最近よく耳にする、流行語「アラフォー」はテレビ番組「Around40」から生まれたものだ。
この番組の主題歌を歌った竹内まりやは、「アラフォー」は卒業して、Around50(アラゴーとしておこう)である。しかし今年デビュー30周年を迎える彼女は活発に活動して、ますます魅力を増しているのである。。今回の【どっちが勝組みショー】では、そんな「竹内まりや」と同じ年代で、やはりJPOPの歌姫として活躍する「松任谷由実」と競演してもらうことにしよう。



竹内まりやVS松任谷由実(アラゴー『Around50』の魅力対決)、それでは始めてみよう。

竹内まりやは、1955年生まれの53歳、松任谷由実は1954年生まれの54歳である。二人とも、ミュージシャンの夫をもち、JPOP界の代表的なアーティストとしてヒット曲を出しつづけている。

音楽界との関わりは松任谷由実の方が早く、14歳でスタジオでピアノを弾いたのがプロデビューとなる。竹内まりやは19歳の時、慶應義塾大学で音楽サークルに入りバックコーラスをやったのが音楽活動との出会いといえる。
以来、松任谷由実は17歳で作曲デビュー。1972年に荒井由実として歌手デビュー、1973年に1st.アルバム「ひこうき雲」で支持を受け、1975年にシングル「あの日にかえりたい」がオリコン1位となる。

竹内まりやは、大学在学中の1978年、シングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム「BEGINNING」でデビューする。両立が厳しくなり、大学は中退。その後1979年シングル「SEPTEMBER」、1980年シングル「不思議なピーチパイ」とヒットが続く。
竹内まりやの場合、1981年には早くも休業宣言を出すのだが、事務所の目指すアイドル路線と自分の希望する方向が違った為である。山下達郎とは楽曲提供などでこの頃には既に知り合っており、1982年に結婚する。この後はソングライター活動を中心に、シングルやアルバムを夫の協力を得ながら発表する程度で、ライブなどはほとんど行っていない。

松任谷由実(この時は荒井由実)は「あの日にかえりたい」がヒットした1975年には年間アルバムランキングTOP10に、前作も含め3枚のアルバムが入るという爆発的な人気となった。翌年にはアレンジャーの松任谷正隆と結婚、松任谷由実となる。
結婚後の活動は衰えるどころか、1978年から5年間はアルバムを年2枚だす勢いだった。「埠頭を渡る風」、「DESTINY」、「恋人がサンタクロース」、「守ってあげたい」といった代表的な作品もこの頃のものである。
また、彼女はラジオ番組「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)と「サウンド・アドベンチャー」(TOKYO FM)でファン層を広げた。
彼女がラジオでリスナーの恋愛問題などに真剣に答えることから女性ファンが圧倒的に多く、そのアドバイスに救われたリスナーも少なくないはずである。
そして忘れてはならないのがLIVEである。1978年より“見せる”ステージをテーマに始めたショーのようなLIVEは、”象が現れたり、噴水が出たり、空中ブランコなどサーカスを取り入れたり”といった趣向をこらしたもので、億単位の費用をかけているという。
泉谷しげるの証言では、「ユーミンは儲かった分をショーで楽しんでもらうことでファンに返しているんだ、ショー自体は赤字なんだよ」という考え方なのである。

一方の竹内まりやは、「子育てに集中したい」ことからライブ活動は行っていないものの、楽曲提供や自身のアルバムなどを出してきた。松任谷由実の活発な活動とは対照的に「気が向いたら出す」といった感じではあるが、その楽曲は出せばヒットする名曲ぞろいなのである。
1984年に全曲彼女が書いたアルバム「VARIETY」を出し、この頃はほとんど活動がなかったにもかかわらず、30万枚を超えるヒットとなった。