Illustration: Angelica Alzona/Gizmodo

他人の夢にアクセスするのは、理論的には不可能じゃない?

夢の話はつまらない、しばしばそんな風に言われるけれど、その原因がテクノロジーにあるとしたら?

感覚を共有する手段として、言葉というメディアは完璧なモノではありません。意図的にしろ、そうでないにしろ、言葉の説明だけでは感覚を100%伝えられないこともあるでしょう。

もしも自分が経験したままに、自分の夢を他人に見せられることができたなら、夢の話はつまらないなんて言われることは、なくなるかもしれません。

夢について扱った作品は昔からSFの定番でしたが、いまやそうしたSFの領域に現実が近づきつつあります。他者の夢を体験することも、現実になりうるのではないでしょうか。これについて、複数の専門家に意見を聞いてみました。

神経活動の解読が重要?

眼科学、神経学、生理学および薬理学の教授であり、知覚、眼球運動、認知神経科学にまたがる研究をしているスサナ・マルティネス=コンデ氏は以下のように語ります。

他人の夢の内容にアクセスし、視覚及び感情的なデータを抽出することは、理論的には不可能ではありません。我々の夢は、脳の神経活動であり、普段の生活で生じる感情的、知覚的な経験と特別な違いがあるわけではないのです。夢を見ている間だけ、活性化する神経回路や脳の領域なども存在しません。

ここでの大きな問題は、技術というより、まだ神経の情報を真に解明できていないという点にあります。技術がどれだけ早く進歩したとしても、そもそもの神経生理学を理解しなくてはなりません。我々はまだ、経験を神経活動として解読するには至ってないのです。

また、理論はあっても、それは確証を得たモノではありません。例えば、前頭前野が意識的な経験に重要なのかという点についても、まだまだ議論の余地があります。神経活動の解読にはまだまだ時間がかかりそうです。

しかし、もしいつか人類が、神経活動などの生命の機能を理解し、相応のテクノロジーを手にする日が訪れたならば、意識をコンピューターにダウンロードして、永遠の命を得ることや、夢を共有したりすることも可能になるでしょう。

夢はそれまでの記憶や経験に起因する

ハーバード大学医学大学院の精神医学の教授で、睡眠について研究をしているロバート・スティックゴールド氏。彼は、夢の共有について、このように語ります。

少なくともこのサイトを読む皆さんが生きている間には、夢の共有は不可能でしょう。

考えてもみると、「自分の考え」を、完璧に共有すること自体ほとんど不可能です。例えば、会話が始まると、いろんな話題が頭の中に生じては、そのうち一つを選択して話しています。ここで思い浮かんだ話題も全て「自分の考え」の一部です。

しかし、現在では、完全に目が覚めた状態の人でさえ、fMRIスキャナーで何を見ているかを判別するのが精一杯でしょう。

より哲学的なレベルでは、夢や考えというモノは、全体的な記憶や人生の経験に起因しています。他者と表面的に同じアクションをしても、その人と同じ経験や考えを得られるわけではありません。

やはり、近いうちでの夢の共有は実現しないと考えます。

同じことをしても得られる経験は人それぞれ

MITメディアラボのリサーチアシスタントで、脳科学を研究しているアダム・ハー・ホロウィッツ氏。彼の意見は以下の通りです。

夢の共有は可能か?多くの科学がそうであるように、この疑問は更なる疑問への扉です。夢を共有するためには、夢を定義し、その形を明らかにする必要があります。

夢を定義するのは視覚なのか、共有する夢とは視覚情報なのか。もしそうなら、私たちの心に同時に同じ人物のイメージが浮かんだ時、それは夢を共有していると言えるのでしょうか。

私の考えでは、それは夢を共有しているとは言えません。夢は記憶の集合体であり、それは常に個人的なコンテクストに由来する概念です。したがって、二つの心に同じ感覚的な刺激があったとて、それは各々で全く異なる経験かもしれません。

同じソファで、同じ映画を見ている時でも、相手と同じ映画体験をしているかは、わからないということです。哲学的に、なかなかややこしい質問ですね。

とはいえ、実際にはそれほど難しい問題でもありません。

脳の画像を使って、夢の映像を解読するという技術は現在研究されています。さらに、他の研究では、眼球の動きを使って、明晰夢を見ている人と、意識の状態を超えてコミュニケーションができることが示唆されています。Fluid Interfacesというグループの研究では、特定のテーマの夢を見ることができると示されています。表面的には夢の世界と外部の世界の距離は縮まりつつあるのです。

しかし、科学者が、夢を捉え、観察し、再現するような客観性のあるツールを作り出しても、夢を完全に理解するには、主観的な「経験」や「自己」を明らかにする必要があります。夢を共有するには、私たちの自分自身の全てを共有しなくてはならないのです。

夢は外的な要素も影響する

ヨーク大学の哲学教授、夢などの分野を研究しているT・W・C・ストーンハム氏とヨーク大学の哲学研究員、R・A・デイビス氏は、次のように考えています。

夢を共有する手段について、少なくとも二つの方法があります。一つは同じ夢を見るということ、そしてもう一つは高度な技術を用いて他人の夢を見るということです。

夢の共有の例は、現代のアフリカの文化に見ることができます。他人のために夢を見るといった風習や、夢を通じて、一方からのメッセージを第三者に伝えるというような風習が存在するのです。また、メソポタミアやエジプト、ギリシャなど、古代文明でも、患者と司祭の両方が同じ夜に同じ夢を共有するという例が見られます。

現代の西洋に広く見られる一般的な見解では、これらの方法で夢を共有することは、偶然、暗示、あるいは夢のスキャンなどでもない限り不可能だと思われています。夢は基本的に睡眠中のプライベートな経験であり、起きている間のコミュニケーションでのみ共有できると考えられているのです。

しかし、私たちの研究では、こうした西洋での一般的な考え方は間違っていることが示唆されています。この考え方では、予知夢や、現実の感覚や環境が夢に与える影響、食べ物と悪夢の関係などの現象が簡単には説明できません。

我々は、夢は文化や社会が影響し、体調や知覚から構築されると考えています。この視点では、夢は多くの外部要因が影響するモノという認識になります。

つまり、夢の内容は全てにおいて、プライベートな経験に由来するというわけでもないのです。もし私たちの考えが正しければ、夢のスキャンで明らかになることは多くはないでしょう。

夢は人が置かれている社会や文化の影響を強く受けるため、眠っている人の脳の活動を調べて得られる生物学的な情報は、夢の内容とはあまり一致しないと予測します。

しかし、違った意味での夢の共有については希望があります。原理的には、睡眠中の人々に同じ生理的、環境的変化を誘発することで、複数の人々に「類似した」夢を見せることができるかもしれません。

ただし、年齢、健康状態、食事、社会的要因、文化的な考えの違いなどが夢の内容に違いをもたらす可能性もあるため、被験者は慎重に選ぶ必要があります。

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