電車のシートに腰掛け、しばらくスマートフォンを操作してから視線を上げると、目の前に巨大な山がそびえていて驚く。練乳をぜいたくに垂らしたような白い嶺に惚れ惚れしながら、自分が静岡に来たことを思い出す。地元住民にとって日常的な景色かもしれないが、普段は遠くから眺めている者からすると圧倒されてしまう。

 こんなに間近に富士山が見られるなんて、いいですね。そんな感想を伝えると、小船翼は「はい」とうれしそうに笑った。

「本当にくっきり見えるんで、すごいですよね。でも、もう静岡に来て3年目になるので見慣れました」

 標高3776メートルの富士山について、身長198センチの小船が語る。それだけでロマンを感じてしまった。


最速150キロを誇る知徳の小船翼 photo by Kikuchi Takahiro

【スパイクサイズは32センチの特注品】

 この日、静岡県富士市にある富士市立高校の野球部グラウンドで、同校と小船がエースを務める知徳高校の練習試合が行なわれていた。知徳にとっては「ビジター」になるが、駿東郡長泉町に校舎があるだけに日常的に富士山を間近に拝める環境は同じだ。

 バックネット裏にはNPB2球団のスカウトの姿もあった。小船は昨秋に最速150キロをマークし、今秋ドラフト候補に挙がる大型右腕である。取材前に下調べしたところ身長は「197センチ」となっていたが、本人に確かめると「最近また伸びて198センチあります」という。

 ただ上背があるだけでなく、足も腕も胴体も全体的に大きい。スパイクのサイズは32センチで特注品。体重は110キロあるそうだ。

 小船は神奈川県海老名市で生まれ育った。父は180センチ、母は170センチと高身長で、6歳上の兄・歩さんも181センチ。だが、次男の翼は規格外だった。中学1年時には歩さんの身長を追い越し、中学卒業までに192センチに達している。

 海老名シニアに在籍した中学時代について聞くと、小船は「4番手投手で試合にはほとんど投げていません」と明かした。右ヒジを剥離骨折するなど、故障が多発していたためだ。

 それでも、小船に焦りはなかった。海老名シニアの飯塚良二監督から「体ができていない今はしょうがない。高校では絶対によくなるから」と励まされていたからだ。

 高校は兄・歩さんも進学した知徳へ進み、寮生活を送っている。高校では身長が6センチ伸び、体重は15キロ増えた。高校では大きな故障はなく、20キロ以上も最高球速が伸びている。小船は「体重が増えて、球の威力が変わりました」と振り返る。中学時代に悩まされた大きな故障もなく、順調に階段を上がっている。

 小船の投球フォームは独特のリズム感がある。ノーワインドアップからゆったりと軸足(右足)で立ったあと、体をカクンとくの字に折って体重移動をする。小船によると、このリズム感は「昔から」だという。

「すんなり(体重移動に)いきすぎると、おかしくなるんです。本当ならくの字になるのをやめたほうがボールに角度がついていいと思うんですけど、今の体だとこれがベストなのかなと」

 2024年の高校生投手には、小船を含めて大型の注目投手が目立っている。気になる投手がいるかと聞くと、小船は即答で「川勝くんです」と答えた。

 川勝空人(かわかつ・そらと)。生光学園(徳島)のエース右腕で、身長180センチ、体重84キロのたくましい体躯から最速153キロを計測する。身長差こそあるものの、投手としてのタイプは小船と似ている。そんな感想を伝えると、小船は「似てるっす」と同調した。

「映像で見て、馬力がすごいなと思いました。いつか話してみたいです」

【大阪桐蔭には7回7失点】

 筆者が訪れた日の練習試合では、小船は6回から登板して3イニングを投げている。だが、本調子にはほど遠く、ストレートの球威は想像していたものとは違った。

 試合後、小船は「スパイクの歯が途中で取れてしまって......」と気まずそうに明かした。足場が心もとないなか、斜めに鋭く変化するスライダーを武器に最低限の投球でまとめたのだった。

「スライダーは前まで縦変化だったんですけど、最近、横変化に改良して自信がつきました。三振が取れるし、カウントも取れるようになりました」

 小船の評判を聞きつけ、強豪校と対戦する機会も増えている。今春は学法石川(福島)、京都外大西(京都)、大阪桐蔭(大阪)とセンバツに出場した3校と練習試合を戦った。

 学法石川戦と京都外大西戦はともに5回1失点と好投したものの、大阪桐蔭戦は7回7失点と苦しんだ。主砲のラマル・ギービン・ラタナヤケの内角にスライダーを投じたところ、ボールが抜けて死球になってしまった。それ以降、センバツ前の相手に気兼ねして、右打者の内角を突けなくなってしまったという。

 その代わり、左打者に対しては「抑えられたので、自信になりました」と小船は語る。

「やっぱり普通の高校とは違うので、強いチーム相手に投げるのはプラスになっていると感じます」

 今後の課題を聞くと、小船は「股関節周りの柔軟性」を挙げた。もともとは柔らかかったのだが、中学生くらいから股関節周りが硬くなってしまったという。

 まだまだ素材段階なのは間違いない。数年後には別人のように進化している可能性は十分にある。

 いずれ、どんな投手になることをイメージしているか。そう尋ねると、小船はこう答えた。

「相手を圧倒できるピッチャーになりたいですね。圧倒できれば、それだけでチームに勢いをつけられますから。バッターに恐怖感を与える投球をしたいです」

 身長198センチの大器の視線は、まだまだ上を向いている。小船翼が最高峰へと足を踏み入れたその時、野球ファンは今まで見たことのない投手を目撃するのかもしれない。