なんともあいまいなルーツだ。さらなる情報を求め、2019年に松浦パン2代目社長の松浦幸雄氏とバンズパン歴史についての講演を行った高崎学博士の新井重雄氏にも話を聞いた。すると「バンズパンを作ったのは高崎市内の松浦パンだと言われています」とズバリ。

「松浦パンや学校給食のパンを供給していた群馬パンセンターは2016年に廃業。資料も離散しているため正確な歴史ははっきりと残っていません。ただ高崎市の学校給食はメニュー開発に熱心で、1970年代にはバンズパンが学校給食として親しまれていたことは確認できました。

 私の推測ですが、松浦パン創業者の松浦福三郎氏はアメリカを視察したときに出合ったハンバーガーに使われていたバンズを帰国してから商品化しようと考えたが、ハンバーガーという文化が高崎に浸透していなく、パンも味気なくて不評だったため、甘いクッキー生地を載せて、現在まで続くオリジナルのバンズパンを作ったと考えてはどうでしょうか。現在ではプレーンの味以外にもバターやあんバターなどをはさんだバンズパンもあります」

◆学校給食のおかげでソウルフードに

 そんななか取材を進めていくと、アメリカではなく、日本の大阪にルーツがあるという説も耳にした。

「戦前・戦後と群馬県内では、大阪でパンを営んでいたという職人が少なくありません。当時大阪ではメロンパンに代表されるビスを乗せたビスパンやたまごパンといったものが大変はやっていたそうです。それを群馬に持ち帰り、展開していったと聞いています」(市内でバンズパンの製造を行う関係者)

 記者はもはやルーツをたどるのは困難だと判断した。しかし、そもそもの疑問として、なぜバンズパンが群馬県民にとっておなじみのパンとして定着したのか。前出の相川氏によれば「これには地元の学校給食の歴史」がかかわってくるという。

「やはり学校給食という下地があったからこそ、バンズパンが今日のソウルフードのような扱いになったのだと思います。とりわけ高崎市では給食事業者が昭和の頃から市民おなじみのメニューとしてバンズパンを扱っていました。一方、高崎市以外の地域ではそうした下地が形成されなかったためそこまでの人気にはならず、結果ガラパゴス化したのだと思います」(相川氏)

 ご当地メニューとしてガラパゴス的に生き残ってきたバンズパン。今回、そのルーツはわからなかったが、大手コンビニチェーンで販売されたことをきっかけに、全国的に注目される日も近いかもしれない。

<取材・文/日刊SPA取材班>