韓国で行われている東アジアカップは、2試合目までが終わり、日本は1勝1分けで最後の韓国戦に臨む。勝てば優勝、負ければ逆転で優勝を逃すというシチュエーションで、宿敵との試合を迎えられるのはよかったね。スリルが残ったことで、試合にも緊張感が出る。テレビ局もホッとしていることだろう。

 この大会は、国内で活躍している選手たちが主力メンバーに食い込めるかどうかのサバイバルだ、という見方が喧伝されている。選手たちは必死にアピールし、柿谷も齋藤も大迫も、みんなそのために結果を残している。もちろん、そのがんばりを否定する気はないし、実際に良いプレーも出ているけど、やはり大会に対するそもそもの位置付けの部分で疑問が残る。
 
 選手の入れ替え、新戦力の台頭というのは、本来、主要メンバーのある一部を入れ替えて、試して、検証していくというものだろう。主要メンバーの中でどれだけやれるか、というものが見られなければ、評価の仕方が難しい。

 ザッケローニ監督は本当にそういうつもりで臨んでいるのか。かき集めのオールスターのようなチームで、本当に検証したい部分が見られるのか。僕は、サバイバルレースというのはマスコミが勝手に作り出したストーリーだと思っている。
 
 海外組の選手たちを呼べない事情は分かる。であったとしても、やはりまず優勝を最優先に考えて大会に臨むのが第一だろう。ブラジルW杯までに、公式の大会はもうこの東アジアカップしかない。つまりザッケローニ監督を評価できる大会もこれだけ、ということだ。
 
 そういう意味で、選手のサバイバルレースとして煽るのもけっこうだけど、とにかく韓国に勝って優勝するというのが課せられたノルマだと思うね。試されているのは、選手だけじゃなくザッケローニ監督も同じなのだ。日本代表を見るときに、その視点は忘れちゃいけないよ。