実家への帰省時に、車の中で5時間、じっと座ることができる自閉症の息子(べっこうあめアマミさん作)

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 ライター、イラストレーターとして活動するべっこうあめアマミさんは、知的障害を伴う自閉症がある9歳の息子と、きょうだい児(障害や病気を持つ兄弟姉妹がいる子ども)の5歳の娘を育てながら、発達障害や障害児育児に関する記事を執筆しています。

 発達障害や知的障害がある子どもは、「おとなしくしていることが難しいのではないか」と思う人はいませんか。実は、息子は重度の知的障害を伴う自閉症がありながら、片道5時間ものドライブを難なく過ごすことができるのです。今回は、そんな息子の特性について紹介したいと思います。

お盆の帰省で発揮する息子の隠れた特技

 私たち家族は、毎年お盆休みの時期に実家に帰省します。しかし、お盆の時期の高速道路は大混雑。車で帰省すると、片道5時間くらいかかってしまうことがよくあります。

 小さい子ども連れで、5時間もの長時間、車の中に缶詰めになることは、たとえサービスエリアなどでの休憩を挟んだとしても非常に大変なことです。

 その上、私の息子には重度の知的障害を伴う自閉症があります。そのような障害がある9歳児と未就学児の娘の2人連れ…といったら、車内は阿鼻(あび)叫喚の騒ぎではないかと思う人も多いのではないでしょうか。

 しかし、そんな長時間の車内でも、9歳の息子は、ほぼぐずらずに過ごすことができるのです。これは息子の特技ではないかと思っているのですが、親としては、息子のこのような特技に大変助けられています。

帰省の車内、息子はどう過ごす?

 では、「5時間もの長い間、車内でどんな工夫をして過ごすのだろう?」と思われるかもしれません。しかし、息子の場合は、何も特別なことはしていないのです。

 5歳の娘のために、帰省の際には車内で見るためのDVDのほか、お菓子やおもちゃなどを用意して車に乗り込みます。

 しかし、それらが必要なのは娘だけ。息子にはおもちゃやDVDは特に必要なく、何も持たせていません。

 そもそも、息子は重い知的障害があるためか、家にいるときでもデジタル機器やアニメなどにあまり興味がなく、おもちゃも赤ちゃんのようになめたり触ったり、ときに分解したりするくらいで、おもちゃを「おもちゃらしく」遊ぶこともあまりしないのです。そのため、車の中でも同様に、息子はあまり何かを熱心に欲しがったりしません。

 暇つぶしになるものがないということは、暇になったときに大騒ぎして大変だと思われるでしょう。しかし、なんと車内の息子はひたすらぼーっと前を見ているか、外の景色を見ているだけで、特に何もしなくてもご機嫌に過ごしているのです。

 では、なぜ息子はこのようにおとなしくしていられるのか。発語がない息子から本心を聞くことはできないので正解は分かりませんが、おそらく息子の「座るのが好き」という特性が影響しているのではないかと思います。

 息子は非常におとなしい性格で、さらに、椅子が大好きです。幼少期は公園に連れて行っても遊具で遊ばず、走り回りもせず、ひたすらベンチに座って過ごしていたというエピソードもあるほどです。

 このように椅子に座っている状態が何よりも落ち着き、大好きな息子にとっては、「ただひたすら座っている」という長時間ドライブは、痛くもかゆくもないのかもしれません。

 障害がない子どもでも、手を焼きがちな車の中での過ごし方。こんなに手を煩わせずにおとなしくしていられる息子には、親として感謝してもし切れませんし、そんな息子を誇りに思っています。

障害に対する誤解や偏見

 一般的に、自閉症を含む発達障害や、知的障害などのイメージとして、大人でも子どもでも、じっとしていられなかったり、かんしゃくが激しい様子を思い浮かべたりする人は多いのではないかと思います。実は私も、息子を産む前まではそんなイメージを持っていました。

 しかし、息子と出会って、そのイメージは覆されました。なぜなら、息子はそういうイメージとは真逆な人だったからです。

 発達障害や知的障害について、世間ではいろいろと偏ったイメージが先行しているように思います。

 私は息子が赤ちゃんの頃、通っていた心療内科のカウンセラーから、「もしかして、知的障害がある人って、道端で大きい声を上げたり飛び回ったりしている人がすべてだと思ってます?」と言われてドキッとしたことがありました。なぜなら、まさに当時の私はそう思っていたからです。

 しかし、そのカウンセラーは言いました。

「知的障害があっても、ただ静かにじっと座っているだけの人だっていますよ」

 その言葉の通り、知的障害がある私の息子は、その例でいう後者のタイプの人でした。発達障害も同様に、知的障害以上にさまざまなタイプの人がいるものです。

 世間ではどうしても目立つ動きをする人に目がいくものですから、たまたま目を引く動きをしていた人を見た経験が、「この障害がある人はこういう人」というイメージをつくり上げてしまっているのかもしれません。

 しかし、実際は「そうではない人たち」もいっぱいいるわけで、「障害名」だけで人の特徴は区切れないと思っています。

 私は息子のおかげで、たくさんの障害がある子どもに接してきましたが、たしかにじっとしていられない子もいれば、じっとしていられる子、おとなしい子もたくさんいるのです。

 そして、じっとしているのが苦手な子にだって、別の長所があります。発達障害、知的障害というのは、本当に多様性がある障害なのです。

「障害名」ではなくその人の個性を見てほしい

 帰省の話から、障害の多様性についての話になりましたが、同じ知的障害がある子、発達障害がある子を育てる親御さんに息子の話をしても、長時間移動を難なくできることにはよく驚かれます。

 ですから、身近にそういう人がいなければ、もちろんピンとこなくても仕方がないことだと思うのです。

 ただ、この記事を読んでくださった人には、ぜひこれをきっかけに、「障害名で人を決めつける」ことはやめていただきたいと思います。

 同じ障害名でもいろいろな人、いろいろな子がいるものです。障害名ではなくそれぞれの特性や個性を尊重し、障害がある人たちの多様性を認めていただけたら、うれしく思います。

 そして、「障害者」ではなく一人の人として付き合っていってもらえたら、この世の中から障害に対する偏見は、もっと減っていくのではないかと思います。