がん転移発覚後、転げ落ちるように体調が悪化しほぼ寝たきり状態の50代夫。医療用麻薬によるせん妄の影響もあり、目を離すと酸素吸入器を外し、服やオムツも脱いで放尿し、寝具を汚してしまう。看護師や家族、友人などのサポートを受けながら妻は最後の最後まで見守った――。(後編/全2回)

前編はこちらから。

(前編の概要)28歳の時に元夫の不倫で離婚した女性は、34歳の時に、もともと友人だった40歳男性と再婚。36歳で男の子を出産し、幸せに暮らしていたが、2018年7月、52歳の夫は健康診断で膵臓がんが見つかる。その5年3カ月後に肝臓、その3カ月後に骨への転移が判明し、夫は痛みによりほぼ寝たきり状態に陥ってしまった――。

■ひどいせん妄

関東地方在住の笠間牧子さん(仮名・50代)の夫は約6年前に膵臓がんが見つかり、以後、働きながら懸命の治療を続けていたものの、複数のがん転移などで症状は悪化の一途をたどった。

2024年の5月末に受診すると、医療用麻薬(オピオイド鎮痛薬)のオキシコンチンは1回10mgだったのを20mg、頓服薬オキノームは1回10mgだったのが15mgに変更になった。

早速帰宅して飲んだ夫、瞬く間に痛みが治り、再び歩けるようになった。

ところが喜んだのも束の間、夫がおかしなことを口走るようになる。

いつも意識が朦朧として、食事中でも突然白目を剥いて意識がスーッとなくなり、持っていた箸や茶碗を落とす。呂律の回らなさもひどくなり、ほぼ何を言っているのかわからない。トイレに入ると寝てしまうのか、なかなか出てこない。

「あんな溌剌とした人だったのに、なんだか見た目もおじいさんみたいになってしまって戸惑いました。(医療用)麻薬を飲んで、2時間くらいからなんだかおかしくなるんです。最初の膵臓がんの後に始めたインシュリン注射も、手際よくできていたのに、針を器具に入れることさえできなくなってしまいました」

インシュリンの量を間違えることが増えたため、自分で注射させるのはやめ、笠間さんが打つことにした。

写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

怖くなった笠間さんが麻薬科に問い合わせると、

「(医療用)麻薬が多いと思うので、一回20mgを15mgに減らしてみて」

と指示される。

それでもせん妄がひどいため、結局15mgから10mgに減らしたが、またもや歩けなくなってしまう。笠間さんは、市役所の障害福祉課に車椅子を借りにいった。

結局、10mgに減らしてもせん妄はなくならなかった。何を言っているかわからないことが増え、つい笠間さんはイライラしてしまう。その度に「なんで優しくできないんだ」と自分を責めた。

新しい抗がん剤治療をやるかやらないかの決断は、夫がなかなか決められず、先延ばしになっていた。

6月の受診日にも、

「まだ決まらないからあと一週間考えさせてください」

と答える夫。思わず、

「もう2週間も待ってもらってんのに! 早く決めなよ!」

と少し強めに言ってしまう。カチンときた夫が

「そんなに言うならもう病院についてこないで!」

と言い返し、診察室で喧嘩になる。

そこで主治医が、

「膵臓がんで6年生きてて、骨転移の人は珍しいから、どっちがいいのかはっきりはわからないけど、まだあきらめるには早いのでは? 内臓はまだ元気だし」

と諭した。

この1週間後、夫は決断し、「もう抗がん剤はやりません」と言った。

■ただの便秘かと思ったが…

夫は、「骨転移の痛みがかなりあるので、それに加えて抗がん剤での体調不良はキツすぎる。それに抗がん剤は、骨転移には効果ないんじゃないのかな?」と言い、抗がん剤治療をしないことを決めた。

夫は大好きな店のラーメンも、食べきれずに残すようになってしまった。

6月17日。朝起きたら夫の歯に血が固まったような茶色いものがたくさんついていた。夜中に痛みに耐える為、歯を食いしばった時にできたもののようだった。

すぐに病院に連れて行くと、ノイロトロピンという薬を点滴してもらった。すると夫は、少しだけ痛みがやわらいだようだ。

しかし翌日、痛みが全身に広がった。

6月24日。夫が何度もトイレにこもる。肩を貸さないと歩けず、自分で拭いたり洗浄したりすることができないため、笠間さんもトイレに付き添わなければならない。

夜中の2時半。高校生の息子が夫のトイレの付き添いを代わってくれた。

「ママがダウンしちゃったらどうしようもないから、病院行ったほうがいいよ」

そう息子に言われ、朝イチで夫を入院させようと思い、主治医に相談する。入院するにあたりレントゲンやCT、血液検査などをした結果、便秘だった。

「医療用麻薬は便秘になるって聞いていたのに、夫は便秘対策の薬は飲んでなかったみたいです。けれど入院させてもらえてほっとしている自分がいました……」

6月25日。面会に行くと、

「看護師が怒る、帰りたい」

と夫。

「確かに対応してくれた看護師さんは、言い方がきつい人でした。お金は払ってあるのに、言わないと着替えをもらえないそうで、部屋には水もありません。歯磨きもしていないと言うのでしてあげて、主治医に話して、便秘が治ったら退院させようと思いました」

6月26日。笠間さんは、主治医と2人で話した。

「去年10月に切除し、4月のCTではなかったのに、昨日撮ったものにはまた肝臓にたくさん転移している。しかも肺にも転移がある。あと2週間くらいかもしれません」

写真=iStock.com/nopparit
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笠間さんは頭が真っ白になった。

「毎週のように通院していたのに、こんなに急に余命を宣告されるとは、思いもしませんでした」

■緩和ケアと在宅介護

主治医に「緩和ケアに入りますか?」と聞かれ、見学をしてみたが、入れる気はなかった。

「夫は余命を、楽しいことをして過ごしたいと言っていましたし、私の中にも夫と離れるという選択肢はありませんでした。それに緩和ケアは、入っている人が高齢者ばかりで、死を待つだけの生活になる気がしたのです」

在宅看取りをする決意をした笠間さんは、すぐに介護ベッドを手配。6月の初め頃に介護認定調査を受けたばかりで、まだ結果が出ていなかったが、待てなかった。

「介護認定が下りる前になくなってしまったら実費ですが、そんなことを言っていられません。『ここからが私の踏ん張りどころ!』と気合を入れました」

6月29日。退院の日は大雨だった。

車椅子を押して、傘をさして、酸素吸入器も転がさなくてはならない。息子が学校を休んで手伝ってくれたおかげで助かった。

写真=iStock.com/nicolesy
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帰宅すると、夫は会社に連絡していた。便秘で入院するまで、夫はテレワークで仕事を続けていた。その後、夫に病状を説明し、口座凍結に備え、預金を引き出しにいく。

自宅に戻ってきた時は肩を貸して歩いていたが、10日後には歩けなくなり、家の中でも車椅子に。ほぼせん妄状態で、まともな会話はほとんどできない。その10日後、ベッドから起き上がることもできなくなり、完全に寝たきりになった。

7月に入り、笠間さんの母親と姉夫婦がお見舞いに来てくれた数日後、夫の両親と叔母、妹が来てくれた。その後、夫の友達も来てくれた。

7月11日。介護認定が下りた。要介護3だった。

「認定調査ではできたことが、認定結果が出た頃にはできません。すでに要介護4に値するレベルだったと思います」

介護ベッドなどは利用したが、笠間さんは自分でできることはいいと思い、訪問看護もヘルパーも頼まなかった。

ところが7月12日。ポジティブだった夫が初めて「もうだめだ」とこぼした。再びオキノームを20mgに増やす。

その晩、笠間さんがシャワーを浴びにいっている間に夫は酸素吸入器を外してしまった。見ていないとすぐに外してしまうため、笠間さんはかれこれ10日以上、ゆっくり湯船に浸かれていない。笠間さんがつけるように言っても、夫はつけないの一点張り。しばらく2人で言い合っていると、突然夫は電話すると言い出し、あろうことか110番にかけると、

「助けてください! 脅されています!」

と叫んだ。

びっくりした笠間さんはすぐに受話器を奪い、

「すいません! ガンの末期でせん妄が出ていて、何なら確認しにきていただいてかまいませんが、何もしてません!」

と言うと、警察も夫の呂律が回っていなかったため信用してくれた。

その後、今度はガタガタと介護ベッドを壊そうとし始め、笠間さんが「やめて!」と制するも聞く耳を持たない。バイトから帰宅した息子が穏やかに説得するも、床に寝転がったまま、「どーしてうちには親父がいないのか?」と意味のわからないことを口走る。笠間さんが「親父はあんただろ⁉」と言っても納得しない。

2時間説得の末、ようやく酸素吸入器をつけてくれた時、血中酸素飽和度は82。血中酸素飽和度とは血液中の酸素の量の事で「SpO2」と呼ばれている。値は%で表し、血液中の酸素の濃度が満タンだと100%、正常値で99〜96%と言われる。

■余命から2週間と2日

在宅介護を始めてから、笠間さんは夜中も夫にトイレに行きたいと起こされ、まとまった睡眠が取れずにいた。

朝6時に起き、夫のバイタルチェックをし、朝食を用意。7時には息子を起こし、夫に医療用麻薬を飲ませ、8時には清拭、歯磨き、着替えをさせ、その後も2時間おきに医療用麻薬を飲ませる。

昼は食べられそうなら食べさせる。

夫は寝ている間に暑いのか、服もオムツも脱いでしまうため、何度も着せる。オムツなしでオシッコをしてしまった時は、着替えやシーツ交換をする。

夫が眠ったら、その隙に30分で買い物へ行く。19時頃、笠間さんが10分でシャワー。20時頃に夫に夕飯を食べさせ、笠間さんと息子も夕飯。21時に歯磨きをさせ、一緒に就寝。

買い物やシャワーの時、笠間さんが目を離すと、夫はたいてい酸素吸入器を外し、服もオムツも脱いでオシッコをしてしまっていた。

7月22日。何度言っても服やオムツを脱いでしまう夫にイライラしてしまう笠間さんは、

「怒らないで! 怖い!」

と夫に怯えられた時、ハッとした。

「私の心が壊れてきていて、これはもうダメだなと思ったので、訪問看護をお願いしました。夫と息子以外の人と話せるだけでも救われました」

しかし7月25日。またしても服とオムツを脱いでの放尿。頭に来た笠間さんは、泣きながら暴言を吐いていた。

その後、仲の良い友達2人に「もう嫌だ。ダメだ」とLINEをすると、マクドナルドのハンバーガーやチョコレートを持ってきてくれた。1人はヘルパー歴25年。「これなら放尿されても被害が抑えられるよ」と、介護ベッドのマットの下にレジャーシートを敷いてくれた。

写真=iStock.com/-lvinst-
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「3時間くらい喋ったら、また頑張れそうな気がしてきました。下の世話が一番大変です。むしろそれだけに苦労していたように思います」

夫はもう、せん妄により意思疎通もできなくなっていた。訪問看護師は、

「ご主人の状況はかなり大変なのはわかるので、レスパイト(家族や介護者の休養を目的とした短期入院)を予約して休んでくださいね。先生も心配していました」

と言ってくれた。

7月25日。ついに限界を感じた笠間さんは、ヘルパーを毎日頼むことにした。

26日。寝ているはずの夫から変な声が出始め、しゃっくりまでし始めた。死前喘鳴(しぜんぜんめい)(※)だと思った笠間さんは、17歳の息子にそろそろだと伝えた。

27日未明。夫は息を引き取った。58歳だった。結局ヘルパーは利用できずに終わった。

※呼吸気時に咽頭や喉頭の分泌物が振動して発生する“ゼイゼイ”“ゴロゴロ”という呼吸音

■介護はきれいごとでは済まない

「6月はじめのころは、たまに言葉が出てこないものの、変わらず優しい夫でした。『いつもありがとう』と感謝の言葉をよく言ってくれる人でした。でも在宅介護を始めた後は、『大好きだった優しい夫はもういないんだ』と思いました。あっという間に進行して亡くなったので、正直、介護にやりがいはなく、喜びもありませんでした。ただ最後は家族に囲まれていってほしかったので、自宅で亡くならせてあげたいという一心でした」

膵臓がんの手術を受けたのは2018年7月。ちょうど6年経っていた。

「介護は本当に、きれいごとでは済まないですね。長期にわたると心が壊れます。最初、私は自分でできると思って頼みませんでしたが、訪問看護師さんもヘルパーさんも、利用できるものはしたほうがいいと思い直しました。また、夫は進行が早くて、いつ亡くなるか不安だったのでできませんでしたが、レスパイト入院も利用して、無理はしないでほしいと思います」

おそらく笠間さんは、主治医に余命2週間と言われたこともあり、「2週間なら自分で介護し、看取ろう」と思ったのだろう。しかし2週間を過ぎ、さらに夫のせん妄はひどくなり、言葉も通じなくなってしまった。こうなると、親しい間柄であればあるほど感情が先立つだけでなく、介護技術もない場合、体力も精神力も削られていく。

多くの人は、自分に余裕がないと他人に優しくできない。介護する側に余裕がある状態を保たなければ、被介護者に優しく接することはできないのだ。このことを念頭に、常に7〜8割の力で被介護者に向き合えるよう、自身をコントロールすることが、介護者にとって最も重大かつ難しい仕事と言える。そのために、先んじて訪問看護師やヘルパーなど、使えるものは使える状態にしておくことが大切だろう。

「在宅介護に不安がなかったわけではありませんが、誰かに介護をしてもらうのは私も嫌でしたし、夫も嫌だろうと思ったんです。介護ヘルパー歴25年の友達がいるので、夫の退院前には、清拭の仕方などをレクチャーしてもらいました」

現在、笠間さんは夫の相続手続きなどの処理をしながら、介護の資格を取る学校に通い始めている。

「こんなに大変だった介護なのに、もっとうまくできたんじゃないかと思い、自分のしてきたことが正しかったのかどうか、介護のことをもっと知りたくて通うことにしました。介護職に就くかどうかはまだわかりませんし、将来の夢は、今はありませんが、とにかく相続手続きを全て終わらせたら、働きに行きたいです」

笠間さんは夫の写真でアクリルスタンドを作り、夫の大好きだったディスニーランドや外食、旅行に行くときに、一緒に連れて行っている。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)