日本語と中国語(295)

(20)「八疋は誤植」私の早とちりでした!

 前回、1993年版の岩波『漱石全集』の『猫』が、白君が産んだ子猫の数を「八疋」とするのは「四疋」の誤りであろうと記したところ、日本文学を専攻している若い友人から、初出の雑誌『ホトトギス』(明治38年1月)では「八疋」のはずとの指摘を受けた。また、このことは『全集』第一巻の巻末の「校異表」にも出ているとのことである。

 早速当たってみたところ、確かに「(単・六)四疋」とあった。明治39年6月発行の単行本第六刷では、初出の「八疋」が「四疋」に改められているということらしい。初出の雑誌の方は確かめていないが、信頼する友人の指摘であり、「校異表」にも取り上げられていることでもあるから、そのとおりなのであろう。軽々に「誤植」と断じたことをお詫びする。

(21)「四疋」に改めたのは誰?

 初出が「八疋」であったと聞いたとたんに、留学生の「だいたい猫は一度に八疋も子を産みません」が、ちょっと疑わしくなった。蒲柳の質のマルクスの縁で親交を得ている動物病院の先生に確かめたところ、「通常は四匹から六匹、まれには八、九匹」とのことである。

 うーん、疑わしくなってきた。初出の漱石先生の原稿や掲載雑誌が「八疋」であったとして、単行本第六刷で「四疋」に改めたのは誰だろう?漱石先生か、それとも単行本の編集者か。

(22)「八疋」の方がよさそうな気が……

 真相は闇の中だが、何となく漱石先生のあずかり知らぬところで、編集者が「八疋」を「四疋」に改めたのではないかという気がする。先生にもし伺いを立てたならば、「石に漱(くちすす)ぎ流れに枕す」の漱石先生のこと、一言あったに違いない。

 なるほど八疋は多すぎるかもしれないが、白君が産んだのが八疋で、書生が三日目にその八疋を裏の池へ持って行って「八疋ながら棄てゝ来たさうだ」とするほうが、「人間程不人情なものはない」ということの例証としては、インパクトが強いように思われる。

 それにしても、読みようによっては、「八疋」か「四疋」かは極めて大きな意味をもっていると思われるにもかかわらず、集英社版『漱石文学全集』や、岩波自身のものを含めて他の何種類かの文庫本が「四疋」を採用したまま、初出の「八疋」に何ら触れるところがないのは、いささか物足らない。

(23)「建仁寺」の訳 なぜ台湾に軍配?

 えーっと、「建仁寺の崩れ」の中国語訳の話が本題でしたね。

 先に見たように,大陸刊の訳書は劉振瀛訳、于雷訳、尤炳圻・胡雪訳のいずれもが、「建仁寺」を寺院名そのものと受け取っているふしがあるのに対し、台湾刊の三種の訳本は、いずれも「建仁寺」を正しく「建仁寺式の垣根」の意に理解している。この個所の訳し方に関する限り、軍配は台湾訳の三種に挙げなければならないのであるが、これは偶然の結果であろうか。

 この一例だけで結論を導くのは乱暴であることは百も承知のうえでのことであるが、日本式家屋や庭園については、それこそ「歴史的事情」があって、大陸の人びとよりも台湾の人びとの方が、知るところが多いという事実によるのではないだろうか。なにしろ、いまだに玄関のある家屋に住まい、畳の部屋に暮らす人がいて、建坪を文字どおり「坪」で測っている文化圏であるのだから。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)