目する。

「経済に関する思想は人の根本的思想と結びついていますから、一人の人間の中で大きく変わることは通常ありません。しかし、吉宗は将軍職としての権力を徐々に高めるとともに、大岡忠相や松平乗邑といったブレーンを上手く使いこなして、それまでとは真逆の政策に舵を切っています。吉宗は(将軍家出身ではない)外から呼ばれた将軍だっただけに、就任当初は気を遣って新井白石の影響を受けた前政権からのやり方を踏襲しようとしたと考えるのが合理的な解釈だと思います」

そう考えると吉宗は経済オンチではないものの、「暴れん坊将軍」的な豪快で庶民派の顔とは別に、新しく飛び込んだ組織の中で必死に立ち位置を固めようとする泥臭い人間らしい一面を持つ人だという風に想像することもできてくる。

経済的見方を加えるだけで、知っているつもりの人物や事柄が立体的に膨らんでくるのが面白い。

飯田氏の経済的観点に春日氏の批評的時代劇論を合わせると、時代劇という存在自体が新たな魅力を帯びてくる。そしてそれこそが二人の著者が意図するところだという。

「僕と春日くんの共通の危機感として、このままでは時代劇というジャンルがなくなってしまうのではないかという思いがあるのです」

京都の撮影所で長期に渡り撮影することの多い時代劇はコスト高になりがちな上、出演者への負荷も高い。そのため本数も減り制作ノウハウの継承に断絶が生じ始めている。
われわれが慣れ親しんで育った時代劇がなくなってしまうかも知れないのだ。

時代劇ファンならずともそれは寂しすぎる。まずは本書を読んで、観客として新たな時代劇リテラシーを育むところから始めてみるのがいいのかも知れない。
(鶴賀太郎)