高川学園高等学校(山口)
東亜大時代に部長・監督として計3回の日本一を導いた中野 泰造監督
就任して5年目を迎える。中野泰造監督には勝利した試合後の取材で口癖のように答える言葉がある。
「私は何もしていない。生徒のおかげで勝てました」
試合中、指揮官はベンチでほとんど動かない。笑顔で選手を称えて見守っている。そこにはチーム全体の1つの方向性があった。「僕は、ノーサイン野球をやってみたくて高川に来ました。自分もパワーでなく足を使ったり、自分で考えたりする野球をすることを聞いたときに?やってみたい?という気持ちになりました。 ずっと、サインは出ないです。それだけ対応力が必要だと思っています」 安 健太内野手(2年)は胸を張った。
『ノーサイン野球』は新生・高川学園の礎となっている。ヒントはサッカー、ラグビーにある。 中野監督は説明する。「グラウンドに出ればプレーするのは選手。だから監督から、ほとんどサインを出すことはありません。 サッカーやラグビーは試合が始まったら細かな指導ができない。私のやり方はそのやり方に似ていると思います。
選手の将来を考えた場合、試合途中で選手に細かく指示を出すことは避けた方がいい。試合が始まったら選手の自主性に任せます。そのことで選手が大学や社会に出て行ったときに役に立つと思っています」グラウンドに出れば選手の自主性を尊重する。選手の将来を考えて『やらせる野球』から抜け出すことから始まった。
高川学園は近年、目覚ましい成長を遂げている。 中野監督が2009年に就任。2010年春には山口大会で優勝、中国大会で準優勝した。13年夏には決勝で岩国商に屈しながらも準優勝。新チームになってからも快進撃が続く。秋季山口大会で準優勝。中国大会では準決勝で広島新庄に2対3で惜敗しながらもベスト4まで進出した。1984年(当時の校名は多々良学園)以来、30年ぶりのセンバツ出場への可能性を残した(取材日、2014年1月5日現在)。
中野監督を慕い茨城から山口の高川学園へ入学した4番で主将の川崎 喜公選手
最上級生となった現2年生の世代は順風満帆とは言えなかった。1年生大会では1勝もできずに敗退した。
「1つ上の先輩世代から見れば、弱く見えると思います。1年生大会では1勝もできずに終わったところから始まった。危機を感じながらやっていました」と主将の川崎 喜公外野手(2年)は振り返る。
工夫、努力で這い上がってきた。
中野監督は奈良県高校教員時代に高田(定時制)、北大和(現奈良北)、桜井商の監督を歴任。 最も名前を知られるようになったのは東亜大の監督になってからだった。
監督として2回、部長として1回、計3回も大学日本一に導いた(いずれも明治神宮大会)。 中東 直己外野手(現広島、当時は捕手)は教え子の1人だった。天理大監督を経て09年に高校球界に復帰。高川学園高等部監督に就任した。「長く指導してきて考え方が変わってきました。若い頃は選手に押し付けるような練習が多かったように思います。 でも、長い間やってきて、それでは選手、生徒のためにならないと気付きました。練習の中身も変わってきました」 練習は実戦形式が多い。高川学園が進化したのは練習方法にあった。普段の練習は紅白戦や実戦形式の練習が主流だという。 取材した1月5日は正月休み明け2日目ということで、実戦練習を控えた内容だった。それでも組まれた練習内容は実戦を意識したものだった。
[page_break:4人1組の変則キャッチボール]4人1組の変則キャッチボール4人が縦一列に並ぶ。「全部で30通りぐらいあります。試合でも役に立つ練習です」と主将の川崎 喜公外野手(2年)は自らの成長を実感したメニューだ。 例をいくつか挙げてみる。
様々なバリエーションで練習するゴロ捕球練習
・ゴロ捕球 1対3で分かれる。1人がゴロで転がして、1人ずつ捕球して返球する。それを繰り返して1セット。メンバー交代しながら1セットを続ける。これを変換して「フライ捕球」「バント処理」などでバージョンを変えていく。
・連係プレー 1対3に分かれる。1つのプレーを完結するのに3人が必要となる練習だ。 1人が長めの飛球、強めのゴロを一番遠くにいる選手へ投げる。このプレーには捕球後、間に1人が入る。反転して送球を返す。
「これも試合では必ず必要になるプレー。外野から内野にカットに入って本塁や他の塁に返球することを想定している」と中野監督。カットに入る人間ならば、体の向きを変えて即座に正確な送球を要求されるものだ。選手の間でもこの練習方法の評価が高かった。川崎主将は、「試合の中で起こることを想定してイメージしながら練習に採り入れています。どこの学校もやっていない。中野監督オリジナルのメニューです。1つを取ると地味だけどこつこつと続けてやっています」と成果を実感している。
文武両道を目指し入学した朝田光選手
朝田 光内野手(2年)も1年で捕手、2年夏まで外野、2年秋から内野と守備位置を転々としてきた。「ボールの握り替えを含めて、基礎がつまっている練習。毎日こなすことで力が身につきました」 中学時代以来となった内野守備にも自信が持てるようになってきた。 野手だけでない。2年秋から背番号1の左腕、酒井 謙多投手(2年)も効果を実感していた。「バントのカバーなど守備に役立っています」 投手歴の浅い左腕は連日100球をブルペンで投げた後、守備面でも磨きをかけている。
また、シートノックでミスが起こったときは全員がグラウンドの真ん中で集合する。中野監督はミスした選手だけに説明するわけではない。試合中に起こりえることを想定して全員を集める場面が数多く見られた。打撃向上の練習法としてノックは選手が行う高川学園の打撃練習は質と量の両立だ。スイング数が多い。平均2000を数える。少なくても1500を超えるという。 もちろん、スイング、ティー打撃、フリー打撃は踏まえたものだ。ただ同じ練習だと飽きてしまう。採り入れた練習は「ノック」だった。 13年秋季中国大会直後に始まったばかりのメニューだ。きっかけは中野監督の過去の経験に基づくものだった。
選手が行う打撃向上ノック。高川学園高等学校(山口)
「30代の頃、自分でのノックをしているうちに打撃が上達したことに気づきました。 力加減、打球の方向などを知る上でノックを打つことは選手にとってもいい方法だと思っています。 テレビで落合さん(博光氏、現中日GM)が『ノックが打撃にいい』と話していたのもヒントになっています」
これも4人1組だ。1人がバットを握って、3人の野手を相手にノックを打ち続ける。「中野先生に教えていただいたノックの打ち方というのがあるんですけど、やっていることを信じてやることが結果につながっている」と川崎主将も効果を感じ始めている。
練習で選手が使うバットは木製の長めのものだ。形状的にはノックバットに近い。スイング、ティー打撃、ノックでは使用することが多い。中野監督は、「体全体をうまく使わないとバットが折れてしまいます。打つコツを身に着けるためにいい練習ができている」と笑顔を見せる。 ティー打撃でもトスを上げて打つだけではない。ティーポットを立てて止まったボールを打つなど変化がある。「止まったボールを打つ時は、バットにボールの当たる面の確認もできます。ただ、がむしゃらにバットを振り回せばいいというものではないです。中身も重要です」と指揮官は力説する。
質と量を備えた打撃練習は選手に自信を植え付けた。2000スイングの練習を開始して1年以上が経過した。 選手たちも得るものが多くなった。川崎主将は、「1年前に朝のティーを始めました。みんなバットが振れるようになって打撃が向上した。振っている中でも意識が大切です」と話す。 スイングスピードの向上に役立った。「高川の選手は体が小さいし、大きな打球を打てる選手は少ない。でも全員が低く強い打球を打てるようになりました。秋以降の成果は大きい」 中野監督も目を細めた。
実際、13年夏に4番に入った朝田は158センチしかない。新チームで4番を務めた川崎も167センチ。160センチ台の小柄な選手が多い。 長打は望めなくても、打球の鋭さでチーム全体の打撃内容は変わった。
[page_break:中等部の硬式チームが刺激に]
中等部の硬式チームが刺激に高川学園には中等部と高等部がある。中等部にも野球部がある。選択したのは硬式だった。中等部はシニアリーグに所属している。中等部の安藤拓監督とは連絡を密に取り合っている。「中等部に野球部ができた時点で、安藤監督が硬式を選択したのは高川にとってもプラスになった」と中野監督は話す。 その理由として挙げたのが「高いレベル」が狙えることだった。
1年春から正捕手を務めチームを引っ張る長谷川 和輝捕手
「軟式野球なら中体連の組織で日本一を目指すことになる。シニアに所属していることで世界一を狙うことになる。まだ、そのレベルにはないが、将来的に世界を経験できれば、高等部にとっても生徒にとってもプラスになるはずです」
その1期生は現在の高1となる。 長谷川 和輝捕手(1年)は中等部から進学してきた1人だ。中学時代は投手として活躍した。中3秋の公式戦が終わると、中野監督に見込まれて捕手に転向した。1年春から背番号2をつけてレギュラーを獲得すると、春は山口大会と中国大会で優勝に導くなど、早くもチームに欠かせない人材となった。
「小6のときに中学では硬式をやりたいと思っていました。 違うチームの話もありましたが、安藤先生から誘われて自分もやってみようという気持ちになりました。ここなら環境もいいし、1期生だとやりやすいというのもありました」 長谷川の次世代となる、現中学3年生の世代からは6人が高等部に進学する予定だ。その6人が中等部の公式戦終了後に、高等部の練習に参加できる利点があるのも大きい。「安藤監督が教えてくれることで基礎もしっかりできています。常に連絡を取り合っていて方向性は見えています」と中野監督。中等部に硬式のチームができて丸4年になる。 歴史を積み重ねることで高等部の野球への大きな刺激にもなっている。
高川学園高等学校(山口)が目指す野球は「文武両道」
メニューを見ていると野球中心に見えるが、高川学園の目指す野球は「文武両道」だ。
高3の世代は18人とも進学する。現在1、2年生はマネジャー1人を含めて31人が在籍している。実際、朝田と酒井は特別進学クラスに在籍している。 2人とも「勉強との両立を目指すのも高川の魅力」と目を輝かせる。
野球では工夫と想像を重ねて、練習や試合が終えても勉学で手を抜くことはない。メリハリをつけたライフスタイルが高川学園の野球を支えている。
選手の間の意識も高い位置にある。 練習の成果が結果に結びつき始めた今、選手は「僕らの目標は日本一です」と答えるようになった。「センバツは決まっていない状況なので結果を待つだけです。 出られるようになれば、秋の結果に関係なく、自分たちも相手と同じ立場になると思っている。目標は日本一しかないです。それを目指してやってきました。 出られなくても夏につながる練習になっているので、着実に自分たちのため、チームのためになっていると思う。高川学園の野球が通じることを全国に見せたいです」 表情には自信がみなぎっていた。川崎主将はチーム全員の気持ちを代弁していた。
(文=中牟田 康)