八戸学院光星vs明秀学園日立 八戸学院光星が前監督率いる明秀学園日立と試合
八戸学院光星・佐藤 駿選手
対外試合が解禁となり、今年も高校野球が始まるのだなと実感が高まる。といっても、まだまだ寒さは厳しい。東北地方の多くの高校のグラウンドは、まだ雪解けしておらず、試合どころか練習もままならない状況だ。やはり、東北地方の環境的なハンディキャップは否定できないなと思う。昨秋の東北大会で優勝し、選抜大会に出場する八戸学院光星も八戸市のグラウンドはまだ真っ白だという。
そんな中、八戸学院光星この日の練習試合解禁に伴い、茨城県までやってきた。今年初の練習試合の相手は、明秀学園日立。ここの金澤成奉監督は、八戸学院光星(旧光星学院)の前監督である。1995年から15年間、指揮を執り、強豪に育て上げた。2010年4月から総監督としてチームをバックアップ。現場を離れて学んだ打撃論をチームに取り入れて“豪打の光星学院(当時)”を創り、チームは2011年選抜大会から4季連続甲子園出場、2011年夏から3季連続甲子園決勝進出を果たした。
そして、2012年9月1日、明秀学園日立の監督に就任した。今回、八戸学院光星は金澤監督就任後に初めて明秀学園日立を訪れ、高萩市で選抜に向けた実戦のスタートを切った。
この日は、前夜の気温が低かったため、グランドに霜が降りていた。太陽が顔を出すと溶け出し、グラウンドはぐちゃぐちゃに。午前中いっぱい、明秀学園日立の部員たちがグラウンド整備を行ってくれて、午後から試合をすることができた。 試合前のシートノックは、八戸学院光星にとって昨年11月以来のシートノックとなった。むしろ、雪がない土のグラウンドを見たのも久しぶりのことだ。八戸学院光星には室内練習場がない。そのため、1日練習ができる日は、岩手県久慈市にある室内練習場を借りて練習する。そこは人工芝のため、内野手はノックを受けてもイレギュラーがなく、ボールは“来てくれる”ため、土の上とは感覚が違う。外野手はフライにしろ、ゴロにしろ、外で受けたのは久々。捕球の感覚はすぐに戻っても、長い距離の送球が逸れる場面が多くあった。内野手との連携も実戦不足を感じさせた。
明秀学園日立・金澤監督
試合中に大きな致命傷となるようなミスはなかったが、細かいミスは多々、見られた。例えば、ファウルフライ。レフトが前に走ってきた方が確実な打球を、ショートが後ろに追いかけ、捕球することはできなかった。また、キャッチャーが一塁のカバーリングに走ったが、送球はフェンスに当たって跳ね返り、ファウルグラウンドを転々とした。こうした、エラーとして記録に残らないミスを減らしていく必要がある。 八戸学院光星・仲井宗基監督は「とんでもないプレーはなかったのでホッとしています」としながらも、「まだまだ野球の質が低い。レベルを上げていかないといけないですね」と話した。
それでも、悪いところばかりだったわけではない。明秀学園日立・金澤監督が「100点満点。ウチが勝てるとしたら、あの時に1点を取っておけばね。あそこで100点のボールをきちんと放ってくるところが甲子園に出るチーム」とうなった場面があった。
1試合目の5対5の7回裏、明秀学園日立の攻撃。一死二塁で、2番・永濱 晃汰がセンター前ヒットを放った。三塁コーチャーは腕を回し、二塁走者・長谷川 昴は三塁を蹴ってホームへ。打球を捕球した八戸学院光星のセンター・新井 勝貴は本塁へ送球。このボールがワンバウンドで捕手・千葉 諒主将のミットに納まり、明秀学園日立の勝ち越しを阻止した。
明秀学園日立・金澤監督は、「ここ一番でああいうプレーが出るよね。1点をやらない。練習不足の感じはあるけど、勝負勘がある。俺が三塁コーチャーでも回すもんね。あれはやっぱり痛い。(甲子園で)準優勝した時も必ず補殺をしていた。準優勝の時は(送球が)ノーバウンドなんだけど(笑)。天久 翔斗(東海大)とか沢 辰寿とかね。試合の流れを変えるプレーをやりよる。余裕があって慌てない。いい伝統になってきていると思いますよ」と話した。
8回表、2四球と犠打で一死二、三塁とした八戸学院光星は6番・新井 勝徳の2点タイムリーで勝ち越し、9回には3番・森山 大樹が左中間に2ランを放って突き放した。 1試合目は昨秋のレギュラーメンバーで、2試合目は控え選手中心で戦い、結果、2勝した八戸学院光星。「グラウンドで練習はできていませんが、内容はそこそこ。でも、まだ甲子園に出るチームのレベルではありません」とは千葉主将。始めから納得いく試合をやることは難しい。 初めて、冬でも走塁練習を取り入れたが、この日はその意識が表れていたり、前述の流れを変えるプレーが飛び出したりといい場面はあった。細かなミスは本番までに試合を積んでいけば減っていくだろう。ここからどのくらいゲームの感覚を取り戻し、また、レベルアップして本番を迎えられるか。
(写真・文=高橋 昌江)