延長11回!2時間57分の激闘!!

 豊川が2回と4回に1点ずつ入れ、履正社がこれを追う展開になったが、技巧派左腕・阿部 竜也(3年)を捕えることができず5回まで0行進が続いた。豊川がエース・田中 空良(3年)を投入したのが2対0でリードした6回表。ここから試合が動いた。

 前日の準々決勝・沖縄尚学戦で9回2失点完投(127球)した田中の疲れを考えるなら、できるだけ先発の阿部は引っ張ったほうがいい。何よりも履正社の各打者は阿部を打ちづらそうにしていた。

 代わったばかりの田中はコントロールが定まらない。履正社の5番西村卓造(3年)と、6番八田 夏(3年)に連続して四球を与え、犠打で二、三塁にされると、代打・三浦 和磨(3年)が2球目のスライダーを捕えてセンター越えの二塁打。二者が生還し同点となった。 7回には一死後、3番吉田 有輝(3年)から8番三浦までの6人が四死球と4安打をつらねる猛攻で3点を追加。さらに8回には2番井上 和弥(3年)の二塁打をきっかけに1点加え、スコアは履正社の6対2と開いた。

 ちなみに、この3イニングにかけて田中が打たれた球種はほとんどがスライダー。6回の三浦の二塁打、7回の吉田のレフト前、西村のレフト前、八田のセンター前がそうで、2点タイムリーを放つ絹田 翔太(3年)に対しては投げる球がなくなったのか、2球続けてストレートを外、内に投げ、これを前進守備の二遊間に運ばれた。続き球は禁物。高校野球で有効なのは緩急、内外、高低を突く配球とは、準々決勝・履正社対福知山成美戦の原稿にも書いた通りだ。

 ところが、豊川が犯した間違いを、8回裏に履正社も犯した。代打・山本 拳世(3年)がライト前ヒットで出塁して、一死後、1番中村 胤哉(3年)がレフト前ヒットで続き、二死後に3番氷見 泰介、4番高桑 平士郎、5番伊藤 竜平、6番武市 啓志(いずれも3年)とヒットを続け、あっという間に7対6と逆転してしまった。

 このとき履正社のマウンドに立っていたのは二番手の永谷 暢章(2年)で、驚くことに、ここまで投げたほとんどの球はストレート。この極端な配球は先発・溝田 悠人(2年)のときにも行われていて、2回に中村のタイムリーで1点取られたときは全球がスライダーで、3回の一死二塁で打席に立った武市には6球すべてストレートだった。

 試合後、サインを出した捕手の八田に話を聞くと、サインはベンチ経由ではなく、すべて自分の意思で出したと言う。それならば永谷のときの偏ったサインの真意は何だったのかと聞くと、「(勝負球ではない)スライダーを投げて打たれたら後悔すると思ったので」と声を落とした。7回に4連打され逆転されたときはマウンドに行き、「悔いを残すな」とハッパをかけるが、今は「反省があります」と言った。

 また、八田はこういうサインの出し方は「いつもはしない」とも言った。衝撃の甲子園デビュー戦となった駒大苫小牧戦の永谷は147キロのストレート以外でも縦割れのスライダーが威力十分でストレートの盛り上げ役を果たしていた。そういう持ち球があってもストレートで押したのは「ストレートで押したほうが打たれても悔いを残さないだろう」という女房役らしい思いと、相手打者が「もういい加減にスライダーがくるんじゃないか」という心理状態になることを想定してのストレート攻勢だったと八田は言う。

 しかし、以前取材したことのある伊東勤(現ロッテ監督)は、「打者は裏の裏をかくことはない」と言った。さらに、裏の裏をかくという発想は往々にしてバッテリーが陥りやすく、それは裏目に出ることが多いとも。この言葉を八田は胸に刻んでほしい。

 試合に戻ろう。7対6でリードした豊川だが、9回には代打・三浦に代わって外野の守備に就いていた金岡 洋平(3年)が何とレフトスタンドに同点ホームランを打って履正社が追いついてしまった。試合後、お立ち台に立った金岡は高校生活で初めてのホームランだと感無量の面持ちで答えた。

 エース田中がマウンドを降りた豊川と、好調でないものの角度十分のストレートに変化球が加わりはじめた永谷を押し立てる履正社とでは1点の重みがまるで違う。履正社は10回表、打者10人を送る猛攻で一挙に5点奪い、勝負を決した。

 ファンには感動を、選手には大いなる教訓を残したこの準決勝は、長く高校野球ファンの心に残るだろう。

(文=小関 順二)