『神と王 主なき天鳥船』(浅葉 なつ)

命を生む正神(まことのかみ)「スメラ」を探し求める旅を描く、浅葉なつさんの大人気ファンタジー<神と王>の3巻が、5月8日についに発売!

第3巻では、狗のような尾が生えた“混ざり者”の王・ダギが登場。本来なら王になれないはずの彼が、なぜ即位したのか? 琉劔(りゅうけん)たちを巻き込んで、巨大な陰謀が蠢(うごめ)き出す――。

本文を冒頭から40ページにわたり大公開します。

序章

「いいか! お前ら全員よく見とけ!」

 それは先代の王が亡くなって百日が経ち、若き新王が民へとお披露目される佳(よ)き日。

 先代王の紛うことなき長子であり、新王となる十五歳の少年は、城壁の上で身につけていた衣装をすべて脱ぎ捨て、狗(いぬ)のような尾が生えた自身の尻を民衆に晒した。

「俺は混(ま)ざり者(もの)だ! 混ざり者がこの国の王となった!」

 それは体の一部に獣(けもの)を宿し、忌み嫌われる不完全な「人」。

 差別され、追いやられ、虐(しいた)げられて生きることを強いられる最下層のもの。

「俺の名はダギだ! ダギ王だ! 名を表す文字すらない、この混ざり者の名前をしかと覚えておけ!」

 凍り付くような沈黙の後の、悲鳴と怒号。

 城壁の前に集まった民から、なぜ我らの王が狗のような混ざり者なのだと、嵐のような叫び声が渦巻いた。事情を知らされていなかった女官や小臣が何名か卒倒し、この国は終わりだと泣き崩れる者さえいた。それほどに、混ざり者が王になることは、この世であってはならないことだった。

 豪人(たけひと)に城壁から引きずりおろされながら、ダギは虚(むな)しく民の叫びを聴く。

 あの日、不知魚人(いさなびと)のお頭(かしら)と会えていたら、自分はきっとここにはいなかった。

 一度自分を捨てた、こんな胸糞の悪い王宮に連れ戻されることもなかった。

 王になれと乞われて、逃げられなかったのではない。

 王の長子として生まれた、使命感などではない。

 ただそこにあるのは、復讐だった。

一章 混ざり者の王


一、

「見えてきたぞ」

 瑞雲(ずいうん)に言われて、琉劔(りゅうけん)は黒鹿(くろじし)の上で彼の指さす方角に目を向ける。天中にある太陽の光が白く視界を灼(や)く中で、遥か彼方に広がる大きな町が、陽炎(かげろう)に揺らいでいた。

 遠目には、起伏のある赤茶色の山のようにしか見えないが、あの色は赤土の混じった日干し煉瓦で街が作られていることを意味する。山のように隆起した、巨大な岩盤を削って作られた王宮もまた紅く、町全体が夕陽を浴びたような彩をしていた。

「さすがに長かったな」

 日除けの領巾(ひれ)を頭からかぶったまま、琉劔は息をつく。

 斯城(しき)国を出発してひたすら西に向かい、さらに南下してすでに二カ月が経とうとしている。黒鹿の負担を考えると毎日思い切り走らせるわけにもいかず、彼らの機嫌を取りながらの旅となった。

「あれが泛旦(はんたん)国?」

 長旅のわりに疲れた様子のない日樹(ひつき)が、瑞雲の隣に鹿首(ししくび)を並べて問う。

「そうだ。あの国の神が『招來天尊(しょうらいてんそん)』」

 瑞雲は暑さに負けて結った髪を、なびかせながら頷く。

「夜空で満ち欠けする星のひとつから来た『神』だ」

 三カ月ほど前、丈(じょう)国の一件が片付いてしばらく経ち、琉劔が王として治める斯城国がいよいよ本格的な秋を迎える頃、弓可留(ゆっかる)に帰るタイミングを逸していた慈空(じくう)が、ふと口にしたのがそもそもの始まりだった。

「ずっと考えていたんですけど、スメラと丈国の丹内仙女(にないせんにょ)の両方に、『夜空で満ち欠けする星のひとつから来た』という伝承があるのって、偶然なんでしょうか」

 寝ぐせのついた頭で、慈空は神妙な面持ちで眼鏡を押し上げた。

 丈水山(じょうすいさん)に祀られた、水の神であり、薬の神でもあった丈国の丹内仙女のことは、琉劔の記憶にも新しい。

「つまり、どういうことだ?」

 目の前では、斯城国禁軍の中でも特に精鋭ばかりを集めた天兵──王の直轄部隊──が、一対一で組みあう稽古をしている。先ほどまでは琉劔が、部隊長であり友人でもある梨羽謝(りうじゃ)と模擬試合を見せていたところだった。その汗も引かないうちに慈空がやってきたので、余程急ぎの用事かと思っていたのだが。

「ふと思いついただけなので、確証はないんですが……。各国や各部族で祀られている神々は、山や海などの自然であったり、元々その地に伝わる神話が元になっていたりと様々ですよね? 燕(えん)国の燕老子(えんろうし)などは、過去の偉人が神になっています。仮にスメラや丹内仙女も『実在した偉人』だったとしたら、同じ場所からやって来た『仲間』だとは考えられないだろうか、と思ったんです」

 訓練着の襟を直しながら首に垂れる汗を無造作に拭い、琉劔は椀に入った水を飲んだ。言われてみれば、確かに『夜空で満ち欠けする星のひとつから来た神』という文言は珍しく、他に聞いたことがない。

「仲間か……。だから同じような伝承を持ってるってこと?」

 慈空をここまで案内してきた日樹が、興味深そうに尋ねる。

「はい。ここまで似通った伝承であることを考えれば、スメラと丹内仙女が同一神である可能性もあるかと……」

「同一神!?」

「あくまでも、可能性の話ですが……!」

 驚いたように繰り返す日樹に、慈空はやや焦って弁明した。

「二柱(ふたはしら)が同一神かどうかはわからんが、その話は一理ある。他にも同じような伝承を持つ神を探すのは、悪くない手だ」

 民が生きる上で重要なことは、安心して口にできる食事があること。温かい寝床があること。病や怪我のための薬があること。それらは全て、神ではなく王が用意すべきものだ、というのが琉劔の持論だ。

 では神とは何のために存在するのか。

 幼い頃より両親と引き離され、神の依(よ)り代(しろ)である祝子(ほおりこ)として生きて来た琉劔にとって、それは長年の疑問だった。神とはもっと大きな、個人などには関与しない命の源のようなものだと、今は亡き弓可留の羽多留(わったる)王に聞いて以来、ずっとそれを証明したいと思っている。そして、杜人(とじん)たちが古くから暮らす闇戸(くらと)に残る、命を招く正神(まことのかみ)であるというスメラの伝説は、まさに琉劔の問いに答えるようなものだった。しかし杜人以外にはほとんど知られていないため、必然的に集まってくる情報は少ない。伝承を元に動いてみるのは、闇雲に探し回るよりずっと建設的だ。

「琉劔! 琉劔見てくれ!」

 訓練場をあとにした琉劔が、慈空らとともに王宮へ続く回廊を歩いていると、不意に庭木の枝葉を掻き分けて飛揚(ひよう)が顔を出した。琉劔の叔母であり、れっきとした斯城国の副宰相である彼女は、相変わらず染みのついた袍(ほう)を着て、靴は左右で色が違う。しかしそんなことは一向に気にせず、飛揚は赤毛に葉っぱをつけたまま、握りしめた虫網を嬉々として掲げてみせた。

「鐘虫(かねむし)だ! 今年の初ものだぞ! こいつを捕まえるといよいよ秋になったと感じるな!」

「……それは何よりだ」

 慈空と日樹にも嬉しそうに鐘虫を見せている叔母を横目に、琉劔は小さく息をつく。虫集めが趣味の彼女は、遠方の業者に砂漠地帯に生息する糞虫(くそむし)の捕獲を依頼したものの、こちらに届くまで一年以上かかり、その上中身は斯城国でも日常的にみられる黒中虫(くろなかむし)──しかも死骸だった──という詐欺にあったばかりだ。昨日までは大層憤慨していたが、どうやら一晩経って機嫌は直ったらしい。

「おいおい姐(ねえ)さん、俺を置いていくなって」

 やがて庭木の向こうから、虫籠を持たされた瑞雲が顔を出す。

 おそらく朝から叩き起こされて、虫採りに付き合わされたのだろう。もしくは朝まで吞んでいたところを見つかって、そのまま駆り出されたか。どちらにしろ、その倦(う)んだ表情さえ絵になる美丈夫だ。

「もういいだろ虫は。飯食おうぜ」

 うんざりした様子で、瑞雲が虫籠を琉劔に押し付ける。反射的にそれを受け取って、琉劔は叔母に目を向けた。

「飛揚、少し聞きたいことがあるんだが」

「鐘虫の雌雄の見分け方か? それなら腹の下にある卵管が──」

「いや、虫のことじゃない」

 即座に遮って、琉劔は続ける。

「『夜空で満ち欠けする星のひとつから来た』という伝承を持っている神に、心当たりはないか?」

 飛揚は虫網から慎重に鐘虫を取り出し、琉劔に目を向けた。

「なんだ、今更気付いたのか? スメラや丹内仙女と同じような伝説を持つ神が、他にもいる可能性に」

 さらりと言われて、琉劔は渋面を作る。この叔母はとてつもない変人であると同時に、おそらくこの国でも一、二を争う賢女だ。ただ彼女の中の知識の引き出しは、常にとっ散らかっている上、どこからでも虫が飛び出してくるので、本人しか何が入っているのか把握できていない。それなのに、当たり前のように他人も自分の引き出しの中身を理解していると思っている節がある。

「やっぱり、飛揚さんも気づいていましたか!」

 眼鏡を押し上げつつ、慈空が興奮気味に詰め寄った。

「たまたまにしては、文言が一致しすぎている気もしてね。他にもいないか調べたら、わりとあっさり見つかったよ。『夜空で満ち欠けする星のひとつから来た』神」

 そう言いながら、飛揚は琉劔の持つ虫籠へ鐘虫を入れる。

「泛旦国の国神(くにがみ)、『招來天尊』だ」

「招來天尊……」

 琉劔は低く口にする。泛旦国は、斯城国からは遠く離れた砂漠地帯を有する国だ。斯城とは交易があるものの、琉劔自身は訪れたことはない。

「知ってたんなら、もっと早く教えてよ」

 日樹が不満そうに口にしたが、飛揚は顔を上げてからりと笑う。

「言ったつもりだったんだけどな」

「どうせ言おうと思ってるうちに、虫探しに行っちゃったんでしょ」

 日樹の言葉を、否定も肯定もせずに飛揚は一笑に付した。

「ああそれと、泛旦国といえば面白い噂を聞いた」

 ふと思い出した様子で、飛揚が琉劔に目を向ける。

「なんと彼の国では、一年ほど前に尾の生えた混ざり者が王になったらしい」

「え、混ざり者が!?」

 琉劔の代わりに、慈空が思わず声を大きくした。

 体の一部に、獣のような部位を持って生まれてくる者は、少数だが一定数存在する。大半が忌み子として虐げられ、生まれると同時に捨てられたり、殺されたりしてしまう。運よく生き延びたとしても、まともに稼げる職に就くことはできない。杜人と同じか、それ以上に差別をされているのが現状だ。感情の昂りによって首筋に羽を生やす瑞雲や、聖眼(ひじりのめ)を持つ琉劔も混ざり者の一種だとされている。

 それでも琉劔が王になれたのは、その目が聖なるものとして、神殿や民に好意的に受け入れられたからであり、獣の身体を持っている王の話は、古今東西聞いたことがない。

「それって、泛旦国の民にとっては、青天の霹靂(へきれき)だったんじゃ……」

 慈空が複雑な顔で口にする。最初は混ざり者を忌み嫌い、恐れていた彼だが、混ざり者を多く抱える不知魚人(いさなびと)との交流によって、その意識は随分変わってきたようだ。

「私も詳細を知りたいと思っていたんで、ちょうどいい。行ってきたらどうだ、琉劔」

 飛揚がえらく太っ腹に言うのを聞いて、琉劔はふと我に返る。

「……糞虫は採って来ないぞ」

「一匹でいいから!」

 案の定、飛揚が琉劔の袖に縋りついた。

「一匹くらい採ってやれよ。また詐欺に引っかかるぞ」

 瑞雲が呆れ気味に口にする。

 虫籠の中で、秋を知らせる鐘虫がリンと鳴いた。

『東の斯城(しき)国、西の梦江(ぼうえ)国』とは、東西を繋(つな)ぐ大街道を行く商人たちがよく口にする言葉だ。どちらも大国であり、そこで生まれる工芸品や香料、武具や衣料品などは、誰もがこぞって手に入れたがる。琉劔(りゅうけん)たちが目的地とした泛旦(はんたん)国は、梦江国の南に位置し、王都周辺では製紙産業が盛んな国だ。国内を流れる泛川(はんかわ)流域で、衣草(ころもそう)と呼ばれる水草を栽培し、それを紙の原料としている。川が肥沃な土を運んでくる上、南方の気候も相まった結果だが、国土の南側は砂漠地帯であるため耕作地が少なく、穀物などは他国からの輸入に頼るところが大きい。また北側には三つの山脈を有し、こちらも乾燥地帯ではあるが、冬には山間部で雪が降る。いずれにせよ作物の栽培には向かない風土だ。約百年前に王の直系の男子が途絶え、以降王朝が替わり、現在の場所へ遷都(せんと)したという。

「二年前に亡くなった先代王は、まだ三十代だったと聞いている。朝議の終わりに、椅子から立ち上がろうとしてそのまま斃(たお)れたらしい」

 琉劔たちは、黒鹿(くろじし)を歩かせながら泛旦国の王都である『酬垃(すうら)』を目指した。随分南に来たからか、斯城国では一年のうちで一番寒さが厳しくなる織物候(おりもののこう)だというのに、毛皮の上衣(うわぎ)などは必要がないほど空気は温く、少し歩けば汗をかくほどだ。おまけに日射しは、琉劔が味わったことがないほど強い。

『酬垃』を目指して歩く他の人々に目を向けてみても、皆薄手の袖のない垂領(たりくび)服や貫頭衣、それにこの辺り独特の、一枚の布を体に巻き付ける漠衣(ばくい)を着用している者が多く目についた。女性は大判の布で肩から足首までを覆い、男性はほぼ腰巻のようにして上半身は裸であることがほとんどだ。斯城においては、男性も肌を見せないこと──つまりそれだけの布地を買う余裕があること──が裕福さの証でもあるのだが、この国ではそういうわけではなさそうだった。

「当時末息子はまだ四歳で、王位を継げる十歳になるまでの間、玉座を維持するために、地方へ預けられていた十四歳の長男が呼び戻されたらしい。それが、一年前に即位した今の混ざり者の王だ」

 飛揚(ひよう)から聞いた話では、それ以上の詳しいことはよくわからなかった。何しろ斯城からは遠く離れた国の話だ。それでも、斯城王の長子として生まれながら、王宮を出されて祝子(ほおりこ)になる運命が決まっていた自分と、どこか重なるような話だった。

「しかし、混ざり者に王位継承権なんてあったのか? 繋ぎでいいなら、王后が王の代理をやったっていいだろう。わざわざ呼び戻すってのが腑に落ちねぇよなぁ」

 瑞雲(ずいうん)が不満そうに顔を歪める。自身が混ざり者であることに加え、その不完全さを愛している彼にとって、混ざり者がいかにも都合のいい扱いを受けることが気に入らないのだろう。それに、王になることが必ずしもその者にとって、いいことだとは限らない。その双肩にかかる重圧は、琉劔が一番よく知っている。

「泛旦国の民は、尾の生えた新王のことを『狗王(いぬおう)』と呼んでいるらしい」

 彼が即位すると決まった時、一体どんなやり取りが王宮の中であったのだろう。尾だけであれば比較的容易に隠し通せるが、民へのお披露目の際に新王自ら暴露したということなので、平和的な話し合いで決まったことではないのだろう。

「なんか、ややこしそうな国だねぇ」

 日樹(ひつき)がぼやいて、空を仰ぐ。相変わらず強い日差しが、地面に濃い影を落としていた。

 道なりに黒鹿を歩かせているうちに、商人や旅人の列と重なり、その向こうに王都の門が見えてくる。そこから先は下乗の札が立っているので、琉劔たちは黒鹿を降り、轡(くつわ)を取って進んだ。

 王都の門は、門壁と柱が紅い日干し煉瓦で作られているのに対し、門口には深い水の底のような濃緑の化粧石が使われており、細やかに彫られた無数の三角形が組み合わされて、三重の見事な円形の文様を描いていた。小さな図形を組み合わせて大きな文様を仕上げるというやり方は、斯城国も得意とする技法だ。

「あれ、なんだろ」

 人々がくぐる門口の上部に、石製の一脚の椅子が置いてあることに日樹が気づいた。装飾にしては大きく、意匠も凝っている。そして皆、その椅子に向かって拝をして門をくぐっていくのだ。

「玉座……か?」

 意味を図りかねて、瑞雲も首を傾げる。すると、近くを歩いていた商人らしき男がこちらを振り向いた。

「ありゃ招來天尊(しょうらいてんそん)様がお座りになる椅子だよ」

「招來天尊っていうと、国神(くにがみ)の?」

 日樹が問い返すと、男はそうそう、と頷いた。

「この門をくぐる者は、皆招來天尊様に忠誠を尽くせっていう意味だよ」

 それを聞いて、琉劔は再度門上の椅子を見上げる。神像ではなく、あえて空の椅子を置くことで人々に神を想像させ、その心により留めさせているのだろうか。

「お前さんたち、この国は初めてなのか?」

 男に問われて、日樹が人懐っこく頷いた。

「うん。だから信仰のこととかも疎くてさぁ」

「この国は、招來天尊様が唯一絶対の神だ。ただ、招來天尊様を信仰することを条件に、今まで戦をして併合してきた国や部族の神々を、街の神堂(しんどう)に入れてやってんだよ。今じゃ十柱以上の神が鎮座してるぜ。全部、招來天尊様の子分になったっていう名目だ」

「それは太っ腹だねぇ。普通、制圧した国や部族の神なんか迫害するもんでしょ?」

「あえて拠り所を残してやる方が、まとめやすいって気づいたんだろうよ。ま、おかげで俺みたいな異教徒も、商売しやすいんだけどよ」

 そんな雑談を交わして、男は連れの者たちとともに市が立つ場所へ向かっていく。

「もしかすると、過去に無理やり従来の神を捨てさせようとして、余程大きな反発を食らったことがあったのかもな」

 琉劔はつぶやくように口にする。通常、国神とは、国と民に深く根ざし息づいているものだ。あえて亡国の神の存在を許しているとなれば、それなりの理由があるのだろう。

「百年前に王朝も替わって、遷都もしてる国だ。いろんな歴史があるだろうよ」

 瑞雲がさして興味もないように言って、三人は街の中に今日の宿を探した。

 適当な宿を見つけて黒鹿(くろじし)を預けた琉劔(りゅうけん)たちは、食事を摂るために再び街に出た。王都酬垃(すうら)は、小さな商店や住居がひしめき合うように乱立しており、そのすべての建物が紅い日干し煉瓦で建てられ、しかも外観も間取りも同じような造りになっている。そのため大通りから逸れて一歩路地に入ると、どこを見ても同じ道に思え、途端に迷宮に迷い込んだように方角すらわからなくなってしまうのだ。地上を歩いていると思っていたら、いつの間にか地下にいたり、知らぬ間に誰かの家の庭先に入り込んでいたり、行き止まりに突き当たってしまったりするため、右往左往しながら大通りを目指した。

 ようやく王都の中心を貫く大通りへと出てくると、そこには両側に商店が多く建ち並び、大勢の人々が様々なものを買い求めていた。通りは荷を積んだ赤鹿(あかじし)と、店先で商談する人々で溢れており、歩いている琉劔たちの鼻先をかすめるような近さで、鹿車(ろくしゃ)が走っていく。その鹿車が、太い化粧石の柱がある、ひときわ目を引く立派な店の前で停まると、待機していた下男たちが鹿車から大量の紙を下ろしはじめた。

「紙問屋か。儲かってそうだな」

 瑞雲(ずいうん)がどこか羨ましそうにつぶやいた。店の前で待っていたらしい商人たちがこぞって動き出し、店員と交渉して上質な紙を何巻きも買い求めていく。

「あの紙問屋は、天領(てんりょう)店ですか?」

 すぐ傍にある衣料品店の店員に、琉劔は尋ねた。泛旦(はんたん)国にとって紙は重要な交易品であるがゆえに、生産や販売を国が管理していることは充分あり得る。

「そう見えるかもしれないけど、違うんだよ。あえて言うなら、神堂店かね」

 店員の女は、肩をすくめながら紙問屋へ目をやった。

「この国じゃ、紙の生産は神堂の神官が握ってんのさ。だからあの店も、神堂の直轄。でもその稼ぎを、子どものための服やら食べ物やらに換えてくださるんで、みんな有難がってるよ。王宮でふんぞり返ってる奴らより、よっぽどましさ」

 店員は声を潜めて言って、さあさあと切り替えるように手を叩いた。

「紙もいいけど、お兄さんたち、うちの店も遠慮せず奥まで見て行っておくれ。そこの漠衣(ばくい)は珍しい色だろ? うちの店で綿花から作ってるんだよ」

 そう言われて、瑞雲と日樹(ひつき)も店先の商品を覗き込む。生地の質は驚くほど粗雑でもなければ、とびきり上質でもない。衣料品以外にも、首飾りなどの小物も扱っているようで、その品数は思った以上に豊富だった。おそらくは、大半を梦江(ぼうえ)国からの輸入品が占めているのだろう。砂漠を抱える僻地だと聞き、さほど豊かではないだろうと想像していたが、いい意味で予想を覆された。

「あ、招來天尊(しょうらいてんそん)の椅子だ」

 店の片隅に、先ほど門上で見かけた椅子が祀られているのを見つけて、日樹がつぶやいた。祭壇の中に収められたそれは、掌ほどの大きさではあるが、門上のものより鮮やかな着色がされている。そしてその隣には、一体の神像が寄り添っていた。腰に巻いた鎖を威嚇するように振り上げたその姿は、かなり迫力がある。

「こっちの像も神様なんですか?」

 日樹が尋ねると、店員の女は愛想よく頷いた。

「そうだよ、馬尭神(ばぎょうしん)様。五十年くらい前に併合した尭(ぎょう)国の神だよ。出迎えと祓いの神と言われてきたけど、今じゃ商売繁盛の神だね。招來天尊様にお仕えする神の中でも、一番人気だよ」

 女の言葉に、琉劔は供え物で彩られた祭壇をまじまじと見つめた。国神(くにがみ)以外の神もいるとは聞いていたが、実際に目にしてみると、一神教で育った自分にとっては妙な感覚だった。

「あんたたち旅の人かい?」

 そう問いつつ、店員の目はしっかり瑞雲を捉えている。どこの国でも、男女問わず虜にする彼の美貌は健在だ。

「携帯用の食器なら隣の店で買えるよ。干し肉ならそのまた隣。ご入用のものは全部この蹄(ひづめ)印の『蹄屋(ひづめや)』で揃うから」

「蹄印?」

 日樹が問い返して、三人は日除けの店幕に黒々と描かれたそれを見つけた。おそらくは黒鹿の足跡だろう。

「全部同じ主人の店なのか?」

 琉劔が問うと、店員の女は愛想よく頷いた。

「ええ、おかげさまで。他州にも続々と支店を出しててね。蹄屋の威(い)氏といったら、この王都じゃ飛ぶ鳥を落とす勢いの豪商だよ」

 女はどこか誇らしげに腰へ手を当てた。

 改めて平積みになった商品に目を向けた琉劔は、直後に鹿上で感じるようなわずかな揺れを覚えて、思わず靴底で確かめるように地面を踏みしめた。

「──なんだ?」

 顔を上げると、店頭にある商品の首飾りが、左右に揺れている。

「地面が揺れてる!?」

 日樹が、自分の足元を見つめて驚いたように叫んだ。

 振り返れば、通りを行く人々も立ち止まり、不安そうに周囲を見回したり、空を見上げながら、左胸に手を当てる神への拝を繰り返したりする者もいた。

「こりゃ地破(ちわり)だな」

 瑞雲が落ち着いた様子でつぶやく。

「地破……これが……」

 琉劔は小さく繰り返した。斯城(しき)国では体験したことのない大地の揺れだ。話だけは聞いたことがある。

「また揺れたね。最近多いんだよ。大したことない揺れなんだけど、やっぱり混ざり者が王になったから、招來天尊様がお怒りになってるのかもしれないね」

 店員の女は小さく息を吐いて、祈るように「どうか神の御名(みな)のもとに」とつぶやいた。

「地破が王のせいとか、そんな噂が流れてんのか?」

 瑞雲が露骨に顔をしかめて尋ねる。

「みんな言ってるよ。狗王(いぬおう)が即位してから地破の回数だって増えたみたいだし」

「ってことは、狗王が即位する前からも地破はあったんだよな?」

「あったけど……こんなに頻繁じゃなかったってことだよ」

 瑞雲の追及に、店員の女はやや面倒くさそうな口ぶりになり、他の客に呼ばれてその場を離れた。地破を新王のせいにすることは、もはや巷で挨拶代わりのようになっているのかもしれなかった。

「皆、落ち着きましょう。招來天尊様はお守りくださいます。どうか神の御名のもとに」

 紙問屋から数人の神官が姿を見せて、通りを歩く人々へ呼びかける。人々は足を止め、神官とともに神へ拝をし、祈りの輪はあっという間に大きくなった。

「やはり狗王のせいでしょうか」

「混ざり者が王になどなったから……」

「この地破は呪いなのでは?」

 店員の女と同じようなことを口々に訴える人々に、神官たちは、大丈夫です、安心してくださいと、微笑みながら声をかける。

「招來天尊様は、この国と民を正しき道へお導きくださいますよ」

 ただそこに、王のせいではないという否定の言葉は一切なかった。

「混ざり者の王が原因かどうかはともかくとして……」

 日樹が、通りの方からこちらに視線を戻す。

「なんで揺れるんだろ? 地面の中に何かあるのかな?」

「地中にいる巨大な鹿が跳ねてるだとか、不知魚(いさな)の寝返りだとか、大地の神が踊っているだとか、いろいろと話は聞いたことがあるが、実際のところはどうなんだろうな」

 琉劔は改めて地面に目を落とす。動かないと思っていたものが突然目覚めたように震え始めると、人々はそこに人知を超えたものを想像する。

 たとえばそれが、混ざり者のせいだというように。

「不知魚の寝返り程度で、地面が揺れてたまるかよ。どんだけでかいと思ってんだ」

 瑞雲が呆れ顔で腕を組んだ。市井の人々にとって、山奥の秘境に生息し、巨大な甲羅を持つ不知魚など滅多にお目にかかれるものではない。そういう意味では、神と同じような認識なのかもしれなかった。

「まして混ざり者が王になったから地破が起きるとか、んなことができりゃあ、とっくに気に入らねえ国のひとつやふたつ潰してるっつーの」

 やれやれと盛大に息を吐いて、瑞雲は歩き出す。

 大通りには、蹄屋のように衣料品を売る店の他に、手軽に食べられる軽食を出している屋台もあれば、酒を出す店もある。琉劔たちは、豆と野菜を専用の鍋で鹿肉と一緒に蒸した、炊汁(タシル)という郷土料理を出す店で腹を満たし、しばし旅の疲れを癒した。日干し煉瓦で建てられた店の中は、日射しが遮られる分、外よりも涼しい。習慣として床に敷いた敷布の上へ直に座って食事をするので、卓と椅子を置くよりも隣席との仕切りは曖昧になるが、それが気にならないだけの充分な広さがあった。壁際には紗幕で囲われた席もあり、おそらくは商談や会食などに使われるのだろう。店内には食事以外にも、茶や酒を吞みながら話し込んでいる人々の姿もあった。

「この後どうする? 神堂に行く?」

 食後に花の香りがするお茶を飲みながら、日樹が尋ねる。すでに陽は西に傾いているが、濃紺の天幕が下りるのはまだしばらく先だ。

「急ぐ旅でもねぇんだ、神堂は明日でいいだろ。俺は吞み直しに行くぞ。ようやく気兼ねなく飲めるからな」

 すでに三杯の果実酒を空にしている瑞雲が、そう言いつつ四杯目を飲み干した。

「道中だってずっと気兼ねなく吞んでたじゃん」

「あれでも自重してたんだよ」

 普段から水のように酒を吞む瑞雲は、ほとんど酔わないばかりか、どれだけ吞んでも翌日に引きずらない。ただ、こちらが気絶するように眠りに落ちるまで付き合わせるので、性質(たち)が悪いのだ。

「好きにしろ。俺は宿に戻る。さすがに今夜は体を休めたい」

 琉劔は呆れて息を吐いた。まともな寝台で眠ったのは、もう五日前だ。野宿は慣れているとはいえ、疲労の蓄積は無視できない。

「ちょっと吞むくらいいいだろ。付き合えよ」

 席を立とうとした琉劔の腕を、瑞雲が強引に掴んだ。

「お前に付き合うと長い」

「日樹! お前は来るよな?」

「えー、どうしよっかなぁ」

 瑞雲が両腕で二人を抱き込み、琉劔は暑苦しくなってその腕の中から無理矢理抜け出した。その直後、紗幕で覆われた奥の席から、怒声とともに器の割れる音が響く。

「なんで俺には出せねえんだよ!」

 その声とともに、奥の席を覆っていた紗幕が引き千切られる勢いで開けられた。

「お前じゃ話になんねえから、弥樋(やび)を出せよ! いるんだろ!?」

「延哲(えんてつ)様、落ち着いてください……!」

 露(あら)わになった席には、琉劔たちより若い、十代後半と思われる四人組の男たちが陣取っていた。玉の首飾りや、腰に下げた日金(あかがね)の鎖などを見る限り、いずれも裕福な家の子らだろう。中でも若い女性の店員に詰め寄っているのは、絹で織られた漠衣を身に着けている男だった。

「前に親父と来た時には、一等の八明(ヤーメイ)を出しただろ? なんで俺には出せないんだよ!」

 不機嫌に叫ぶ彼の後ろで、綿入れに身を預けたままの二人はどこか意地の悪い笑みを浮かべ、残りの一人は心配そうに腰を浮かせていた。

「よせよ延哲、もうわかったから」

「前は出してもらえたんだよな、親父さんがいたから」

 からかうように言って、二人は嗤い合った。それを見て、延哲と呼ばれた男は、悔しそうに顔を歪める。

 そのやり取りを眺めて、琉劔は床に置いていた剣を無意識に腰へ差した。八明は、この地方で親しまれている酒の名前だ。等級が高いほど、上等な品だとされていたはずだ。

「なんだなんだ、若者は元気だな」

 店内の客が遠巻きに眺める中、瑞雲がわざとらしく大きな声で囃し立てた。それを聞きつけ、延哲が不愉快そうにこちらを見やる。しかしそこに目を瞠るほどの麗姿を見つけて、一瞬鼻白んだ。

「う、うるせえな! 関係ない奴は引っ込んでろよ!」

 後には引けない様子でそう叫び、彼は女性店員の腕を強引に掴んだ。

「じゃあせめて酌をしろよ! それくらいならできるだろ!」

「延哲様!」

 そこへ店主らしき初老の男が、慌てて駆け寄ってきた。

「申し訳ございません、一等の八明はただいま切らしておりまして──」

「俺だから出さないのか!?」

「決してそんなことは……」

「弥樋、お前誰の土地で商売をやってると思ってんだ? ここは威家の土地だぞ?」

 どうやらこの延哲という男は、仲間に上等の酒を吞ませてやる、などと調子のいいことを言って連れて来たはいいが、思い通りにはいかなかったので癇癪を起こしているといったところか。もっとも、薄笑いを浮かべて延哲を見ている者たちが、果たして仲間なのかどうかは怪しいが。

「それに、最近三番通りに新しい店を出したよな? なんでその報告が俺にないんだ? あそこの管轄は俺だぞ!?」

 まるで後ろの三人に虚勢を張るように、延哲は店主に詰め寄った。

「報告は、関哲(かんてつ)様にきちんとしております」

「親父のことは訊いてねえよ。なんで俺に報告がないのかって訊いてんだよ!」

「それは……関哲様がそれでいいとおっしゃったので……」

「そんなはずないだろ! あそこは俺に任すって親父が言ったんだ!」

 延哲が精いっぱい大声を張り上げるが、彼が望む言葉が店主から返ってくることはなかった。

「なんかちょっと、延哲くんがかわいそうになってきた」

 茶を飲みながら日樹が素直な感想を漏らすと、隣の席にいた客たちがここぞとばかりに身を乗り出した。

「同情なんかいらねえよ。延哲は親父の権力を笠に着て、調子に乗ってるだけの馬鹿息子なんだ」

「そうそう、馬鹿すぎて仕事を任せてもらえねえんだ。跡取りは妹の方だって、みんな噂してらあ」

「しょっちゅうああやって威張り散らしてんだぜ」

「小さい頃はもうちょっとかわいげがあったんだが、妹と比べられ始めてから捻(ひね)くれちまってな。最近は親父にも見放されて、やけくそなんだよ」

「なるほどねぇ」

 納得したように頷く日樹の隣で、琉劔は改めて延哲に目を向ける。ここまで言われてしまうとは、よほど日頃の行いが悪いのだろう。

「もういいよ延哲、お前がこの店でどう思われてるか、よくわかったから」

「今度はお前ひとりでも、吞ませてもらえるといいな」

 仲間の二人が席を立って、笑いながら店を出ていく。残った一人は、出て行った二人と延哲を交互に見て、結局その場に留まった。そして気遣うように声をかける。

「延哲、もう行こうよ」

「──ちくしょう!」

 叫んだ延哲は、目の前にいた店主を突き飛ばし、傍にあった皿や水差しを蹴り上げた。食べ残した料理が飛び散り、宙を舞った食器が近くにいた客に当たり、床に落ちて割れる。被害を受けまいと、周囲にいた客たちが一斉に延哲から距離を取った。

「どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!」

 両膝を突き、悔しそうに床を拳で殴った延哲は、先ほどまで客が飲み食いしていた食器を、力任せに薙(な)ぎ払おうとする。その腕を、流れるような動きで琉劔が掴んだ。

「それくらいにしておけ」

 不愉快そうに顔を歪めて、延哲がこちらに目を向ける。

「……なんだよお前」

「ただの客だ。久しぶりにまともな飯を食っていい気分になっているのを、これ以上台無しにされたくない」

「なんだと!?」

 延哲は琉劔の腕を振り払って立ち上がる。憂さ晴らしに、何が何でも喧嘩してやろうという構えだ。

「よせよ延哲!」

 一人残っていた仲間が止めに入ったが、延哲はうるさい! と一喝して黙らせた。

「どうせお前だって、俺のことを馬鹿にしてるんだろ!」

「そんなことない!」

「あいつらと一緒にとっとと帰ればよかったんだ!」

 よほど頭に血が上っているのか、延哲が仲間の言葉に耳を傾ける様子はない。

「友人の忠告は聞いておいた方がいいぞ」

 琉劔の嘘偽りない言葉だったが、延哲は「黙れ!」と叫んで、勢いに任せて殴りかかってくる。琉劔はその右腕を難なく捕らえ、相手の体を背負うようにして床へ投げ倒した。時間にしてわずか数秒。喧嘩慣れしている相手であれば、まずこんなに簡単に腕を取らせてはくれない。

「いいぞ、にいちゃん!」

 一部始終を見ていた客から、どっと歓声が上がった。瞬きの間に倒された延哲は、何が起こったのかわからない様子で呆然と天井を見上げている。

「俺が帯剣しているのが見えなかったのか? 武器を持っている相手に、素手で殴りかかってくるとはいい度胸だ」

 仲間に抱き起こされる延哲に、琉劔は呆れ気味に告げた。おそらく体術や武術の類では素人だろう。それでよく喧嘩を吹っ掛けてきたものだ。

「……威家を敵に回して、ただで済むと思ってるのか」

 延哲が苦々しく吐き出したが、ただの成り上がりの豪商だろ! という野次が飛んで、客たちが笑う。ようやく自分が見世物になっていることを悟った延哲は、くそ! と吐き捨て、早足に店をあとにした。その背中を、仲間が追いかけていく。

「お客さん、助かりました!」

「ありがとうございます!」

 店主と女性店員から礼を言われて、琉劔はご無事で何よりですと、短く返す。自分としては、とっとと宿に引き上げて休みたいだけだ。

「ぜひお礼をさせてください! お好きなものをご馳走させていただきます!」

「いや、食事はもう……」

「よっしゃ! じゃあ酒だ! なんでもいいから酒持ってきてくれ! 皆で乾杯しようぜ!」

 断ろうとした琉劔を遮って、すかさず瑞雲が声を上げた。それに賛同した他の客たちが、次々と杯を片手に集まってくる。

「あー、これはもう、あと二刻は帰れないかなぁ」

 日樹が言って、自分の隣の綿入れを叩きながら、立っている琉劔に座れと促した。

「なんでこうなるんだ……」

「まあ、ちょっと付き合ってあげようよ」

 悄然(しょうぜん)とする琉劔のもとに新たな酒が届けられ、無理矢理杯を持たされたかと思えば、即座に瑞雲の音頭で乾杯が始まった。

「威(い)氏ってさ、あの紙問屋の前にあった店の主人でしょ?」

 日樹(ひつき)の予想通り、約二刻後に店を出た琉劔(りゅうけん)たちは、宿に向かって歩いていた。前を歩く瑞雲(ずいうん)はまだ吞み屋を探しているが、隙を見て置いていくつもりだ。子どもではないので、朝には戻ってくるだろう。

「繁盛してるって言ってたし、この街ではそれなりに力があるんだろうね」

 先ほどの店にいた客たちから、威家についての愚痴は腹いっぱい聞かされた。商売で稼いだ金で土地を買い漁った大地主でもあり、賃料の値上げや立ち退きをかなり強引にやるので、あまり評判は良くないようだった。

「まあ、どこの国でも珍しくはない話だな」

 琉劔は、腰の剣に左腕を預ける。成金の息子の性格が歪むのも、よく聞く話だ。

「御前(ごぜん)である!」

 不意に通りを歩く人々の向こうから声がして、琉劔は足を止めた。

「御前である! 道をあけろ!」

 琉劔たちの進行方向にいた人々が、その声に促されて道の両端に避(よ)けていく。人波が分かれた向こうに姿を見せたのは、二人の兵士だった。鎧の胸に、国章である五芒星(ごぼうせい)が描かれている。

 狗王(いぬおう)だ。

 狗王が来た。

 不満そうに顔を歪める人々から、そんな声が漏れ聞こえた。

「平伏せよ、じゃないんだね。避けるだけでいいなんて親切だねぇ」

 道の端に移動しながら、日樹がのんびりと口にする。国によっては王の直視を禁じているところもあることを思えば、確かに膝を汚さずに済んでありがたい。

「こうも早く混ざり者の王を拝めるとはな」

 瑞雲が興味深そうに、人混みの向こうを覗き込んだ。

「あ、来たよ」

 日樹が囁くように言って、琉劔はそちらに目を向ける。

 人波を割って出てきたのは、思ったより小柄な少年だった。先ほどの若者たちと同じような漠衣(ばくい)を着ているが、彼らの腰巻よりもよほど上質な光沢のある生地だ。そして権威を示すように、その腰にはいくつかの玉を繋いだ装飾がある。しかし陽に焼けた露わな上半身は逞しいとは言えず、薄い筋肉の下にあばら骨が浮いていた。足元は沓(くつ)さえ履いておらず裸足だ。夜の色を写し取ったような黒髪と、灰がかった瞳。好奇心の強そうな、言い換えれば生意気にも見えるその顔には、まだ少年のあどけなさが残っている。彼はどことなく気だるげな二人の兵に誘導され、店で買い求めたらしい串焼き肉を頬張りながら、王宮の方へ歩いていく。集まっている人々には興味もないのか、視線すら向けない。

 そしてその尻に確かにある、黒の尾。

 ふさふさとした毛並みのそれは、漠衣に入れた切れ目から、主張するようにわざと出しているようだった。

「あれが泛旦(はんたん)王……」

 琉劔は口の中でつぶやく。自分より年若い王には初めて会ったが、それよりも本当に混ざり者であることに驚いた。おまけに彼は、そのことを微塵も隠そうとしていない。

 集まった人々の中には、ひそひそと王を蔑(さげす)む言葉を交わし合う者もいれば、気持ち悪そうに眉を顰(ひそ)める者もおり、かと思えば、一部には面白がって狗王万歳! などと叫ぶ者もいる。まるで、見世物のような状態だった。

 一体どんな事情で、彼は玉座に上ることになったのか。

 王自身は、人々から投げられる声などさほど気に留めることもなく、小鳥のさえずりを聞くような面持ちで、轍(わだち)の残る砂の道を歩く。

「……ちょっと待て」

 思慮に沈んでいた琉劔の隣で、瑞雲がぼそりとつぶやいた。

 目を上げると、彼の双眼は真っ直ぐに狗王の姿を捉えている。

「嘘だろおい……」

 もう一度つぶやくと、彼は胸に吸い込んだ息を全力で吐き出すように叫んだ。

「ダギ!」

 ざわついていた人々の目が、一斉に瑞雲に向けられる。彼は人混みを掻き分け、訝(いぶか)しげに振り返った王の前に出た。警戒した兵の一人が、腰の剣に手をかけながら瑞雲を見やる。

「貴様、主上の名を気安く──」

「ダギだよな? 俺だ! 瑞雲だ!」

 咎めようとした従者の言葉など聞かず、瑞雲は口にする。その顔を見て、怪訝そうにしていた狗王が呆然と目を見開いた。

「……兄貴?」

 親とはぐれた仔犬が、細く鳴くような声だった。

 それは不知魚人(いさなびと)たちが、親愛を込めて瑞雲を呼ぶ言い方だ。

「やっぱそうだよな? ダギだよな?」

 瑞雲が唇を持ち上げて両腕を広げる。

「久しぶりじゃねえか!」

 狗王が手にしていた串焼き肉が、力なく抜け落ちて地面に転がった。

「──兄貴!!」

 確信に変わった瞬間、狗王は一瞬泣きそうな顔をして、それを隠すように迷いなく駆け寄り、瑞雲の胸に飛び込んだ。

二、

「俺がまだ不知魚人(いさなびと)の一員だった頃、泛旦(はんたん)国の『春江(しゅんこう)』って町に立ち寄ることがあった。しけた町だが、美味い麦麭(ばくほう)を焼く店があって、そこで日数調整を兼ねて何泊かするんだ。ダギとはそこで会った。不知魚人(うち)の小人(ちび)たちとしょっちゅう遊んでたんで、よく覚えてる」

 懐かしい顔との再会をこれ以上ないほど喜んだダギは、瑞雲(ずいうん)に紹介されて、琉劔(りゅうけん)──風天(ふうてん)と名乗った──と日樹(ひつき)との挨拶を済ませると、すぐに三人を王宮へと招いた。すでに自分たちの周りには、何重にも人垣ができており、落ち着いて話せる状況ではなくなっていたのだ。見物していた人々にとっては、狗王(いぬおう)が生き別れの兄と再会したように見えていただろう。明日になれば、王都中がその噂で持ちきりになるはずだ。

「だが、お前が王族だったなんて聞いてねぇぞ。どういうことだ」

 ダギに連れられるまま王宮への道を歩く途中、瑞雲が先を歩くダギの頭に遠慮なく手を置いて詰め寄る。

「俺だって王宮から使者が来るまで、自分の生い立ちなんか知らなかったんだって!」

 ダギは十代の少年らしい顔で、苦笑しながら年上の友人を見上げた。

 泛旦国の王宮は王都の北側に位置しており、王宮へ続く道の両端には、王都の門よりも巨大な、大樹を思わせる石の列柱がある。まるで、訪問者を石柱の森へ誘い込むような様相だ。中央部分がやや膨らんだその円柱の一つ一つには、泛旦国の歴史が刻まれているらしいが、長年の風雨によって削られ、色や文字が判別できなくなっているものもあった。

 そしてその先にある王宮はさらに巨大で、紅い岩盤を削って作られた表宮の正殿を中心に、日干し煉瓦に白い化粧石を貼った建物がいくつか組み合わさって構成されているが、いずれも過度な装飾はなく、窓も小さいため要塞のような印象を受ける。左右に聳える二対の高い砦は、見張り台も兼ねているのだろう。王都の周辺に高い山はないため、あそこに登れば王都はおろか、州全体を見渡せてしまえるはずだ。

「俺も後で知った話だけど、俺は生まれてから七日後に王宮から出されて、春江の養い親に預けられたんだって。要は混ざり者だったから、厄介払いだよ。まさか王の嫡子に尻尾があるだなんて、認められなかったんだろ」

 ダギが琉劔たちを連れて行ったのは、王宮の表宮、外殿の東側にある建物だった。外殿と比べると、彫刻の装飾などが目立ち、おそらくは他国からの使者や、高客をもてなすための場所だろう。中に入ると、細かく砕かれた色とりどりの化粧石が壁や床に貼られ、国章でもある五芒星を入れ込んだ、独特の繊細な幾何学模様を生み出している。吹き抜けの天井は高く、天窓には色硝子(いろがらす)が入っていた。また、岩盤を削った壁は思っていたより厚く、外よりも随分と涼しい。窓が小さいのは外の熱気を入れず、中の冷気を逃がさないためでもあるのだろう。

「でも一昨年、王が急に死んで、弟が十歳で王になるまでの繋ぎとして呼び戻されたんだよ。ちょうどその頃俺も、養い親が死んで一人だったし」

 ダギはさして感情も込めず、やや面倒臭そうな素振りで、さらりと説明する。巷に流れている噂と、おおよそが一致する話だった。

 主上が突然客人を連れて帰ってきたせいで、下女や侍女、小臣たちが慌ただしく動き出す。彼女たちは客人を、膝を折って左胸に手を当てる最上級の拝の形で迎えたが、そこには笑顔も言葉もなく、ただ淡々と与えられた仕事をこなしているだけの印象だ。その態度は、この狗王が歓迎されていない王だということをよく伝えるものであり、同時に彼の孤独を思わせた。

「まさかお前がなぁ……。その尻尾がなきゃ気付かなかったぜ」

 瑞雲がしみじみとダギを眺める。彼が不知魚人を出奔したのは十五歳のときだと聞いているので、ダギと最後に会ったのは、少なくとも九年近く前のことだ。

「俺はすぐわかったよ。こんな別嬪(べっぴん)、王宮に来たっていなかったし」

「お、言うようになったじゃねぇか」

 瑞雲がダギの頭を片腕で抱え込んで、遠慮なくかき回すように撫でた。そこに王だからという遠慮は微塵もない。そしてダギもまた、身をよじって笑いながら受け入れている。不知魚人自体が大きな家族のような集団であることを思えば、ダギも身内同然だったのだろう。

 しかしそれを考えると、自分の生い立ちを知って、繋ぎとはいえよくも王になることを了承したものだと、琉劔は無意識に腕を組む。自分を捨てた親への感情は、そう簡単に整理できるものではない。これだけ不知魚人と親しかったのであれば、その一員に加わるという選択肢もあったはずだ。

「お茶をお持ちいたしました」

 やがて部屋の入口から白練色(しろねりいろ)の女官服を着た女が姿を見せて、大きな盆に載せた茶器を静々と運んでくる。

「お茶だけ? あそこの万桃(ばんとう)食っていい?」

「主上のお気に召すままにどうぞ」

 先ほどの女官たちと違い、こちらの侍女はきちんとダギと目を合わせ、笑みすら浮かべて会話をする。その様子を、琉劔は興味深く眺めた。

「なんか気になる?」

 その視線を認めて、ダギが尋ねた。

「いえ……、そちらの侍女は、ダギ王と親しそうだなと思っただけです。申し訳ありません、出過ぎたことを」

「いや、全然いいよ。それに敬語も使わなくていいぜ。風天も日樹も、兄貴とおんなじようにしゃべってよ。兄貴の友達なら、俺の仲間も同然なんだからさ」

 ダギは屈託なく言って、皆を敷布の上へ座るように促した。

「俺は所詮狗王だから、俺が即位した途端に宮仕えを辞めていった奴も多いんだ。浬灑(りしゃ)はその後で雇った俺専属の侍女。他の女官がやりたがらねぇから、俺の世話を全部引き受けてる」

 果実の盛ってある高杯(たかつき)を引き寄せ、ダギはその中から握り拳より少し小さい万桃を取る。そしてかぶりつこうとした寸前で、浬灑が制した。

「主上、切り分けますので、その食べ方はおやめください」

「だってこの方が早いじゃん。春江じゃ皆こうして食べてたぜ? まああそこで食えたのは、こんないい万桃じゃなかったけどさ」

「ここは泛旦国の王宮ですよ。いい加減、春江での暮らしはお忘れくださいませ」

 呆れたように言い返して、浬灑は月金(しろがね)製の茶器でお茶を淹れていく。身体を冷やす作用があるという、薄水花(はくすいか)の清涼感がある香りが部屋の中に漂った。そして各々に茶を配ると、今度はダギの要望に沿って万桃を切り分ける。

 万桃は泛旦国周辺の山間で採れる果実で、中央部分に大きな種があり、上手く切るには勘所がいる。琉劔たちも旅の途中で買い求めることがあったが、なじみのない果物の食べ方に悪戦苦闘し、結局地元民の多くがそうするように、齧りつくのが一番食べやすいという結論に落ち着いた。小刀で切り分けようとした浬灑も案の定苦戦し、見かねた日樹が交代を申し出る。

「申し訳ありません、お客様にこんなことを……」

「気にしないで。俺、下に弟妹いるからさあ、なんでも食べやすいように切るの、慣れてるんだよね」

 恐縮する浬灑に明るく言って、日樹は迷いのない手つきで万桃を切り分けた。

「何かあれば、すぐにお呼びくださいませ」

 浬灑は日樹に礼を言い、丁寧に拝をして部屋を出て行く。その後ろ姿を、日樹が目で追いかけた。

「……変わった侍女だねぇ」

「肝は据わってるかもな」

 茶の注がれた器を手にして、瑞雲が意味ありげに苦笑する。

「浬灑と、あと片手に収まるくらいかな。この王宮で、俺とまともに話してくれるの。俺が混ざり者だってことは、王宮の一部の人しか知らなかったから、即位させるかどうかで内部でもめちゃっくちゃ揉めたみたいだぜ。神堂なんか未だに納得してねえし、神官は俺のこと見かけると、露骨に避けて歩くしな」

 ダギは他人事のようにさらりと口にする。

「あと、兵部(ひょうぶ)の大青司長(だいせいしちょう)、蜂畿(ほうき)っていうんだけど、そいつがもう混ざり者に対して拒否反応がすごくてさ。俺が即位することを最後まで猛反対してたって聞いたし、今でも目の敵にされてる。蜂畿以外にも俺のことを無視する奴とか、挨拶しない奴とかはごろごろいるし、飯に残飯を出されるとか、寝台に泥が塗られてるとか、倉庫に閉じ込められたこともあったな。まあでも春江の貧乏暮らしに比べりゃ、全部温(ぬる)かったけど」

 指折り数えながら、ダギは当時のことを思い出すように語った。

「国や両親に、わだかまりがないわけではないんだろう? そんな仕打ちまで受けて、よく王になろうと決意したな?」

 琉劔は同情気味に尋ねる。彼が王宮に連れ戻された当時、味方などほぼいなかったのではないか。

「わだかまりどころか、恨みしかねえよ。王太后なんか、実の親のくせに俺が即位した途端会いに来なくなったし。それまでは、菓子だのなんだのを持ってしょっちゅう会いに来て、自分が知らない間に俺が捨てられてしまったとか、王に先立たれた自分は不幸だとか、そんな話ばっかりしていった。でも俺に王になって欲しいとは絶対はっきり言わねえんだ。遠回しに、そうしてくれれば助かるって、なんとなく察しろよって、そればっか強いる。弟に会ったのも一回きりだ。頬についた髪の毛を取ってやろうとしたら、ものすごい勢いで王太后に引き離された。結局実の母親だって、混ざり者が帰ってきたことを、心から喜んでなんかないんだよ。都合よく隙間を埋めるもんが、たまたま俺だったっていうだけ」

 ダギはひとくち茶を啜って、唇を湿らせる。

「最初は、王になんか絶対なってやるかって、ふざけんなって思ったし、誰がお前らの思い通りになってやるかって、今でも思ってる。それでも俺が王になったのは、復讐になると思ったからだよ」

 自嘲気味に笑って、ダギは続ける。

「王太后たちの計画では、俺が混ざり者であることを伏せて即位させようとしてたんだ。俺はそれに従ったふりをして引き受けて、即位式の日に城壁の上で、集まった王都の連中に向けて尻を出してやったんだ。そしたら大騒ぎになった」

 あっけらかんとしたダギの告白に、茶を飲もうとしていた瑞雲がむせて咳き込んだ。

「おま……思い切りが良すぎだろ……!」

「どうしても王太后の鼻を明かしてやりたくてさ」

 ダギは歯を見せて笑う。

「混ざり者が王になる国なんて、それだけでいい恥さらしだろ? それを産んだ王太后の評判だってがた落ちだ。俺が春江で暮らした年月の分だけ、嫌な目に遭えばいいと思ったんだよ。だからわざと尾を隠さずに街中練り歩いてやったし、王都の門口に意味もなく立ってやったこともあるぜ。腹が減ったときは厨房から勝手に飯を盗んだし、朝議では最後まで起きてたことが一回もねえ。よくもこんな屑を王にしたなって、大勢が思えば思うほど、俺の復讐はうまくいってるってこと」

 琉劔は、何も言わずに茶を口に含む。およそ健全ではないとわかっているのに、晴らさねば歩き出せない感情があることには、心当たりがあった。

「だいたい俺、不知魚人になりたかったし。あの時王宮から遣いが来ずに、お頭(かしら)に会えてたら、今頃不知魚(いさな)の甲羅の上にいたのにさぁ」

 ダギは頭の後ろで手を組み、天井を仰いだ。

「お頭と約束してたのか?」

「いや、俺が勝手に待ってただけ。賭けみたいなもんだった。もう一回会えたら、仲間に入れてもらえるように頼もうって」

 不知魚人が使用する旅路はいくつかあり、町での滞在日数や、通行する道はその都度変わる。おまけに連絡手段は訓練された高価な事葉(ことのは)だけなので、一般人が彼らと自由に連絡を取ることは、不可能に近い。

「今からでも遅くないだろ。お頭に連絡しといてやろうか?」

 冗談めかして瑞雲が口にする。それを聞いて、ダギが苦笑した。

「四年後に頼もうかなぁ。弟が即位したら、俺はお役御免だし」

「ってことは、約一年経って王宮の生活もそこそこ気に入ってんのか?」

「いや、気に入ってるわけじゃないんだけど……」

 ダギは迷うように視線を動かした。

「春江より、王都の方があったかくていいなとは思うよ。あっちは雪が降るから。冬の夜に一人でいるよりかは、ましなのかな」

 一瞬だけふと大人びた目をして、彼は苦笑する。

「それより、兄貴たちは何で泛旦国に来たの?」

 思い出したように問われて、琉劔たちはそれぞれ目を合わせながら、どこから話すべきかと探り合う。

「ちょっと理由(わけ)ありでな、この国の招來天尊(しょうらいてんそん)を調べに来た」

「招來天尊って、国神(くにがみ)の?」

「まあ正確に言うと、『夜空で満ち欠けする星のひとつから来た神』を調べてるってとこか」

「なんで?」

「同じような言い伝えを持つ神様を探してるからだ」

「神様を探す?」

 ダギが不思議そうに眉根を寄せた。それもそうだろう。実際に神に会ったという人の話は、神話かおとぎ話の中にしか存在しない。人々は皆、会ったこともない神を像に刻み、もしくは大樹や山河、海に重ねて拝んでいる。訪ねて行って会えてしまうのなら、それはもう神ではないのかもしれない。

「ダギは心当たりねえか? 『夜空で満ち欠けする星のひとつから来た神』」

 瑞雲の問いに、ダギは難しい顔で腕を組む。

「聞いたことねえよ。だいたい俺、招來天尊についてもよく知らねえし」

「じゃあスメラっていう神のことは、聞いたことねえか?」

「すめらぁ? なにそれ。どこの神?」

 ダギは鼻に皺を寄せて問い返した。

「俺の生まれ育った土地に伝わる、伝説の神だよ」

 日樹の説明に、ダギはふうんと曖昧な相槌を打つ。あまり興味はないらしい。

「まあ、神のことなら神官とか、神司(かんづかさ)に訊くのがいいだろうけど……」

「街の神堂には、明日にでも行ってみようと思っている」

 琉劔はやや温い茶を啜る。王が瑞雲の知り合いだったことは、自分たちにとっては好都合だ。国神と国の中枢は密接に結びついている。その辺を歩き回って集めた情報より、格段に精度が変わってくるだろう。

「それなら今から行こうぜ! 俺案内するからさ!」

 ぱっと目を輝かせて、ダギが提案した。

「招來天尊を祀ってる神堂って、ふたつあるんだ。王宮とは王都を挟んで反対側にある赤の神堂と、王宮内にある青の神堂。赤の方はちょっと遠いけど、青の方ならすぐ案内できっから、ここにいたってつまんねぇし、行こうぜ!」

 思ってもみなかった言葉に、三人は顔を見合わせる。

「でも……ダギに嫌な思いさせるかもしれないよ?」

 日樹が気遣うように口にする。神堂がいまだにダギ王を認めていないと、先ほど聞いたばかりだ。

「大丈夫だよ。あいつらのやることなんか、もう慣れてるし」

 一方ダギの方は、屈託のない目を向けてくる。おそらくその言葉に偽りはないのだろう。

「せっかく王様がこう言ってんだから、お言葉に甘えるか?」

 瑞雲が窺うように、琉劔たちの顔を見る。

「本当にお願いしていいの?」

「いいって! なんたって俺、王だから」

 親指で自分を差し、ダギは胸を張る。

「では、頼めるか?」

 琉劔が言うと、ダギは任せとけって! と、跳ねるように立ち上がった。