最盛期、40店舗以上あった「ジューサーバー」。派生したJRの「ハニーズバー」含め、コロナ禍でほとんどが閉店したが、再び増加し始めている。なお、写真はかつてあった西武高田馬場店(写真:カフェ提供)

関西にある『ジューサーバー』という店をご存じだろうか? ミックスジュースやフレッシュジュースが入ったミキサーがカウンターに並ぶ、いわゆる“ジュース・スタンド”だ。

明るいオレンジカラーの外壁がトレードマーク。一時は京阪電鉄駅ナカを中心に全国数十店舗まで拡大したが、コロナ禍に多くが閉店に追い込まれ、2023年には京阪京橋駅ホーム上、新大阪駅新幹線改札内の2店舗で営業を行っていた。


京阪京橋駅のホームにあるジューサーバー。客は電車を待つわずかな時間にジュースを購入していく(写真:筆者撮影)

だが2024年4月末、大阪・枚方市の遊園地『ひらかたパーク』内に3店舗目が開店した。これは復調の兆しなのか。コロナ前からの歩みと現在について、運営会社の株式会社カフェに話を聞いた。

京阪沿線を中心に、関東にもFCを出店

ジューサーバーの1号店が京阪淀屋橋駅コンコースにオープンしたのは2000年のことだ。京阪グループの株式会社京阪レストランという企業が立ち上げ、一気に店舗を拡大していった。

【画像12枚】コロナで新大阪、京橋の2店舗のみに激減していたが、今後は増える? 京阪ユーザーを中心に大阪府民に愛される「ジューサーバー」はこんな感じ

最盛期には丹波橋、枚方市、天満橋駅など京阪沿線を中心に、梅田地下街ホワイティうめだや関東圏にも出店。店舗数は40店舗程度にまで広がった。


トレードマークのオレンジカラーに「Juicer Bar」と入ったロゴは、かつて大阪のあちこちでみられた(写真:カフェ提供)

現在の運営会社である、株式会社カフェの取締役・寺村武史氏によると、店舗拡大のピークは2016年頃だったそうだ。東京近郊ではフランチャイズ展開もスタートし、これが当たってぐんぐん勢力を増した。

なぜこれほど急速に拡大できたのか。その理由は人件費が少なく、5坪あれば始められるビジネスモデルにある。投資のハードルが低く、失敗しても負債は少なく済むため、オーナーとの利害が一致しやすかったのだ。

一方でこの時期には、FCを運営する本部機能ができ、各店のジュースのクオリティを統一するために農協に依頼したり、専属バイヤーが地方に出張して旬の果実を仕入れる動きも。特に、一番人気のミックスジュースはオリジナルレシピを作り、それをFCを含めた全店に卸していた。

コロナで大ダメージ、短期間での急速な縮小

順調に拡張を続けていたジューサーバーだが、2020年、事態は一変する。青天の霹靂。コロナ禍が始まったのだ。「駅に人が激減」「マスクで覆っているため口を出せない」という状況に売上は激減。採算がとれなくなった店が次々と閉じられていった。そして、これに伴い本部機能も人員削減となった。

さらに、緊急事態宣言解除後も人の往来はなかなか戻らなかった。そのため、株式会社カフェが事業を承継した2022年には、大阪の店舗は京阪京橋駅ホーム上、京阪天満橋駅コンコース、新大阪駅新幹線改札内の3つだけに。東京は池袋と北千住の2店舗で、合計5店舗になっていた。

苦境はなおも続く。売上が戻らぬうちに食材の高騰が始まり、それに伴って商品もどんどん値上げしなくてはならなくなったのだ。結局、東京の2店舗は2023年に撤退。京阪天満橋駅のシンボルとして愛されていた店舗も、泣く泣く閉めた。最後まで残ったのは、京阪京橋駅ホーム上、新大阪駅新幹線改札内の2店舗だ。


東京東武鉄道 池袋駅の商業施設『EQUiA(エキア)』に入っていたジューサーバー。2023年に閉店(写真:カフェ提供)

話は少し本筋からずれるが、東京にはかつて、ジューサーバーとよく似た『ハニーズバー』というジュース・スタンドのチェーンがあった。筆者は出張時に時々見かけ、てっきりジューサーバーのFC店だと思っていたのだが(そう思っている関西出身の読者は多いのでは)、実態は大きく異なっている。


JR東日本系列の会社が運営していた「ハニーズバー」。ジューサーバーとは別の会社による運営だった(出所:Wikipedia)

元々ジューサーバーの東京店舗の多くは、JR東日本系列の子会社がFC契約で出店していたという。そのため、渋谷、上野、八王子などJR沿線に多かった。しかし後に、その多くが独自ブランドのハニーズバーに転換し、勢力を広げていったそうだ。

その後、ハニーズバーは、最盛期の2018年には44店舗まで増加。しかし、コロナ禍で店舗数が減少し、2023年8月31日をもって全店が閉店した。

3店舗目が開店し、売上は伸び盛りに

話を戻そう。ハニーズバーと同じく、コロナ禍で辛酸をなめ、40店舗から2店舗まで縮小したジューサーバーだが、今、ゆるやかに復調を遂げている。その証とも言えるのが2024年4月末の、ひらかたパークへの出店だ。再起をかけた3店舗目がなぜ、これまで実績のない遊園地内だったのか。

実は、株式会社カフェが事業承継した京阪レストランは、ひらかたパーク内にフードコートやクレープ店などの売店を運営していた。そして、「既存のスペース内にもう1店舗開店しよう」という話になったときに、「京阪沿線に多くの店舗があったことから、知名度があり、懐かしく思い出してくれるかもしれないジューサーバーを」という案が浮上したという。さらに、「ひらかたパークは長い歴史のある遊園地なので、レトロな雰囲気も合うのでは」という意見もあったそうだ。


2024年4月、遊園地『ひらかたパーク』内、観覧車ふもとの売店にオープンしたジューサーバー(写真:カフェ提供)

こうして3店舗になったジューサーバーの売上は現在、伸び盛りだ。ただ、食材の値上がりは変わらず激しく、この7月にも値上げをしたばかり。けれど、飲食代が軒並み上がっていて、高額でも購入するインバウンド客が増加していることもあり、値上げの影響は少ないそうだ。

このインバウンド客、新大阪駅新幹線改札内の店が特に多く、実に顧客の4割を占めるというから驚く。株式会社カフェの販売促進を担当する岸本綾乃氏は、「海外は牛乳が入ったジュースがあまりないのかミックスジュースは好まず、生しぼりリンゴやアサイーなどのストレート系ジュースを好まれる方が多いですね。900円程度と高額なXLサイズを頼む方もよくいらっしゃいます」と話す。サイズについては、日本人より大容量の飲料を注文することに慣れているからこそだろう。もちろん、ジューサーバーの採算も向上する。

さらに新大阪駅新幹線改札内の店では、「大阪を離れる前に、最後に名物のミックスジュースを飲んでおこう」と購入する需要もあるそうで、ひっきりなしに客が訪れている状態だ。7月の祝日はコロナ後では過去最大の売上で、人がよく移動する連休には、1日の売上が100万円を超えることも珍しくなくなったそうだ。


人の往来が多く、1日の売上が100万円を超えることもある新大阪駅新幹線改札内の店(写真:カフェ提供)

このようなジューサーバーの復活の理由は、少ない人数で効率的に回せる業態にある。新大阪駅構内など家賃が高い場所であっても、人件費が低いため、売上さえ出せれば利益が上げやすいのだ。この業態は、作業を「レジ」「提供」「作る」の3つに特化しているため成立している。

オレンジカラーの店舗は見た目もかわいく、大学生、高校生を中心に和気あいあいと働ける環境のため、アルバイト募集に集まる人数も多い。意外と男子学生も多く、一度入ったメンバーは大学卒業までなど、長期間働く人がほとんどだという。結果として、提供スピードの速さや、接客スキルの向上にもつながっている。


オーダーから提供までの時間は15〜20秒。会計をしている際、横で同時に別のスタッフがジュースを作っている(写真:カフェ提供)

この人件費の低さに対して、売上に対する原価率は少し高めだ。主力のミックスジュースなどは30%に達しているという。材料となる、国産のリンゴや小松菜は価格変動の幅が大きく、バナナやパイナップルなど輸入品も、円安の影響を受けやすいからだ。

だがそれさえも、人件費を抑えることで賄えるため、ジューサーバーは駅ナカ、駅周辺など通行量が多い場所なら十分に健闘できるのだ。「弊社ではカフェや居酒屋なども経営していますが、ジューサーバーはトップクラスに利益率が高い業態になります」と寺村氏は語る。


店舗や季節によっても異なるが、カウンターには、6〜8種類程度のジュースを入れたジューサーがカラフルに並ぶ(写真提供:カフェ)

さらに、立地によって客層が変わるため、価格やメニューも店舗によって微妙に変える工夫をしている。

例えば、昔からのリピーターのビジネスマンが多い京阪京橋駅ホーム上の店は、原価率高騰のなかでも値上げは抑えめだ。ひらかたパーク店は家族連れがスムーズに購入できることを意識して、通常R・L・XLの3サイズのところを、ワンサイズ・ワンコイン(500円)中心の展開に。さらにひらかたパーク店では、ホイップクリームやタピオカを使ったスイーツ系メニューも充実。新大阪駅新幹線改札内の店は、インバウンドに人気のフレッシュジュースを欠かさない。


現在のドリンクのサイズは、R・L・XLの3タイプ。以前はこれに加えて、ひと口で飲み干せるSサイズがあった(写真:カフェ提供)

ギリギリの忍耐が復活への架け橋に

ジューサーバーには今、大型商業施設など、リーシングの声がけが複数あり、前向きに出店を検討している。「次は新大阪駅のように人の往来が多く、待ち時間ができる立地で考えています。梅田や難波、空港などにも積極的に出店していきたいですね」と寺村氏。さらに、元々広く展開していた京阪沿線で空き物件に再出店することにも意欲的だ。

もしもコロナ禍で耐えきれず全店閉店していたら、現状のV字回復はなかった。社員も別部署などに異動したり、退職を選んだりして、ノウハウの継承もそこで途絶えていただろう。だがギリギリ2店舗をなんとか残せたことが、3店舗目のオープンやインバウンドという新たな客層の獲得、そして未来へとつながったのだ。


コロナ禍以前、京成高砂駅ナカで営業していたジューサーバー(写真:カフェ提供)

「コロナ禍、本当にしんどかったけど耐え抜きました。新大阪駅新幹線改札内の店は立地的になんとしても持っておきたかった店舗でしたし、京阪京橋駅構内店も、“京阪駅ナカの店”として愛されたチェーンですから、最低1店舗は残しておきたかったんです」と、岸本氏は苦しい思い出を噛み締めていた。

ジューサーバーの復活劇は、困難な時期を乗り越えるための教訓を示しているのではないだろうか。まず、核となる店舗を維持することの重要性。たとえ縮小を余儀なくされてもブランドの灯を消さないことが、将来の再成長のカギとなる。

次に、普遍的なビジネスモデルの価値。人件費を抑えつつ、高い利益率を維持できる仕組みが、厳しい経営環境下での生存を可能にしたのだ。さらに、立地や客層に合わせて柔軟に対応する姿勢も見逃せない。新大阪駅新幹線改札内の店でのインバウンド需要の取り込みや、遊園地への新規出店など、環境の変化に応じた戦略の転換が功を奏した。

いつの時代も、経営は危機に瀕することがある。そのとき、どの部分を守り、どこで変化を受け入れるか。「変わらないこと」と「変えること」のバランスを取りながら、粘り強く前進する。その姿勢こそが、ビジネスの持続可能性を高めるカギなのかもしれない。

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京阪天満橋駅のシンボル的存在だったジューサーバー。2023年に惜しまれながら閉店した(写真:カフェ提供)


ジューサーバーは、かつては東京東武鉄道 北千住駅の『EQUiA(エキア)』でも営業していた(写真:カフェ提供)

(笹間 聖子 : フリーライター・編集者)