「私たちが死んだ後はどうなるのか」元チャットモンチー・福岡晃子 4歳の息子が発達障害と診断され「その場で泣いてしまった」

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4歳の息子さんが発達障害自閉症スペクトラムと公表した元チャットモンチーの福岡晃子さん。バンドを完結後、東京から徳島へ移住し新たな生活が始まった矢先に待っていたものとは── 。(全3回中の1回)

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うちの息子は2月生まれだし

楽曲制作中の福岡さん

── 4歳の息子さんの子育てをされています。息子さんが発達障害自閉症スペクトラム)と公表されましたが、どういった経緯で発達障害だとわかったのでしょうか?

福岡さん:息子が2歳のとき、通っていた保育園の先生から「発達テストがあるから、興味があるなら受けますか?」って聞かれました。発達テストがどういうものか、よくわかっていなかったのですが、子どものことがわかるならいいかな、くらいで受けたんです。テストから3か月くらいして結果を聞きに行くと、保育園に定期的に来ている言語聴覚士の先生から「一回きちんと検査するという選択肢もあります」と言われました。

その場ではハッキリと診断名を言われた訳ではなくて。テストの項目は「姿勢・運動面」「認知・適応面」「言語・社会領域面」があったのですが、「運動面」だけ飛び抜けて数値が高く、ほかの項目との差が大きいと言われました。言語聴覚士の先生が少しオブラートに包んだ話し方をされていたので、私たちもよく理解できなかったんです。同席されていた担任の先生に、「これってそんなに気にしなくて大丈夫ですよね…?」と聞いたら、いつもニコニコしている先生が「病院で診てもらうことも選択肢としてみてもらえたら」と真剣な表情で言っている様子を見て、これはちょっと…と思ったのが最初ですね。

先生から「家ではどんな感じですか?」と聞かれても少し言葉が遅いくらい。息子は2月生まれなので、人より何かするのが遅くてもあまり気にしてなかったんですけど、それだけじゃなさそうだと。

── 病院で検査を受けるまで1か月程度あったそうですが、どのような気持ちで過ごしましたか?

福岡さん:周りの人たちにこの話をすると「ちょっとそうかなと思ってた」と言われて。「自分の子どもなのに、気づかなかったのは自分だけなのか」と、すごくショックだったし、動揺して何日も眠れない日がありました。

── 周りの方は、なぜ気づいていたのでしょうか?

福岡さん:たまたま自閉症の特性を知っている人が近くにいたのですが、数字に過剰に興味を示したり、何か見せたいものがあれば「あれ」と指すだけではなくて、大人をそこまでグイグイ引っ張っていったり。あと、バイバイするときは相手に手のひらを向けてバイバイするのではなく、自分に向けてバイバイするとか、見る人が見ると違和感があったみたいです。

でも、落ち込んでばかりでいられないので1か月の間に気持ちを切り替えよう。仮に発達障害と言われてもそういう特性なだけ。診断がついたとしてもうちの子は、昨日と今日で変わらないねと思って、病院で検査をして当日には結果を教えてもらいました。 

支援学校でライブをしていたはずが

息子さんと

── 病院で検査結果を聞くと発達障害自閉症スペクトラム中等度」と診断名が告げられました。

福岡さん:ある程度覚悟して行ったはずでしたが、いざ診断名を聞かされると全然、覚悟ができてなかったですね。どこかで違うだろうって思いたかったのか、その場で泣いてしまいました。診断を受けなければ今までと変わらず生活していたと思うんですよ。でも違う扉を開けてしまったような。そのときは将来の話まで説明を受けなかったのですが、帰宅して自分で自閉症について調べてみると「将来的には自立が難しい」と書いてあるのを見つけて、さらにショックで。私たちが死んだ後はどうなるんだろうって。

── 診断を聞いて、なかには自分を責めてしまう人もいるようです。どう受け止めましたか?

福岡さん:何が原因だったのか考えなくもなかったし、ショックを受けたのも事実です。でも、うちの子が悪いと言われているわけではないので、子どもに申し訳ないと思うのは失礼かな、とは思いました。

いっぽうで、チャットモンチー時代に友達の縁で、支援学校でシークレットライブをすることがあったんです。そのライブがすごくよくて、バンドが完結してソロになった後も活動は続けていたので、人よりそうした理解があると思っていたつもりでした。でも、自分の子どもが自閉症スペクトラムといざ診断されたからといって、ショックを受けちゃう自分にもショックで。「子どもたちを本当に理解していたかというと、していなかったんじゃないか。差別視していたんじゃないか」と思いました。

── ちなみに支援学校の子どもたちへのライブは、どんなところがよかったですか?

福岡さん:今までにない音楽の力を目の当たりにしました。子どもたちがお客さんとなってライブを観てくれましたが、みんなメチャクチャ近くまで寄ってきて踊るんですよ。もちろん今までたくさんライブをやってきて、どれも素晴らしかったんですが、みんな程よく周りに気をつかうとか、人との距離間を考える人たちの前でライブをすることが多かったんです。でも、支援学校のライブでは周りのことなんて気にしない。前にギュッと寄ってきてくれて、今までにない音楽の側面を感じたというか。子どもたちの気持ちが嬉しくて、その後も継続して活動をしていました。

── 周りの人には息子さんの診断を伝えましたか?

福岡さん:身近な人や近くに住んでいる人には伝えました。夫婦でも話しましたが、うちの子が自立できないなら、味方を増やすしかない。早く知ってもらって、何かあったときは協力してもらえるようにしておいた方がいいねって。上の世代の人たちは「治るんでしょう?」「病院に連れて行けばよくなるんでしょう?」といった反応もあったし、若い世代の人たちは学校にもそうした子がいるとか、自閉症の特性を知っている人も多かったですね。

── 自閉症と受け入れられたのはいつくらいからですか?

福岡さん:診断されて1週間後くらいには、気持ちが落ち着いてきたと思います。いろいろな情報や資料を調べながら、子どものことをもっと考えられるようになったのはよかったのかなと思います。すぐに全部受け入れるのは無理だとしても、徐々にですね。もともと切り替えは早い方なので、自分にとって1週間は長い方でした。夫も診断を受けるまでいろいろ考えたようですが、もっと切り替えが早かったです。時間と共にやるべきことが見えてきたんだと思います。

PROFILE 福岡晃子さん

ふくおか・あきこ。1983年生まれ徳島県徳島市出身。2002年よりチャットモンチーのメンバーとして活動し、2016年に徳島にイベントスペース「OLUYO」を開設。2018年にチャットモンチー完結後、2020年に完全に徳島に移住。ソロアーティストやバンドのプロデュース、作詞作曲などを手がける。結婚して1児の母。

取材・文/松永怜 写真提供/福岡晃子、weathershop