『重版出来! 』3 松田奈緒子/小学館

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松田奈緒子のコミック『重版出来!』は、マンガ雑誌「バイブス」編集部を舞台に、コミックの「重版」を目指す新人女子編集部員・黒沢の奮闘を描く物語だ。少し前になるが、待望の3巻が発売された。

3巻の軸は、プロを目指す漫画家の卵たちと編集者のかかわりについての話である。

マンガ雑誌の編集部には「持ち込み」という制度がある。文字通り、漫画家の卵たちは自作を編集部に持ち込み、編集者にアドバイスをもらう。そのときの編集者が担当編集者となってマンツーマンで漫画家を育て、デビューに至るというシステムだ。

早くこれがしたい黒沢は、BL作品の持ち込みをしてきたプロ志望の女子大生・東江(あがりえ)と出会う。手に手をとってデビューを目指す2人だが、東江は今風の絵を描くことはできてもストーリーを上手く作ることができず、なかなかデビューできずにいた。プロ志望者にありがちな、「ネームで悩む」という壁にぶち当たっていたのだ。

そんなとき、東江の絵に目をつけたのが「バイブス」の先輩編集者・安井だった。安井は作家を育てることに興味を持たず、仕事よりもプライベート優先。その一方でメディアミックスを巧みに使い、売れそうな原作と自分の言いなりになる新人作家を組み合わせて数々のヒット作を生み出してきた。作家を使い捨てにすることから、「ツブシの安井」という異名を持つ。

揺れ動く東江。新人編集者の黒沢に、自分をデビューさせるだけの編集者としての技量があるかどうかはわからない。安井は実績十分のうえ、原作つきで連載のチャンスをくれるという。魅力的なメディアミックスのおまけつきだ。はたして東江の決断は……?

「重版」は誰のために行うものなのか?

さて、これのどこが「重版」をめぐるお話なんだよ! と思う人もいるかもしれない。たしかに「仕事への取組み方」「仕事のパートナーへの接し方」についてのお話のようにも読める。実際、作中では若手の出版人たちが作家を使い捨てにする安井の仕事ぶりを「汚い」と批判し、「なんのために仕事するか、だよな」と結論づけるシーンがある。

しかし、一ライターとして、重版についてチマチマと研究してきた筆者にとって、この3巻は大変シリアスな重版をめぐる話だと感じるのである。なお、エキレビ!でもおなじみ米光一成さんと一緒に重版について27000字分も考えた「どうすれば重版するのか?」を こちらで販売しております。『重版出来!』の話題も出てきますので、興味ある方はぜひ。

3巻には、黒沢の信頼する昔気質の先輩編集者・五百旗頭(いおきべ)が新人作家をデビューさせるエピソードが挿入される。

五百旗頭が黒沢に見せるのは、デビューする作家の単行本の「原価計算表」だ。単行本化にかかる紙代や印刷費などを記したもので、編集者なら誰もがよく知る表である。編集者は原価計算表で収支を計算するのだが、装丁などに凝りすぎてコストをかけすぎると、重版してもあまり儲からないという現象が起きる。当然、重版はかかりにくい。

重版がかからないということは、出版社が「あの作家の本は売れなかった」と烙印を押すということだ。そうなると作家に「次」はない。五百旗頭は黒沢にこう語る。

「こと、新人に限っては絶対に――重版がかかりやすい本の設計をしろ。作家の可能性にキズをつけるな」

重版がかかれば、会社の利益になる。しかし、それだけではない。
五百旗頭は、会社の利益とともに、作家のために重版をしようと考えているのだ。

スマートに利益をあげる出版のユニット化

一方、安井が重版のことを軽んじているわけではない。
実際、東江が胸ときめくほどのヒット作をものにしている。
しかし、安井は黒沢に「こっちが欲しいのは彼の作品じゃない。売れる作品なんだよ」と言う。
「なんのために仕事するか、だよな」と問われたら、安井は即座に「会社の利益のためだよ」と切り返すだろう。

安井は作家を、作品をつくるためのユニットと捉えている節がある。
つまり、外注先、取引先だ。
デビュー以前、新人未満の作家に対しても、仕事をする前からギャランティーも含めた諸条件を完璧に明らかにする。「漫画家と編集部は取引先の関係です」とも明言している。
その代わり、具体的なアドバイスは行わない。なぜなら、ある程度描ける作家をスカウトしているからだ。締切どおりに上がってきた作品はスルー。ただし、メディアミックス先の芸能事務所チェックには忠実に従うので、一気に全部描き直しということも起こる。

繰り返しになるが、安井が重視しているのは、会社にとっての利益のみである。
逆にいえば、利益さえあがれば重版にはこだわらないだろう。
たとえば、映画化による利益がもたらされるのなら、それでいいと考えるはずだ。彼は「バイブス」のアイドルの写真ページも担当しているので、芸能事務所との円滑な関係を維持するためだけに作品を使うケースだってあるかもしれない。
一方、作家に対しては前もってギャランティーを伝えてあり、作家はその条件を飲んでいるのだから、重版しようがしまいが、まったく問題ないと捉えているはずだ。
納期どおりに作品をつくり、着実に利益をあげる。実にスマートな方法論である。

誰だって重版はしたい……それは本当なのか?

これは善し悪しの問題ではない。
出版界全体の中で、五百旗頭や黒沢のような考え方の編集者と、安井のような考え方の編集者、両方いるということだ。
個人的には、前者が減り、後者が増えていると感じる。
ある企画に関しては前者、ある企画に関しては後者というように、一人の編集者の中で両者が同居している場合もあるだろう。

小説家や漫画家のような世界では、まだ「担当編集者と作家」という関係性がしっかりと成立しているのかと思っていたのだが、漫画の世界を舞台にしたこの作品でこういうテーマが描かれるということは、やはり大きな変化が起こっているのだろう。

出版にかかわる者なら、重版は誰だってしたい。
多くの人はそう考えていた。
しかし、たとえば、書き手のギャランティーを含めた原価率を極端に抑えたコスト構造を成立させれば、重版しなくても利益を得ることはできるようになる。
在庫リスクを抱える重版は、出版社にとってギャンブルだ。
ならば、出版社と編集者からしてみれば、重版にこだわる必要はなくなる。
100万部を目指すなら重版をするだろうが、数千部の本をたくさん出して確実に利益をあげる方法だってあるのだ。

「担当編集者と作家」という古来の価値観と、スマートに商品を作って利益を上げるための出版のユニット化。一体、どちらが正しいのか? それとも別の道が示されるのか?
興味のある方は、ぜひとも『重版出来!』3巻と続巻に注目されたい。
(大山くまお)