画廊と美術館での学芸員経験をもち、現在は美術エッセイストとして活躍中の小笠原洋子さん(74歳)。高齢者向けの3DK団地でひとり暮らしをしています。年金節約者の小笠原さんは、「ものは少なくシンプルに暮らす」ことをモットーに、楽しみながら節約をする日々。そんな小笠原さんの自宅にはゴミ箱がありません。その理由と、ゴミ箱を持たない暮らしについて紹介します。

家のあちこちに「ゴミ箱」を置かない理由4つ

3LKのわが家には、台所と洗面所には、小さなゴミ入れ用のポリ袋がありますが、その他の部屋にはゴミ箱を置きません。とくに書斎やリビングなどには置かないことにしています。

その理由は、いちばんゴミの出やすいところだからです。私はゴミをなんでもかんでもゴミとして捨ててしまうことが嫌なのです。もしそこがよそのお宅だったら、平気でゴミ箱にゴミを捨てたりしないのではないでしょうか? 自宅であっても、よそのお宅のように、ゴミを捨てることを慎重であっていいと思うのです。

2つめの理由は、ゴミそのものの量を減らしたいのです。私の住む地域では、ゴミを有料の袋に入れて集積場に出します。生ゴミ用の袋はカラスの嫌いな黄色で、大中小のサイズがあり、週に二度の収集日があります。私は、最小容量の5リットル(10枚70円)しか使わないことにしていますし、それも二週間に一度くらいしかゴミ出しに行きません。ここまで少ない頻度ですむのは、生ゴミをほとんど出さないことと、反故紙のなどのゴミは資源ゴミとして別に集荷してもらうからです。

3つめの理由は、パソコンやテレビの前に何時間も座りっぱなしになることを避けるためです。もし捨てるものが出れば、わざわざ立ちあがって台所のゴミ入れまで行くことでちょっとした運動になると思うからです。

そして最後の理由は、ゴミ箱という小物であれ、便利だからとあちこちに置いて部屋をゴチャつかせたくないからです。

ゴミ箱が近くにない不便さもだんだんと慣れてくるもの

コロナ禍中、街中でゴミ箱の口が塞がれたり、撤去されたりしましたね。不便を感じた方もいるかもしれませんが、多くの人は納得して我慢できたようです。思えば、かつて公園や公共施設や街路のあちこちに設置されていたゴミ箱は、コロナ禍前から「ゴミはお持ち帰りください」と張り紙されているところが増え、ゴミの量を減らそうという風潮になっていたようにも思います。私自身はいいことだと思います。

ゴミ箱が近くになければ、自然とゴミを出さないように習慣づくのものではないでしょうか。それと同じことが家のなかにも適用されていいと思うのです。

各部屋にひとつはあったゴミ箱や、ベランダに並べた大きなゴミ箱を撤去してみると…実際のところ慣れるまでは大変! 「あれ〜? ない」と何回か叫んで、「これではだめだ」と、またゴミ箱を設置してしまいそうですが、だんだん「ゴミは隣の部屋へ」とか「家には一個だけ」とインプットされ、運動だと思い立ちあがってそこへ捨てに行くか、ゴミを出さないことに努めるようになるでしょう。

台所にあるのは簡易的な「ゴミ入れ」

さてわが家の台所の手すりにぶら下がっているゴミ入れは、スーパーの荷台などに設置されているロール状の薄いポリ袋です。私は買った商品のほとんどを、この袋に入れて帰ります。家では、どの商品も軽く消毒してから各所に収めるくらいですから、たとえ包装がしてあっても、そのままマイバッグに食品をいれるのが、衛生上はばかれるからです。

帰宅後、汁こぼれでなどで汚れた袋以外は、ちょっときれいな箱に入れて取っておくのです。その薄くて小さな袋こそが、わが家の主要ゴミ入れなのです。

数少ないゴミ捨て場を台所にしたくらいですから、捨てるもののほとんどは生ゴミではありますが、それがあまり多くありません。ですから有料ゴミ袋を買う頻度も、ゴミ集積場に通う頻度も少なくてすみます。

生ゴミで最も腐敗しやすい食品といえば、当然生モノであり、なかでも魚の内臓や骨などはこの暑い時季、手ごわいですね。しっかり紙に包みます。でもなるべく食べてしまえる部分は食べてしまい、生ゴミそのものを減らせばいいのです。野菜の皮やヘタや種などそのほとんどが食べられることや、とかく捨てがちな部位にこそ、栄養価が詰まっていることを再認識するとお得ですよ。

「まずい!」だけを食べない理由にしないで、食への新たな挑戦と受け止めて食べるようにしたいものです。キーウィやミカンの皮、ピーマンの種、ゴーヤの綿や種、バナナの筋など、捨てるには惜しい存在です。スイカの白い部分も漬物にするほどです。

というわけで、今後も引き続きゴミの量を減らす工夫をしていきたいものです。