日本サッカー協会(JFA)前会長
田嶋幸三インタビュー03

◆田嶋幸三・01>>ハリルホジッチ解任の真実「目をつぶることはできなかった」
◆田嶋幸三・02>>「なぜ森保監督を続投した?」JFA前会長の答えは...

 日本サッカー協会(JFA)前会長の田嶋幸三は、2016年4月から2024年3月までサッカー界の先頭に立った。4期8年の在任期間の半分は、新型コロナウイルス感染症とともにあった。

 連続インタビューの第3回は、「100年に一度」とも言われるウイルスに、JFAがどのように向き合ったのかを掘り下げる。

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田嶋幸三JFA前会長がコロナ禍で下した決断とは? photo by Sano Miki

 田嶋自身は2020年3月に罹患した。女子ワールドカップ招致のロビー活動などで、欧州各国とアメリカを駆け足で移動したためだった。

 入院生活が落ち着いてきたところで、田嶋の携帯が鳴った。

「ステイホームでサッカースクールができなくなって、月謝を集めることができません。コーチたちの給料や施設の利用費などの固定費が払えないです。日本サッカー協会で助けてもらえませんか」

 若年層の強化や指導者養成に携わった田嶋は、全国にネットワークを持つ。同種の声が数多く届いた。コロナウイルスによる社会経済活動自粛の影響は、当然のことながらサッカー界にも及んでいた。

「これは大変だ、と思いました。日本のサッカーはJリーグのアカデミーや学校の部活動だけでなく、町のクラブやスクールにも支えてもらっています。身近でボールを蹴ることができる、サッカーを楽しめる環境は、私たちJFAのもっとも重要な財産のひとつです。

 サッカーの火を消してはいけない、すぐにサポートするべきだということで、プロジェクトチームを立ち上げました」

 第一次サッカーファミリー財政支援事業と名づけられたプロジェクトは、5月14日の理事会で承認された。同日にはJFAのウェブサイト上で受付がスタートされ、翌15日には第1回の審査が開かれている。驚異的と言っていいスピード感で、5億円規模の財政支援が進められていった。

【代表チームの強化活動を止めてはならない】

 コロナ禍では日本代表の国際Aマッチなどが開催されていない。収入は大幅に減っている。それでも、47都道府県のサッカー協会、全国9地域の協会への補助金は、例年どおりに交付した。

 サッカーの火を消してはならない。

 47都道府県協会、町クラブやスクールを潰してはならない。

 各種リーグ、連盟を支えなければならない。

 子どもたちの笑顔を、絶やしてはならない──。

 そうした思いが、田嶋とJFAの職員たちを衝き動かした。


田嶋幸三JFA前会長が激動のコロナ禍を振り返る photo by Sano Miki

「新型コロナウイルスは100年に一度の危機、と言われました。我々には諸先輩方が積み立ててくれたものがありましたので、これは今こそ使うべきだろうと。そこに迷いはありませんでした」

 田嶋が自らに課した使命が、もうひとつある。

 代表チームの強化活動を止めてはならない、というものだ。

 海外との往来が自粛されていた2020年10月と11月に、日本代表はヨーロッパで強化試合を行なっている。「ヨーロッパでプレーしている選手を集めて、ヨーロッパで試合をしよう」と声を挙げたのは、ほかでもない田嶋である。

「ヨーロッパは9月から、無観客でネーションズリーグをスタートさせていました。各国のリーグ戦も始まっているので、コロナ禍での試合運営を積んできている。ヨーロッパでプレーしている選手でチームを編成して、森保監督以下スタッフに渡欧してもらえば、試合ができるのではないかと考えました」

 日本代表と対戦相手、さらには運営に関わるJFAや現地スタッフから感染者が出たり、クラスターが発生したりしたら、「時期尚早」や「準備不足」といったそしりを免れない。実際に、10月に対戦したカメルーン代表の選手が、試合が行なわれるオランダ入り後にPCR検査で陽性判定を受けた。しかし、迅速な対応で感染拡大には至らず、試合は無事に開催された。

「全員が同じ方向を向いての黙食などを、対戦相手にも求めました。『なんでそんなことをしなきゃいけないんだ』と言われましたが、10月、11月と無事に試合を終えることができました。10月の2試合を終えた段階で韓国協会の関係者から、『どんな対策をしたのか?』と聞かれました。彼らは11月に、オーストリアで2試合やりましたね」

 日本のスポーツ界のモデルケースとなった2度の欧州遠征は、翌2021年から再開が見込まれるカタールワールドカップ2次予選、さらには2021年夏開催の東京五輪へ向けたテストマッチへの助走となった。

【感謝の気持ちを示す行動をサッカー界からやっていこう】

 活動の前提となるPCR検査についても、JFAは各スポーツ団体にその方法論を示した。スマートアンプ法による核酸増幅検査である。PCR検査より判定までの時間が短く、検査用の機械を持ち運びできるなどの理由から、スマートアンプ法による検査はスポーツの現場にマッチした。

「コロナ禍では都道府県をまたぐ移動に制限があったりしました。そういうなかでも各年代の代表チームの強化を止めないために、国内で合宿などを開くとすると、検査が欠かせません。集合時から開催時、自チームへ戻ったあとにも検査をしてもらうことで、事前に無症状の感染者を特定するとか、感染の拡大を防ぐことができました」

 2021年3月から4月にかけて、JFAは国内で国際試合を重ねた。5月下旬から6月中旬にかけては、日本代表、U-24日本代表、なでしこジャパンの3カテゴリーで合計9試合を消化した。コロナ禍での試合運営がシステム化され、JFAの活動は東京五輪開催の貴重なエビデンスとなった。

 6月の各試合の会場では、医療従事者、医療関係者、エッセンシャルワーカーへ拍手が送られた。キックオフに先立って各チームの選手、監督、スタッフが、感謝とエールを拍手に込めた。

 田嶋が言う。

「僕自身が罹患して入院して、医療従事者のみなさんのご苦労は身にしみて理解していました。試合前の拍手はヨーロッパでは早い段階で行なわれていて、これは自分たちも絶対にやるべきだと思いました。感謝の気持ちを実際の行動で示すことを、僕らサッカー界からやっていこう、と」

 コロナとどう向き合うのか。コロナ禍でどう活動していくのか。コロナがもたらす差別や偏見を、いかにして労いや励ましへ変えていくのか──。

 日本社会に巣くう疑問を解決するために、JFAは試行錯誤を繰り返しながら動き続けた。その足跡は10年後、50年後、100年後に、あらためて評価されるのではないだろうか。

(04につづく/文中敬称略)

◆田嶋幸三・04>>宮本恒靖新会長へ「院政を敷くつもりは一切ない」


【profile】
田嶋幸三(たじま・こうぞう)
1957年11月21日生まれ、熊本県天草郡出身。現役時代のポジションはFW。浦和南高3年時に高校選手権を制覇し、筑波大学4年時に日本代表に選出される。1980年から1982年まで古河電工でプレーしたのち、引退して指導者の道へ。西ドイツに留学してB級ライセンス、1996年にJFA公認S級ライセンスを取得し、1999年から2002年にかけてU-16、U-17、U-19代表監督を務める。2002年にJFA技術委員長となり、2016年3月に第14代JFA会長に就任。2024年3月、4期8年の任期を終えた。