(C)Yusuke Miyazaki

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国連持続可能な開発ソリューションネットワーク(SDSN)が2024年に公表した「世界幸福度レポート」によると、日本の幸福度は143カ国中51位で、前年の47位から4位下降しました。このような状況のなか、世界的トップモデルで俳優としても活躍する冨永愛さんは「コンプレックスを山ほど抱えていても、幸せになることはできる」と語ります。今回は、冨永さんが自身の生き方を綴ったエッセイ『冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる』から一部引用・再編集してお届けします。

【写真】冨永愛さん「死に物狂いで自分にしかない長所を探し、それを磨いた。悔しくて悔しくて、その悔しさが私を強くした」

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コンプレックスとともに歩き続けていく

「宇宙人」「ひょろひょろガイコツ」だった少女時代

ずっとずっと、コンプレックスの塊だった。

原因のひとつは、私の家庭が「普通の家」ではなかったことにあるかもしれない。

母はシングルマザーで、私は父親の顔を知らなかった。

子どもの頃は父の日になると、授業で父親の顔を描かせられるのも普通だった。私にとって父の日は、毎年「ああ、私にはお父さんがいないんだな」と思い知らされる日でもあった。

傷つく、というのでもない。ああ、またか、みたいな感覚。

あの頃はいまよりもっとずっと「普通」が重視されていたから、自分には何かが不足しているのだと感じていた。

もうひとつは、身長だ。私は現在179センチあるが、子どもの頃から常に大きい子だった。

特に中学生の頃がすごかった。3年間で身長が20センチも伸びた。朝起きるたびに背が伸びている。それが怖くてたまらなかった。

実際、同級生にはよくからかわれた。「宇宙人」とか「ひょろひょろガイコツ」と言われた。

思い出したくもないので詳しく書かないけれど、もっとひどいことも言われたし、いじめられもした。

だから、小さくてかわいい女の子がうらやましくてたまらなかった。私はその対極だったから。

周囲より頭ひとつ大きくて、顔立ちは個性的。自分が嫌いだった。

表面では気の強い要領のいい子を演じていたけれど、内面ではいつもビクビク、オドオド。

そんな自分を隠しながら生きるのだけは、上手になっていた。

世界が変わったきっかけ

世界が変わったのは、モデルという仕事と出会ってから。

中3のとき、姉に「愛は背が高いんだから、モデルになりなよ。読者モデルのオーディション受けてみたら?」と言われた。


『冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる』(著:冨永愛/主婦の友社)

その瞬間、私の中に何か小さな光がともった気がした。

ファッションになんて全然興味がなくて、モデルの仕事のなんたるかもわからなかったけれど、自分を生かせる新しい可能性を感じてしまったのだ。

さっそく近所のコンビニで、姉といっしょにティーン向けのファッション誌をめくった。「これがいいんじゃない?」といろいろ見るのは楽しかった。

写真や履歴書の準備は姉がしてくれて、応募までしてくれた。

そしたらまさかの書類選考通過。

姉についてきてもらってオーディションを受けると、あっさり合格してしまった。

本当に驚いた。身長って、役に立つところでは役に立つんだ。

といっても、日本の少女モデルにはやはり目がぱっちりでかわいい子が求められる。ティーン向けの雑誌であれば、身長だって私ほど高い必要もない。

雑誌からは、徐々に声がかからなくなる。ここでもふたたびコンプレックスを抱えることになる。

日本にいても伸び悩むだけだと、17歳のとき世界の舞台へと飛び出した。

すると、海外で私はちっとも「巨大」ではなかった。日本という狭い世界の中にいたからこそのコンプレックスだった、と気がついた。

オセロの盤で、コマが黒から白にバーッと裏返るあの感じ。身長は私の武器なのだと知った。

でもそれで「めでたし、めでたし」じゃない。

今度は、アジア人として見下される。薄い体も、黄色い肌も、黒い髪も目も、全部がコンプレックスになっていく。

悔しさが私を強くした

結局のところ、どこにいたって私は人と自分を比べることをやめられないのだ。

それがコンプレックスをさらに膨らませると知っていても、比べることをやめられなかった。そしてまた落ち込む。私はずっとこのループにハマっていた。

でもいま振り返ると、私にはコンプレックスが必要だったんだとわかる。

私はものすごく負けず嫌いだから、自分の弱点が悔しくて、なんとか努力で埋めようとしてきた。

「アジア人はセクシーじゃない」と言われたら、どうすればセクシーに見えるのか、ポージングや表情を磨いた。

「アジア人には黒しか似合わない」と言われたら自分に似合う鮮やかな色の服を探して身につけた。

死に物狂いで自分にしかない長所を探し、それを磨いた。悔しくて悔しくて、その悔しさが私を強くした。

その過程で、私には私にしかない美点があると気づくことができたんだと思う。

30代、40代、年齢とともに小さくなっていくコンプレックス

とはいえ、子どもの頃から抱えてきたコンプレックスはいまもしっかり残っているし、たぶん一生消えることはない。

誰かに指摘されたら瞬間的にカッとして、すぐにファイティングポーズになるだろう。

でも不思議なことに、コンプレックスはしだいに昔ほどの脅威ではなくなってきた。それは積み重ねた自信のおかげだ。

仕事をして、評価されて、なんとかここまでやってくることができたという自信。

それはモデルでなくても、どんな仕事をしていても身につくものだと思う。

外見は何も変わらなかったとしても、仕事や生き方で自信をもつことができればコンプレックスは薄まっていく。

あとは、単純に年齢の問題もあるかもしれない。

私も20代、30代、40代と年齢を重ねるごとに、以前ほどには気にならなくなってきた。

年齢を重ねて図々しくなった? いや、度量が広がったということだ。

だから、いま悩んでいる人もきっと大丈夫。

仕事や恋愛や生き方で自信をつけていけば、コンプレックスは自然と脅威じゃなくなる。

その意味で、年をとるってけっこういいものだと、私は思うのだ。

※本稿は、『冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。