寺地拳四朗 単独インタビュー前編

 元WBAスーパー、WBC世界ライトフライ級王者・寺地拳四朗(B.M.B)が2階級制覇に向けて動き出す。ライトフライ級で長く王者として君臨したが、次戦でフライ級進出が決定。10月13日、有明アリーナでのWBC世界フライ級王座決定戦でクリストファー・ロサーレス(ニカラグア)と対戦する。寺地が優位と目されているが、減量苦から解放された32歳がどんなボクシングを見せてくれるか楽しみだ。

 23勝(14KO)1敗という見事な戦績を積み重ねてきた寺地は、ユニークな個性を持つボクサーとしても知られる。いわゆる「ハングリーな古典的ボクサータイプ」ではなく、掴みどころのない性格。これだけの強さを示しながら、「もともと世界王者を志してボクシングを始めたわけではなかった」という。

 次戦が発表される前に実現した単独インタビューの前半では、寺地がボクシングを始めたきっかけや、徐々にハマっていた経緯を語ってもらった。


フライ級に転向し、10月13日に王座決定戦を行なう寺地 photo by 福田直樹

【ボートレーサーになるために始めたボクシング】

――ボクシング人生を少し振り返ってほしいのですが、ボクシングを始めたきっかけから教えていただけますか? OPBF東洋太平洋ライトヘビー級王者だったお父さん(寺地永)の影響というわけではなかったとのことですが。

寺地拳四朗(以下、KT):そうですね。中学3年の時に「行ける高校がない」と先生に言われて、「ボクシングをすれば(スポーツ推薦で)行ける」という話になったんです。それで、じゃあやるかと(笑)。もともとボクサーよりもボートレーサーになりたかったんですけど、ボクシングで日本ランキング5位以内に入ったら競艇選手になるための特別推薦がもらえると聞いたんです。

――ボートレーサーに憧れた経緯は?

KT:従兄弟がレーサーなんですけど、賞金がいいんです。50歳を超えてもできる選手寿命の長さも魅力でした。「ボクシングで日本5位ならいけるかもしれない」と思い、プロになろうと決めたわけです。だから当初は、世界王者を目指していたわけではなかったんですよ。

――プロデビューしたのは関西大学卒業後の2014年でしたが、当時の練習量はどうだったんですか?

KT:練習はちゃんとやっていましたよ。ただ、ボクシングが好きだったわけではなく、ボートレーサーになるための"仕事"としてやってました。

――そんな経緯で始めたボクシングで、2017年には世界王者に。初めて世界タイトルを獲った時はどうでしたか?

KT:自分でも世界王者になれると思っていたので、「やったー」という感じ(笑)。ただ、そこで「今後もボクシングでやっていこう」という気持ちにはなりました。世界王者にまでなって、「ボートレースはもういいかな」と。その時点ではボクシングが好きというより、「自分に向いているからこのままやろうかな」という感覚でしたね。

【ボクシングに見出した「楽しさ」】

――やはり寺地選手は異色の世界王者ですね(笑)。ボクシングが楽しいと感じるようになったのはいつ頃でしょうか?

KT:世界チャンピオンになって、防衛しているうちに徐々に楽しさがわかってきました。特に、三迫ジムにお世話になるようになって、加藤(トレーナーの加藤健太氏)さんと一緒に練習するようになってから、知識がどんどん増えていったんです。技術的なことや身体の使い方とか、新しいことが見つけられるのが楽しいですね。それまでもたぶんできていたんですけど、理解せずにやっていました。それらを理解することで、より動きがよくなったと思います。

――加藤トレーナーと一緒に戦略を考え、実践するんですか?

KT:だいたい加藤さんが考えてくれていますけど、それを自分も理解できるようになってきたという感じです。まだまだボクシングには自分が知らんことがいっぱいあるんでしょうね。だから今では、そういうのを見つけるのが楽しいし、できるようになっていくのも楽しい。昔よりボクシングが好きになりましたね。

――以前は、「加藤さんにまるで操られているかのように、指示どおりに動いている」と話していました。今はいかがですか?

KT:変わりませんけど、「自分でも考えられるようになったほうがいいな」とは思います。指示されたことは実践できますが、それはセコンドに戻らなければわからない。試合中の変化を自分で感じられるようにならないといけないと思っています。「もうちょっと、自分でやらにゃいかん」と思う部分です。

――加藤トレーナーに対して、全幅の信頼を置いているのが感じられます。

KT:言うとおりにやっていれば勝てると信じています。加藤さんが言っていることは正しいし、的確やし、知識もすごい。そこはかなり信頼しています。

【父・永さんとの関係は?】

――過去にはアメリカでもトレーニングをしてきましたが、アメリカ修行のいい部分はどういったところでしょう?

KT:アメリカの"強さ"を体験できます。海外の強い選手は、日本人の強さとはまた違うんです。日本人はぴょんぴょん飛んでハイペースでパンチを出すイメージ。それに対して、海外の選手はズシッとしていて、ズドンとパンチを打ってくる。無闇にぴょんぴょん飛ばないからブレへんし、身体が浮きにくい。そういったスタイルを体験しようと思ったら、向こうに行くしかないんですよ。

――面白い表現ですね。確かにアメリカの選手はアウトボクサーであっても、特に最近は、それほど軽やかなフットワークは使わないイメージです。どっしりとしたスタイルが多いですね。

KT:日本にもファイターはいっぱいいますけど、また種類が違うし、アメリカのボクサーはディフェンスもうまい。ただ、日本人には日本人の強さがあるので、どちらが強いかと言われたらそれはわかりません。

――それぞれよさがあり、違う部分を感じられるのが大きいということですね。

KT:そのとおりです。マニー・パッキャオのスタイルは日本人の系列ですけど、それで勝ち続けていました。ただ、パッキャオは負けも多かったし、弱点もあるのでしょう。ひとつ言えることは、日本人のスタイルだとスタミナが大事になるということ。僕も同じですが、スタミナがなかったら勝てないボクシングなんだと思います。

――話は少し戻りますが、子供の頃にお父さんの試合を観た経験はあったのでしょうか?

KT:生で観たことはないですね。大学生くらいで初めて映像を観ました。大学の時の監督がたまたまビデオを持っていて、それを見せてもらったんですよ。唯一、負けた試合(後の世界ミドル級王者、竹原慎二との日本タイトル戦で2回KO負け)でしたけど。試合前にめちゃくちゃ睨み合ってて(笑)。あの姿は衝撃的でしたね。

――お父さんとボクシングの話はよくするんですか?

KT:父との関係は良好ですけど、ボクシングに関しては何も言わないです。昔からそうですけど、家でボクシングの話をすることはまったくない。試合後のアドバイスもあまりなかったかな。特に今は、東京(の三迫ジム)でお世話になっているから、変に口出しはしてこないです。スパーリングを見に来たりしますけど、見てすぐに帰る。熱い人じゃなく、あっさりしているんで(笑)。

――寺地選手の拳四朗という名前は『北斗の拳』にちなんでつけられたとのことですが、まだ一度も読んだことがないと聞きました。それは事実でしょうか?

KT:読んでないですね。あまり字を読むのは好きじゃなくて、漫画も読まないです(笑)。ニュースとかは携帯で読みますけど、一時期、読書にハマった時期以外は本は読んでません。飽き性でもあるので、何ごとも続かないんですよ。習いごととかも続かないなかで、唯一続いているのはボクシング。だからボクシングは向いてたんでしょうね(笑)。

(後編:フライ級転向の寺地拳四朗が語る次戦とその先 現役は「長くてあと2年くらい」>>)

【プロフィール】
●寺地拳四朗(てらじ・けんしろう)

1992年生まれ、京都府出身。B.M.Bボクシングジム所属。関西大学卒業後、2014年にプロデビュー。6戦目で日本王座、8戦目で東洋太平洋王座を獲得し、2017年、10戦目でWBC世界ライトフライ級王者になり8度防衛。2021年9月に矢吹正道に敗れ陥落するが、翌年3月の再戦を制し王座返り咲き。2022年11月には京口紘人を破ってWBA王座も獲得。今年7月、フライ級転向に伴い、WBAスーパー・WBC世界ライトフライ級王座を返上。10月13日クリストファー・ロサーレスとWBC世界同級王座決定戦を行なう。24戦23勝(14KO)1敗