“経営の神様”として知られる松下幸之助の妻、「松下むめの」の生涯を描いた感動の物語『神様の女房 もう一人の創業者・松下むめの物語』。10月1日から、ジェームス三木脚本、常盤貴子、筒井道隆出演でNHKのドラマ化も決定した(土曜日夜9時より。総合テレビ・全3回)。この小説の魅力をお伝えする特別連載、第2回は、著者盒鏡診圭氏へのインタビュー。
盒鏡診圭氏は、幸之助・むめの夫妻の最後の執事として、二人に臨終まで仕えた人物である。松下幸之助には数多くの著作・評伝などが残されているが、夫人については実はほとんど知られていない。なぜ今、むめの夫人の物語を書こうと考えたのか。著者に聞く。

――まず、幸之助夫妻の執事になった経緯について、お聞かせいただけますか。

 誠之助という名前が幸之助さんと似ていますから親戚なのではないか、などと言われたこともありますが、違います。昭和38年、私が29歳のとき、会社から異動の辞令を受けて、この仕事に就いたんです。

 私の同期は大卒事務系で175名いました。ちょうと家電業界が厳しくなる時代。例年であれば、経理や人事、財務など管理部門に配属されることが多かったんですが、営業を強化するということで、全国の営業拠点に配属されることになりました。

 広島支店に行った私は、流通網の整備などに取り組む一方、子会社の経営を任されていました。今思えば、とんでもないことですが、29歳で経営責任者として、ひとつの会社を任せてもらっていたんですね。
この次の異動先が、当時会長だった幸之助さんの西宮の邸宅で松下家の執事の仕事をしてくれ、というものだったんです。

――幸之助夫妻の最初の印象はどうでしたか。

 20代の社員にとっては、会長の幸之助さんは雲の上の人でした。私にとっては、入社のきっかけになったのも、幸之助さんの著書でしたし、入社してからも、たくさんの本を読んでいました。その書いた本人が目の前に現れるわけです。もちろん会うのは初めてでした。緊張した、なんてものじゃなかったですよ。


松下むめの夫人「お気に入りの写真」。1960年幸之助とともにオランダ、フランス、イタリアを訪問した。その折にパスポート用に撮影した写真のうちのお気に入りの1枚。後年、自分の遺影として使用するように著者・高橋氏に託した。亡くなる10年ほど前のことであった。

 ところが、人事部長に連れられて会長室に入ると、気さくな人でしてね。当時、幸之助さんは75歳。顔つきは精悍そのものでしたが、なんともフランクでした。

「君が高橋くんか。私は会長として仕事が忙しいんや。だから、家長として家のことが十分にできん。それを君にやってもらいたいんや。よろしく頼む」

 と、それだけ言われて。

 それからまた人事部長に連れられて西宮の邸宅に行って、むめの夫人とお会いしました。着物を着て、茶色い髪にネットをかぶせておられて。肝っ玉母さんみたいだな、というのが最初の印象でしたね。挨拶すると、結婚はしてるの、どこに住んでるの、と世間話のようにあれこれと聞かれました。身上調査だったのかもしれません(笑)。

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