カフェの前にはこんな柵が。オリンピックの開会式に向けた、セーヌ河岸周辺のセキュリティ整備のためだ。「まるで檻の中にいるようだ」と言う人も多い。周辺は、QRコードを取得しないと通行できない規制エリアにもなっている(写真:奥永恭子)

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 パリの夏といえばヴァカンス。“フランス人にとっては、仕事より大事”というのは知られているが、毎年この時期になると市民はパリを離れ、レストランなどの店も閉まる。そうしてがらんとなった街に国内外から観光客がやって来て、さまざまな言語が飛び交う……というのが夏のパリの風物詩でもある。だが今年は、100年ぶり3回目となるオリンピックが重なった。

【写真】“パリの風物詩”が撤去の危機も…五輪開催を控えた街の様子 ほか

 パリ五輪開催となれば、「イル・ド・フランス」といわれるパリやその周辺の住民も、観戦のため出かけずに留まることが予想されていた。ところが春に行われた調査では、イル・ド・フランスの住民の約半数(47%)がパリ脱出を計画しているという結果が出ていた。通常は30〜40%の住民がヴァカンスに出かけるといわれているから、家に留まるどころか、普段以上に“パリ脱出”を考えている市民が多いということになる。

カフェの前にはこんな柵が。オリンピックの開会式に向けた、セーヌ河岸周辺のセキュリティ整備のためだ。「まるで檻の中にいるようだ」と言う人も多い。周辺は、QRコードを取得しないと通行できない規制エリアにもなっている(写真:奥永恭子)

 実際、オリンピックの話題が出るたびに、パリ市民からは苦言ばかりが聞こえてきていた。招致が決まってから、街の至る所で工事や“お色直し”が行われ、交通規制で渋滞はひどくなるばかり……。招致の段階では、大会チケットを持っていれば公共交通機関は無料になると謳っていたのに、結局、運賃は2倍になっていて、文句のひとつも言いたくなる……などなど。警備を強化しているため、街には殺伐とした雰囲気も漂っている。観光客が押し寄せることで、一時的にとはいえ、物価が高騰することもパリ住民は嘆いていた。これではオリンピックへの熱も冷めるのも当然だ。

実際の声を拾うと…

 では、パリ市民はどこへ行くのか。アパレル会社に勤める知り合いのAさんはこう言う。

「太陽を求めてとにかく南に行きたくて、スペインにヴァカンスに出かけることにしました。ヴァカンスは毎年のことですが。今年は特にパリを離れたい気持ちが強い」

 こんな声は少なくない。フリーダンサーの友人・Cさん家族は、コロナ禍に格安で購入しDIYでリフォーム中の田舎の家でのんびり過ごす予定だという。

「規制が多くて身動きが取れず、何が起こるか予測できない怖さをパリから感じるんです。狭いアパルトマンに閉じ込められたくない」

 定年退職して悠々と暮らしている隣人夫婦は、ひどい交通状態と喧騒を避けるため、ノルマンディーの別荘で静かに過ごすという。いつもよりも長めの滞在を計画しているらしい。

 歯科医を退職した友人も、同様の理由からパリを離れたいと考えている。オリンピック期間中は、車両だけでなく、歩行者すら通行禁止になるエリアもあり、不便になるのを避けたいというのが最大の理由だ。期間中は、娘さんが暮らす南西地方のリゾート地、カップ・フェレで家族と合流し、その後はアルプスにある山の別荘で自然を満喫する予定だそうだ。

 パリ市民は、ヴァカンススコレール(学校で決められているスケジュール)に従って、毎年ヴァカンスに出かける人が多い。私の夫の勤め先のように、オリンピック期間中は強制的にヴァカンスを取らされるところも少なくない。「オリンピックなんて関係ないね」という国民性に加え、開催で強いられる「不便」が、ヴァカンス行きの背中を押しているわけだ。

ヴァカンスを「諦めた人たち」

 その一方で、ヴァカンスを諦めた人たちもいた。

 パン屋を営む日本人のYさん家族は、日本への帰国ヴァカンスを断念し、年末年始に繰り越すことにしたという。理由は五輪開催による航空券の高騰。子供が3人いると、予算がなかなか厳しいらしい。

 アルジェリア人のSさん家族も、ヴァカンスに母国へ帰ろうと思っていた。コロナ禍が明けたのでようやく……と思っていたが、やはりオリンピックのため航空券が値上がり、断念したという。

 ヴァカンスの時期をずらした人もいる。イラン人の美容師Mさん夫婦は、オリンピック期間を含めたヴァカンスを航空券の値上げから断念した。9月に予定されている親戚の結婚式に合わせ、8月末からヴァカンスを取ることにしたと語っていた。オリンピックが始まれば、市民は街からいなくなるため、本当ならば店を閉めたいというのが本音。家から店まで徒歩で行ける距離のため、交通規制などとは無縁ですごせることは不幸中の幸いだと言っていた。

 とはいえパリに残ることを決めた人々も、勇んで開会式や競技会場へ出かける気分にはなっていないようだ。自宅のテレビで鑑賞するといった意見が大半だった。

我が家の事情は

 さて、我が家──。コロナ禍を除いては、日本へ帰るのがお決まりの夏のヴァカンスの予定だった。しかし、今年のパリ五輪を逃せば、おそらく一生、生で観戦する機会はないだろう。パリに留まるか、いままで通りのヴァカンスを楽しむか……悩んだ挙句、パリに留まろうと思った。そして五輪のチケットを購入しようと試みたものの、思わぬ高値に驚いた。人気競技を家族で観に行くとなると、それこそヴァカンス費用に匹敵する額なのだ。24ユーロ(約4,000円)の安値チケットもあるにはあったが、パリ外の会場のため、観戦へ出かけるのは現実的に難しかった。

では、日本へ帰国するか……。だが航空券は高騰し、安値の時期と比べればざっくり倍の値段になっている。それに、日本では猛暑が年々ひどくなっているとも聞いている。パリに留まっても、日本に帰国しても、ネガティヴな要素ばかりが並び、数ヶ月悩んだ。

 決め手は円安だった――大学生の息子が1ヶ月半のアルバイトで貯めたお金を円に換算すると、日本の平均初任給の倍以上にもなっている。実はパリにとどまって五輪を楽しみたいというのは私だけで、息子も夫もヴァカンスを日本で過ごしたいという思いが強かった。ということで、日本でパリからの五輪中継を観るつもりだ。

奥永恭子(パリ在住ライター)

デイリー新潮編集部