加藤清史郎、イギリス留学で経験した“人生初の挫折”。演劇学校で言語の壁に当たり「泣きながら帰ったことも」

写真拡大 (全5枚)

8歳のときに大河ドラマ『天地人』(NHK)で注目を集め、トヨタ自動車のCMで“こども店長”として大ブレイクした加藤清史郎さん。

映画『忍たま乱太郎』(三池崇史監督)、映画『忍たま乱太郎 夏休み宿題大作戦!の段』(田崎竜太監督)に主演。映画『愛と誠』(三池崇史監督)、『11人もいる!』(テレビ朝日系)、舞台『レ・ミゼラブル』、舞台『エリザベート』などに出演。3年間のイギリス留学を経て、日曜劇場『ドラゴン桜』(TBS系)、『弁護士ソドム』(テレビ東京系)、ブロードウェイ・ミュージカル『ニュージーズ』などに出演。

2024年5月28日(火)から東京芸術劇場プレイハウスで主演舞台『未来少年コナン』の上演が控えている。

 

◆イギリスの演劇学校で初めて挫折を経験

2015年、六本木歌舞伎『地球投五郎宇宙荒事』に出演した際、市川海老蔵(現・團十郎)さんに背中を押され、俳優の道を歩むことを決意した加藤さん。

ちょうど変声期で大好きなミュージカルもできない状況であり、映像でも仕事があまりないと考えた加藤さんは、イギリス・ロンドンに留学して語学と演劇を学ぶことを決意。2016年、中学を卒業後、イギリスの高校へ進学し、現地の演劇学校で演技の勉強も始めることに。

「留学して日々を過ごして、芸術も学んで…というほうが僕にとっては有意義なんじゃないかなと思って決めたのですが、その高校3年間の間、完全に仕事を休むというわけではなく、やらせていただける作品はやれるタイミングでやらせていただくという形で一時帰国した際に活動させていただいていました。

それこそ『相棒』(テレビ朝日系)は1週間だけの撮影だったので、1週間帰国して撮っていただいて、撮影が終わった日の夜中の便で出発し、朝6時にヒースロー空港に着いて、7時半から学校に行っていました。でも、向こうにいる間は、基本的にお仕事はノータッチでした。趣味として芸術に触れるとか、勉強という意味ではお仕事に近いかもしれないですけど」

――英語の生活にはすぐになじめました?

「最初は全然問題なく、話せて楽しいなという感じだったんですけど、高校2年生になって演劇の学校に行きはじめてからは、ものすごく言語の壁に当たってしまって…。

先生の言っていることは聞きとれるんですけど、向こうの同年代のティーンエイジャーたちと即興でエチュードをやることになったときに、まったく聞き取れなかったんです。

ここで何をしてほしいとか、ここはこうなんだとかいう話はわかるけど、『5分ぐらいの即興劇を作ってください、どうぞ』ってグループワークになった瞬間、みんなの話のスピードについていけない。置いていかれちゃって、何を言っているのか全然わからない。英語って、ひとつの単語にとらわれると、その後が聞こえなくなってしまうんです。

だから、自分が『今、リンゴって言っていたよね?リンゴを僕が持つの?このリンゴを持てばいいのね?待って待って、どこで?どのタイミングで?』みたいな。

そこを探るので精いっぱいで、すごく悔しかったです。それこそ日本で同じ授業を受けたとしたら、僕はもっとそのリンゴをかじって、吐き捨てた方向にこの人が来たらおもしろいよねとか、そういういろんなスパイスを加える側に回れたと思うんです。

さっき上手から来たから今度は下手にしようとか、そういう演出効果的なことも話せたかもしれないけど、もうステージライト、ステージレフトもごっちゃになっちゃって…。そのときに初めて挫折して、本当にもう行くのがイヤで、泣きながら帰ったりしていましたね」

――それでも続けられて。

「はい。何とか続けました。最後に発表会もあったりしましたし、それとは別に、マンツーマンの個人レッスンも受けさせていただきました。そっちも挫折しそうになりましたけど(笑)。

演劇って、細かいことを言語化するときにいろんな言葉を使うので、日本語だったらギリ理解できるみたいなことを英語で言われたらさらにわからなくて。だから、言われて聞き取れなかったことは書いてもらって、調べて日本語で出てきてもわからなくて…ということもありました。

でも、それと同時に、逆に言語なしでもここは通じるんだとか、言葉というものに頼らずとも、結局“その人”としてそこに存在すること、“その人”の中で生きることがいかに大切かみたいなことも同時に学べたので、多分それで何とかやっていけたんじゃないかなって思います。でも、基本的にずっと楽しんでいましたよ」

 

◆7年ぶりの主演映画は…

加藤さんは、高校3年生の春休みに帰国し、映画『#ハンド全力』(松居大悟監督)に主演。この作品の舞台は、熊本地震後の熊本。無気力な毎日を送っていた高校生・清田マサオ(加藤清史郎)は、震災で離ればなれになってしまった親友のタイチ(醍醐虎汰朗)と仮設住宅前でハンドボールをしていた写真をSNSにアップする。写真は大きな反響を呼び、廃部目前のハンドボール部復活に向け奔走することに…という展開。

「撮影は高校3年生の春休みと1学期の頭の1週間ぐらいお休みをもらって撮影して、公開は大学1年の春でした」

――主演映画ということでプレッシャーは?

「めちゃめちゃあって、プレッシャーに潰されそうになりました。『忍たま乱太郎』のときはまだ子どもでしたけど、もう18歳だし、僕としても久しぶりに日本でお仕事だったので、やっぱり気合も入りますし。

本読みをしたときにすごくおもしろい作品だったのですが、周りのキャラクターがものすごく濃くて、みんながいろいろアイデアをひねり出して考えてやってきているなかで、僕の役は普通の男の子でした。

周りを見ていると、チャラい子がいて、熱血すぎる部長がいて、おっちょこちょいの後輩がいて、ちょっと抜けている相棒がいて、気の強い女の子がいて、優しい女の子がいて、アイドル的な子がいて…というなかで、僕のキャラがあまりに普通すぎて…。

本読みをしたときに、何もできなかった感じで、『何もできない、この役どうしよう?』みたいな風に思っちゃったときがあって。『みんながおもしろくて埋もれていっちゃう。どうしよう?』っていうのと、主演というプレッシャーがすごくて大変でした。

撮影が始まる前日に熊本に入り、その次の日に撮影が始まったんですが、撮影初日と2日目は、本当にメンタルがボロボロになっていて。それに気づいた相棒のタイチ役のコタロウ(醍醐虎汰朗)がそばに来て話をしてくれて。

ホテルの部屋で『普通って個性だよね』って言ったんですよ。『たとえば部長は焼肉かもしれない。で、あのチャラい子はラーメンかもしれない。俺は魚かもしれないけど、逆にマサオ(加藤清史郎)という役は白米なんだよ。そこの全部に合うじゃん。それがマサオの個性だから、白米が肉みたいなくどさだったらだるくない?』って言ってくれて。

白米であることってすごく難しいけど、それが個性であって、自分からそのアクトすることがすべてじゃないからって言われたんですよ。それですごく合点がいって、たしかにアクトってリアクトだよなって思ったんです。

そのときに能動的なことって受動的なことでもあるというか、受けるから、受けたものが受けているという表現になっているから、それが向こうからしたらアクトに見えるというだけで、そんなに重く考えなくていいのかって。

そこは本当に彼に救われて、そこからハンドボール自体はすごく楽しく、どんどん上達していって、どんどん楽しくなって…という感じでやっていたら、いい感じに主演ということも忘れて、みんなの白米であり続けることにつとめられました。

メンタルがボロボロの状態から抜けられたことは本当に大きくて。そのなかでやっぱりベテランの方もいらして、田口トモロヲさんとふせえりさんが両親で、お兄ちゃんが(仲野)太賀さん、その彼女さんが志田未来さんで、ハンドボール部の女子ハンドボール部顧問が安達祐実さんという環境でやらせていただいて、そこから得られるものも大きかったです。やっぱりどの作品も僕にとっては大きいですね」

――あの作品はSNSの怖さもよく描かれていましたね。ひょんなことから熊本地震の復興係として注目を集めたあげく、ドーンと落とされてしまう。

「そうですよね。もてはやされて調子に乗っていると、とんでもないことになるという怖さもありました。まさにこの時代の話という感じですよね」

 

◆これからというときにコロナ禍に…

2020年、高校を卒業した加藤さんはイギリスから帰国し、大学に進学。2021年には日曜劇場『ドラゴン桜』(TBS系)に出演。このドラマは、経営破綻寸前の学園を舞台に、元暴走族の弁護士・桜木(阿部寛)が“東大専科”の生徒たちと真剣に向かい合いながら東大合格を目指す姿を描いたもの。加藤さんは、成績優秀な弟とずっと比べられ続け劣等感が染みついていたが、家族を見返すために東大合格を目指す天野晃一郎役を演じた。

――東大に合格する設定だということは聞かされていたのですか。

「基本的にキャラクターも含めてオリジナルな部分もたくさんあって。原作にはいない生徒もたくさんいたので、そこは全然聞かずにいようという感じでした」

――オーディションだったそうですね。

「はい。僕がロンドンから帰ってきて2日後ぐらいのオーディションだったんです。というか、僕が『受けたいし、受けさせてほしい』とお願いして、日程をちょっとずらして待ってくださっていたのですが、オーディションを受けてみると、もうダメだってなったんですよね。本当に落ちると思っていました。

ロンドンから帰った次の日から『ニュージーズ』というブロードウェイ・ミュージカルの稽古に入っていて。初めてのタップダンスとかも含めて、自分もこれからやっていくぞというエンジンが回っているのに、それがちゃんと繋がってない感じがしていました。『ドラゴン桜だもんな、いや、ちょっと無理だろう』って思っていたんです。

昔から基本的に受からないだろうなというスタンスで、『受かったらラッキー』っていう感じでずっとオーディションを受けさせていただいていたので、『ドラゴン桜合格』って聞いたときは、『マジか?』ってビックリしました。

それで、一緒にやる仲間を見て、『仲間になれそうな人たちだ』と思ってワクワクして『ドラゴン桜だ。頑張ろう!』って思っていたらコロナでバンバンって潰れて…。

『るろうに剣心』というミュージカルがそのあとにあったんですけど、それもコロナの影響でなくなりました。その準備をするためにもすごくエンジンを回転させていたので、そこのショックは僕にとってはものすごい喪失感で…途中から諦めになっていた部分もありました」

――コロナ、そして緊急事態宣言…それまでなかったことですからね。

「そうですね。そんなことはそれまでなかったですし、僕にとっては、やっぱり新しい1年だったんです。日本に帰ってきて大学に入学して、そのタイミングで事務所も移籍させていただいて舞台も…と新しいことずくめで、『一発目やるぞ!』って出た瞬間にくいを打たれたみたいな感じで」

――その後のご活躍を見ていると、メンタルを含め、よく修正されましたね。

「いただいたお仕事があったのが大きかったです。オーディションだったんですけど、カロリーメイトのCMをやらせていただきました。それも本当に落ちると思っていたんです。オーディションに来ている子たちを見て、『僕がロンドンから見ていた人たちだ!やばいやばい!あの子もいる、あの子もいる。わーっ、どうしよう?』みたいな感じで」

――その人たちも同じことを思っていたのでは?

「いや、僕のことはわからないですよ、絶対。で、オーディションを受けたのですが、野球の話だったので、『素振りをしてくれ』って言われて。『やばい!ちょっと大口叩いちゃった。僕はここ3年間ずっとサッカーをやっていたんだよな』って(笑)。

一生懸命バットを振って、結局その素振りが結構大きかったみたいで選んでいただけたようです。でも、あの作品、あれは作品だと僕は思っているんですけど、結構長編だったりもしたので、とてもうれしかったです。CM全体としてもいろんな評価をいただけました。

それで、そのあとぐらいに『麒麟がくる』(NHK)という大河ドラマにピンポイントではあったんですが出演させていただけて、目の前で長谷川博己さんと眞島秀和さんが土下座しているという衝撃のシーンがありました。

多分、26歳とか28歳くらいの年齢の役だったんですけど、『目の前で大先輩たちが土下座している!』と驚きでした。土下座していることに対して、『おぬしもおもしろいやつだ。だから好きなんだよ』みたいなことを言うんですけど、『何言うてんねん?』ってなりました(笑)。

それから延期になっていた『ドラゴン桜』を撮りますというのがその次の春からだったので、その時期から『何かやっぱりこの仕事って楽しいなあ』って思えてきたんです」

――優秀な弟にコンプレックスがあって、最初は自信なさげだったのがどんどん変わってく様が感じられてとても良かったです。

「ありがとうございます。それで言うと、普通の子なんですよ、彼は。多分他のキャラに比べたら。いじめっ子でもない、めっちゃ熱いわけでもない。細田佳央太くんはさらに特殊な役をやっていたし…そういう役柄の生徒がいるなかで、僕が演じた天野晃一郎は普通だったんです。

ラップをしたりもしていましたけど、その教室に普通であり続けることってどういうことなのか。飛び込めって言われたから飛び込んだ部分もありましたけど、そこの振り幅みたいなものもすごく楽しかったです。コロナ禍ということもあって、いろいろ規制もあるなかでやっていたので、撮影はしんどかったですけど、毎日本当に楽しかったです」

3年間のイギリス留学で俳優としてさらなる成長を遂げた加藤さんは、『競争の番人』(フジテレビ系)、『弁護士ソドム』(テレビ東京系)、『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(日本テレビ系)、映画『ゆとりですがなにか インターナショナル』(水田伸生監督)など話題作に次々と出演。演技力を高く評価されている。

次回は2024年5月28日(火)から上演される主演舞台『未来少年コナン』も紹介。(津島令子)

ヘアメイク:入江美雪希
スタイリスト:金順華(sable et plage)