ドラマチック春競馬(2)

数々の名フレーズを残して、競馬実況の「神様」とも言われた、元関西テレビアナウンサーの杉本清氏。3歳春のクラシックにおいても、マイクを通して数多くの名場面を見てきた同氏に、春の競馬シーズンを迎えると思い出す「名馬」について語ってもらった。

 待ちに待った3歳クラシックがいよいよ始まりますね。4月13日には、その第1弾となる桜花賞(阪神・芝1600m)が行なわれます。桜花賞は、自分が正式にメイン実況を任された最初のレース(1969年)。その後、1987年まで担当しましたから、とても思い入れが深いです。

 桜花賞を含めた牝馬クラシックの中で、もっとも印象に残る一頭と言えば、やはり1975年の勝ち馬、テスコガビーですね。もう40年近く前の話になりますが、テスコガビーは桜花賞を大差の逃げ切り勝ち。続くオークスでも8馬身差の圧勝と、まさに規格外の強さで牝馬二冠を達成しました。

 もちろん、テスコガビーが勝った桜花賞も実況を担当しましたが、あのときのことは今でも忘れません。

 それまでのレースを圧倒的な逃げ切りで勝ち進んできたテスコガビーは、桜花賞でも単勝1.1倍という断然の1番人気でした。ただ、当時の桜花賞は阪神競馬場の改修前。そのコース形態から、前半は「魔の桜花賞ペース」と言われる極端なハイラップとなり、桜花賞では逃げ馬が潰れるケースが多かったんです。そのため、いくらテスコガビーでも「桜花賞で逃げ切るのはそう簡単ではない」と思っていました。

 いざスタートすると、テスコガビーはすかさず先頭。やはり「逃げ」の手に出ました。でも繰り返しになりますが、桜花賞で逃げ切るのは簡単ではありません。その気持ちから、テスコガビーが後続に差をつけて4コーナーを回ってきたときに、「十分、貯金をためこんで」という前フリをしました。つまり、「4コーナーまでにためた貯金(リード)を使って、このまま逃げ切れるのか」という意味です。要は、直線では後続が一気に迫ってくると思っていたんですね。

 しかしどうでしょう。テスコガビーは4コーナーまでの貯金を使うどころか、直線では後続をさらにグングンと突き放してしまったのです。

 これには驚きましたよ。双眼鏡でテスコガビーを見ていても、一向に2番手の馬が視界に入らない、見えないんです。まさかこんな圧勝劇になるとは......。

 あまりの驚きと、依然として2番手が迫ってこないことから、私は言うことがなくなってしまった。そこで思わず、「後ろからは何にも来ない!」と連呼してしまったのです。

 この「後ろからは何にも来ない」というフレーズは、のちにいろいろなところで褒めていただき、とてもありがたい評価をもらいました。でも、当時の私の心境は真逆。予想もしなかった言葉が口をついて出たので、ショックで落ち込んでしまいましたよ。

 だって、どう考えても「後ろからは何にも来ない」という表現はおかしいですから。2番手が"来ない"わけないんです。離れているだけで、来てはいるじゃないですか(笑)。もう無我夢中だったんです。

 本来は、きちんと2番手争いの様子を伝えるのが正解。でも私は、「何にも来ない」と言い切ってしまった。ですから、のちにこんなに褒めていただけるとは、当時まったく思いませんでしたね。

 テスコガビーは桜花賞のあと、オークストライアルでまさかの3着。その敗戦から、二冠目のオークスでは不安視する声もありました。

 でも私は、「勝つに決まっている」と思いましたよ。桜花賞であんな圧勝をやってのけたんですから。実況しながら驚くほどの強さを見せつけられたテスコガビーが負けるわけない。そう考えながら見ていたら、やはり8馬身差の圧勝。テスコガビーはますます忘れられない一頭になりました。

 もうひとつ思い出深いのは、1988年。アラホウトクが勝った桜花賞ですね。後輩の馬場(※関西テレビ・馬場鉄志アナウンサー)に、初めて実況担当を譲ったときです。当時は「なんで、杉本が桜花賞を実況しないんだ」という声もいただいたようですが、これにはちょっとした経緯がありました。

 桜花賞の週は、例年ゴルフのマスターズトーナメントがアメリカで行なわれています。私は当時ゴルフの実況もしていたのですが、実はその年、ゴルフ担当のプロデューサーから「杉本を現地に行かせてマスターズを取材させよう」という案が出たんです。

 それを聞いた競馬担当のプロデューサーは激怒。即刻、反対していましたが、当の私は両プロデューサーの手前、どっちつかずの態度でいました。ただ心の底では、海の向こうに気持ちが行っていましたよ(笑)。「マスターズに行けるチャンスなんて二度とない。何としてもアメリカに行きたい」と。マスターズの見学なんて、なかなか体験できないことですからね。競馬を担当していた当時のスタッフには申し訳ないのですが......。

 それで、競馬担当のプロデューサーにさりげなく言ったんです。
「後輩の馬場は熱意もあるし、技術も十分。もし私に何かあって、実況ができなくなったときのためにも、今から馬場に大舞台を経験させておいたほうがいいのでは」と。

 そういう大義名分を作ったんです(笑)。するとプロデューサーは納得。私がマスターズに行き、馬場が実況することになりました。

 ちなみに、私は当時『スポーツニッポン』に予想コラムを書いていたのですが、その年の桜花賞で本命アラホウトク、対抗シヨノロマンと載せていました。そしてアメリカから帰ってきて、空港でまず桜花賞の結果をチェックすると、なんと1着アラホウトク、2着シヨノロマン。珍しいことにズバリ的中だったのです。

 でも、アメリカに行っていましたからね。馬券は買っていませんでした。「そんな結果になるなら、誰かに馬券を買っておいてもらえば良かった」と後悔しましたよ。とはいえ、マスターズを見ることができたのですから、あんまり欲張ってはいけませんね。

 このふたつが、私の印象に残る牝馬クラシックです。今年はハープスターを筆頭に、スター性のある馬たちがそろった牝馬戦線。ファンの記憶に刻まれる、素晴らしいレースを期待したいと思います。

杉本 清(すぎもと・きよし)
1937年2月19日生まれ。奈良県出身。元関西テレビアナウンサー。現在は、フリーアナウンサー、タレント、競馬ライターとして活躍。競馬実況のカリスマ的存在で、関西で開催されるGIレースでは「杉本節」と称される数々の名言を残してきた。

河合力●構成 text by Kawai Chikara