なでしこジャパン。リードされても、相手に得点を奪われても、見る者を落胆させない不思議なチーム。これ以上、頑張れとは言えない好チーム。

「諦めないサッカー」だと、よく言われるが、リードされていても、していても、感情の起伏、喜怒哀楽が少なそうに見えるサッカーだ。無欲というより無心。ポーカーフェイス。ドイツ人やアメリカ人には、何を考えているのか分からない怖さあった。それが無言のプレッシャーになっていた。むしろ、1点ビハインドの方が良いサッカーをしそうな感じ。負けることを恐れない勇敢さが、強者と言われる相手の脅威になっていた。

女子W杯決勝。それにしても驚いたのは、舞台の立派さだ。男子W杯と何も変わらない。
スタジアムは連日満員。フランクフルトで行われた決勝戦も、約5万枚の観戦チケットはソールドアウト。試合は夜の20時45分開始なので、90分間で決着がついても、少なくとも22時35分までかかる。延長PKに突入すれば+1時間。つまり23時35分。表彰式までしっかり見ると零時を回る。だが、スタンドを満員に埋めたファンの7〜8割は、最後までその場にいた。

女子のW杯を日本で開催したら、この熱気は望めるだろうか。そもそも、この規模のスタンドはどれほど満員になるだろうか。日本戦はギリギリ何とかなりそうな気がするが、地元の日本が絡まない外国勢同士の試合は、満員にはほど遠いだろう。テレビ中継もないだろう。

少なくとも女子バレーはそうだ。日本戦以外の試合は、まず紹介されない。ガラガラのスタンドで、試合はマイナー感を露わに行われている。

女子バレーでは、それが許されても、サッカーはダメだ。日本で女子サッカーのW杯は開催できないだろう。女子バレーと女子サッカーと一緒にするなとお叱りを受けそうだが、日本において女子サッカーは、女子バレーより酷い状況にある。食える人数は断然女子バレーだ。

なでしこの収めた歴史的快挙を、日本人として喜ぶだけでいいのだろうか。開催国ドイツを見習う必要性を感じるべきではないか。自国が準々決勝で日本にまさかの敗戦を食らっても、決勝戦まで観戦し続ける姿勢に、サッカー大国、スポーツ大国の誇りを感じる。スタンドを埋め尽くす満員の観衆は、サッカー好き、スポーツ好きに他ならないが、その数で日本はドイツを確実に下回っている。

日本の女子選手は、なでしこジャパンの面々でさえ、普段の生活費を切り詰めながらプレイに励んでいると聞くが、そうなってしまう理由は、ドイツのスタンド風景が一切、望めない日本の風土と大きな関係があると僕は思う。

日本の日常の熱は、驚くほど低い。

世界一になった感想を聞かれたなでしこの面々は「まだ実感が湧かない」と口々に語った。自身を取り巻く環境に変化がなければ、世界一になった実感は湧きにくいだろう。「世界一」には夢のような響きがある。だから、世界一になった人には、ちゃんと夢を見させてやらなければならない。

「スポーツはお金じゃない」「お金のためにやるのか」と言う声をよく聞く。

男子の日本プロサッカー選手会が、代表チームのギャランティーを巡って、サッカー協会と揉めているが、昨年末、その課程で、選手会の副会長が役職を辞任する事件があった。彼は、代表選手の待遇改善を要求する選手会の方針に、共感できないらしい。「ファンから『日本代表はお金のためなのか』と言われたことが大きい」とは元副会長の弁。「ファンから『日本代表はお金のためなのか』と言われたことが大きい」。「代表チームにはお金を払ってでも入りたい」とも。

僕はそんなことを言うファンを、サッカーファンだとは思わないが、それはともかく、代表サッカーを含むスポーツ競技が、産業の一環に組み込まれていることは事実。例えばテレビ局は、視聴率が望めない競技を中継したがらない。視聴率が取れる者とは付き合うが、取れない者とは付き合わない。新聞、雑誌もしかり。それを扱うことで販売部数が伸びるか否かを常に考えている。僕たちフリーランスも、好むと好まざるとに関わらず、その影響を受ける。お金は多少なりとも絡んでいる。愛だけでは続かない。