ガーシュウィンの知られざる魅力を一夜で表現!菊池亮太×和田一樹が挑む『コンチェルトシリーズ 菊池亮太 ガーシュウィンの世界』

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今年2024年、ガーシュウィン作曲《ラプソディー・イン・ブルー》が初演から100年を迎えるのを記念して、『コンチェルトシリーズ 菊池亮太 ガーシュウィンの世界』が11月1日(金)、東京オペラシティ コンサートホールで開催される。ソリストの菊池亮太は、正統派クラシックの演奏はもちろん、ジャズやポップス、ロックなど多彩なジャンルによるアレンジや即興演奏でも人気を集めるピアニストだ。和田一樹の指揮で、タクティカートオーケストラと共に、《ラプソディー・イン・ブルー》、《ピアノ協奏曲 ヘ調》、《セカンド・ラプソディ》、そして《アイ・ガット・リズム変奏曲》という4つのピアノ協奏曲で、全曲ガーシュウィンのプログラムに挑む。

公演まで1ヶ月を切ったこの日、指揮の和田一樹と菊池亮太に、今回の公演にかける思いやガーシュウィンの魅力について語ってもらった。

《ラプソディー・イン・ブルー》だけじゃない! ガーシュウィン作品の魅力を届ける一夜

--一晩でガーシュウィンのピアノ協奏曲を4曲演奏するという、ものすごくチャレンジングなプログラムですが、どのようなきっかけからこの企画が生まれたのでしょうか?

菊池:昨年、一人の作曲家の複数のコンチェルトを一晩で演奏するコンサートに取り組まれているピアニストの方々がいらっしゃり、コンサートの企画をされている方から「菊池さんもコンチェルト祭りやらない?」と言われたことがきっかけです。僕が演奏するならどの作曲家がいいんだろうと考えて、今年がちょうど《ラプソディー・イン・ブルー》の初演100周年ということで、ガーシュウィンが良いんじゃないかと提案しました。ノリノリで「やりましょう!」とお返事したものの、ことの重大さに翌日から頭を抱えることになりました(笑)

和田:菊池さんのオール・ガーシュウィンはぜひ聴きたいですよね。ガーシュウィンといえば、どうしても《ラプソディー・イン・ブルー》だけがダントツで演奏されているので、今回その他の《ピアノ協奏曲 ヘ調》、《セカンド・ラプソディ》《アイ・ガット・リズム変奏曲》をお客さまに聴いていただけることもうれしいですよね。

菊池:本当に《ラプソディー・イン・ブルー》以外も素晴らしい曲なんですよ。もっと演奏されるべき曲だとずっと思っていたので、全曲を一気に演奏することでガーシュウィンを取り巻く環境のターニング・ポイントになればという願いをもって取り組んでいます。

和田:オーケストラとしてもレパートリーが広がるのは素晴らしいことですからね。作品は演奏されることで育っていく面がありますから。

--ガーシュウィンのどのようなところに魅力を感じていらっしゃいますか?

菊池:ガーシュウィンは39歳の、ちょうど今の僕と同じぐらいの歳頃に亡くなっているんです。短い人生を駆け抜けた感じが作品にも表れていると思います。例えば、リストは生涯が長かったので、晩年は社会に対して自分が音楽で何を還元していくかといったことを考えながら作曲している印象が強いのですが、モーツァルトやガーシュウィンは、とにかく自分ができることすべてをやり尽くした作曲家だと思うんですよね。だから、和田さんがおっしゃったように、今生きている人間としてそういった作品をより多くの方に知っていただきたいと思います。

演奏することについては、飛び込みやすい作曲家だと感じています。僕は、子どものころからクラシックを勉強していた一方で、ジャズやロック、即興演奏など他分野の音楽に興味を持ち始めるのも早かったんです。そういった自分のルーツみたいなものを受け入れてくれる数少ない作曲家の一人だと思っています。自然体で演奏できるというか。

高校時代に、同級生がエレクトーンでオケパートを弾いて《ラプソディー・イン・ブルー》を演奏したことがありました。当時弾いた、めちゃくちゃなカデンツァを同級生が面白がってくれて、自分の演奏スタイルを肯定されたような気がしました。その出来事が今に至る大きなモチベーションになっています。

--菊池さんもガーシュウィンも、クラシックと他ジャンルが融合したアーティストだから、演奏のしやすさがあるのでしょうか?

菊池:《アイ・ガット・リズム変奏曲》なんて、ガーシュウィン自身のジャズナンバー《アイ・ガット・リズム》をオケとピアノ用に編曲した作品ですが、複旋律の入り方がラヴェル的だったりと、ジャンルや様式を超えた雑多さがある。そういう感じが自分とも重なるので、より自分らしい演奏ができる気がします。

でもそれだけではなくて、もっと雑多な感じというか、1920年代のアメリカの「ごちゃごちゃした」感じがすごく僕の肌にあっているんですよ。例えばクラシックの世界では印象派の作曲家がまだ生きている一方で、ストラヴィンスキーやシェーンベルクが現れ始め、ジャズも生まれてという混沌とした時代です。そういった背景がガーシュウィンの音楽にも投影されていると思うんですよね。

和田:ヨーロッパでもガーシュウィン以前に、バルトークが民族音楽をクラシックに取り入れたり、プッチーニが日本の音階を取り入れたりと、クラシックが新しいものにどんどん進化していった時代でもあります。

そしてガーシュウィンはアメリカ音楽が世界的に認められるようになった最初期の人でもありますよね。指揮者にとっては、「アメリカもの」といったらまずガーシュウィンを勉強しなさいと言われるぐらい、アメリカ音楽の源流となっている作曲家です。

--時代だけでなく、ガーシュウィン自身もポピュラー音楽からキャリアが始まったので、スタイルに変遷のある人という感じもしますね。

菊池:そうですね。《ラプソディー・イン・ブルー》のオーケストレーションはガーシュウィン自身が手掛けていないし、翌年に書かれた《ピアノ協奏曲 ヘ調》もまだ若さが感じられて、全体の和声も意外とシンプルだったりするんです。でも《アイ・ガット・リズム変奏曲》や《セカンド・ラプソディ》になると、和声がより入り組くんで、近現代の作曲家やラヴェルに影響を受けていたようなところが際立ってくるんですよね。

--ガーシュウィンの変遷も辿れるプログラムになっているということですね。

和田:プログラムのなかで目立つのは三楽章で構成されている《ピアノ協奏曲 ヘ調》かもしれませんが、《アイ・ガット・リズム変奏曲》は10分程度の曲で、短いけれど内容がどんどん濃く、作曲技術が上がってくるんです。そんなところも楽しんでいただきたいですね。

>(NEXT)コンチェルトを4曲も! どう挑む?

コンチェルトを4曲も! ピアニストと指揮者はどう挑む?

--なかなか挑戦的なプログラムですが、どのように準備されていますか? 公演までついにあと1ヶ月を切りました!

菊池:緩急はあっても全体的にテンションの高い作品だし、オーケストラもバリバリ来る4作品。タクティカートオーケストラさんとは去年、ご一緒させていただいて、若手演奏者の方々で勢いがある分、僕もスタミナを維持しなければと思っています。なので、今ジムに2日に1回通って、有酸素運動と筋トレをしています。

--そういった取り組みは初めてですか?

菊池:そうですね。これだけ気力、体力においてシビアな状況に置かれたことはこれまでありませんでしたから(笑)。分厚いオケをバックに弾き続けないといけないし、即興的な面もあるので、脳みそを何重にも駆使する必要があります。即興部分は、本当にその場で生まれた即興を弾こうと思っています。

それと、朝、指のストレッチをしたあとの起き抜けに4曲を通して弾くというトレーニングもしています。指も動かないし、頭がぼーっとしていても、ちゃんと弾けるかどうかのトレーニングですね。これはいつもリサイタル前に必ず取り組んでいることでもあるのですが。

和田:そんな亮太さんが安心して弾けるような状態にするのが僕の務め。亮太さんもおっしゃったように、タクティカートのメンバーは本当に威勢がいいから、亮太さんとの橋渡しをうまくしたいですね。マラソンの監督みたいに、指揮台の上から亮太さんに対してアンテナを張り巡らしておきたいですね。

菊池:ありがとうございます。そう言っていただいて安心しました。走り抜ける気で挑みたいと思います!

ガーシュウィンの難所

--4曲を通す体力的な難しさもあると思いますが、ガーシュウィン作品そのものの難しさや楽しさを教えてください。

菊池:ガーシュウィンは、作曲もピアノも独学の人なので、それゆえの型破りな難しさがあります。例えばピアノ技法的に「そんな連打無理じゃない?」と思わせるような、強引な手法を使ったりもしています。でもその強引なところが良さでもあって、だからこそ自由でもある。

例えば《ピアノ協奏曲 ヘ調》の第2楽章は、転調が自由で、和音の使い方も近現代のクラシックから影響を受けていると思いきや、和音の重ね方がジャズのようだったりと、そういう感覚に自分自身がオープンでいる必要があります。そんなところが楽しくもあり、難しいところでもあります。

予想のつかない展開に連れていかれることもあるので、心身ともに柔軟に向き合えるかが課題ですね。身体の使い方にしても打楽器的な要素を求められます。ジャズやポップスのように打楽器的に弾く手法がガーシュウィンでも用いられているのですが、そういった奏法に慣れている僕でも、ガーシュウィンの要求に驚くことがあります。

和田:でもガーシュウィンのそんなところが、菊池さんにまさにぴったりだと思いますよ。サービス精神も二人とも旺盛ですしね。

今、亮太さんがおっしゃったことも含め、僕の経験上、ガーシュウィンの音楽は、楽譜に書かれていないニュアンスがあって、それを演奏するのが難しいんですよね。でも今回それを、ピアニストである亮太さんがオケに示して、牽引してくれるんじゃないかと期待しています。オケが自然と亮太さんの「喋り方」に合わせられるんじゃないかって。

菊池:「喋り方」かぁ。確かに、英語っぽい感じがしますね。
音楽の言語という話だと、ガーシュウィンはクラシックの人もジャズの人も弾きますよね。クラシックもジャズも、演奏するための特有の言語があるけれど、どういった言語でも演奏できる稀有な作品が《ラプソディー・イン・ブルー》なのかもしれないという印象があります。

他の3曲は曲そのものがユニークですけど、奏者に委ねられているというよりは、作品そのものがジャズとクラシックがクロスオーバーしていますね。《ラプソディー・イン・ブルー》はソリストとオーケストラの化学反応によってクロスオーバーされる作品でもあるし、正統派コンチェルトにもなり得る曲なのではないでしょうか。

和田:たしかに、どちらにいっても面白いですね。

>(NEXT)時代を象徴するガーシュウィンの存在

時代を象徴するガーシュウィンの存在

--今、《ラプソディー・イン・ブルー》のお話が出ましたが、《ピアノ協奏曲 ヘ調》はいかがですか? 初演時にはクラシックかジャズかで評価が分かれ、ストラヴィンスキーは絶賛し、プロコフィエフは拒絶反応を示したというエピソードが残っています。

菊池:ガーシュウィンは名前の通り、意欲的なクラシックの曲として発表して評価されたかったのだろうと思うんですよ。でも、ガーシュウィンがポップスから作曲を初めていることもあって音楽自体は非常にポップ。そして、彼自身がオーケストレーションを自分で作り始めた最初期の作品なので、非常に手探りだと思うし、作品そのものにそうした試行錯誤の跡が見えるんですよね。

だから僕はこの曲を演奏するにあたって、ピアノ・トリオとオーケストラでやってみたいというわがままを言ってみたんです。今回それはちょっと難しくて実現には至らなかったけど、例えばもし第3楽章にドラムが入っていたら16ビートの曲になると思うので、間違いなく作品の可能性がさらに広がるんじゃないかって。

だから完成している作品でもあり、完成しきっていない作品でもあると思います。ただ僕は2楽章の一番エモーショナルなところを聴くととても感動します。だから分類や賛否は置いておいて、素晴らしいメロディの作品です。

和田:当時はクラシックとそれ以外の音楽との出会いの時代だったのだと思いますね。コルンゴルトがアメリカに亡命して映画音楽を手掛け始めたら、「クラシックの作曲家ではなくなった」とみなした人たちもいましたよね。それにしてもクラシックを破壊するかのようなサウンドを作ったストラヴィンスキーが絶賛したというのは面白い話ですよね。

菊池:本当に。ストラヴィンスキーとプロコフィエフというところが象徴的ですよね。ストラヴィンスキーは《春の祭典》で大バッシングを浴びつつも、そういう作品を作り続けた前人未到の人。一方でプロコフィエフは作風こそ近現代的ですが《ピーターと狼》なんかを聴くと古典的部分が核にあった人だと思うので、抵抗感をもったのかも。わかりやすい対比になっていますね。

和田:プロコフィエフはもしかしたら嫉妬したのかもしれないですね。そういった意味でも、ある意味、クラシック音楽の転換期でもあった時代を象徴する曲かもしれませんね、《ピアノ協奏曲 ヘ調》は。

菊池:定義付けの話をすると、ガーシュウィンは未だに純然たるクラシックではないというところにフォーカスされすぎているような気がします。かつてラフマニノフが映画音楽的と言われていたり、カプースチンが変わり種のようにみなされていましたが、今はそうは思われていませんよね。だからガーシュウィンもさまざまな音楽の視点を与えてくれる作曲家として、《ラプソディー・イン・ブルー》以外の作品も頻繁に演奏されて、楽しんでいただける作品になったらいいなと思います。

和田:今回、亮太さんの演奏でガーシュウィン作品4曲を聴けるという豪華さもありますが、なによりも亮太さんのガーシュウィンへの強い愛情があります。それをオケと一緒に受け止めて、楽しい演奏にしたいと思っています。

取材・文=東ゆか