高次元なチャレンジを尽くしていたRGV-Γ 250SP!【このバイクに注目】(このバイクに注目)
1980年、2スト復活の狼煙を上げ、レースシーンと直結するイメージでレーサーレプリカ時代の幕を開けたヤマハRZ250。
その流れを一気にエスカレートさせたのが、車名にワークスマシンの称号だったΓ(ガンマ)を冠した1983年のRG250Γだった。
世界GPのワークスマシンでしか見られなかったアルミの角パイプ・フレーム、16インチと小径のGPマシンと同じ仕様の前輪、そして量産250ccではあり得なかったカウリングボディ……何から何までレーシングマシンを彷彿とさせるパフォーマンスパーツで構成されていた。
この勢いにライバルメーカーからも一気にレーサーレプリカ度合いを高めたマシンが勢揃い。
スズキも負けじと1988年、それまで並列ツインだったエンジンを、90°のVツインとしてシリンダー内側の掃気ポート干渉を避けたスリム化、フレームもアルミ引き抜き材のツインスパーとしてシャシーを大幅剛性アップ。
さらに1991年には片側2本だしマフラーとガルアームで、深いバンク角を可能にする先鋭化が進められた。
車体のグラフィックも世界GPマシンのスポンサー・カラーと、よりレプリカの雰囲気を高める限定モデルがどのメーカーからもリリースされ続けていた。
エンジン特性は様々なデバイスが開発されたが、2スト250ccは旧来からのピーキーな高回転域の鋭さが好まれ、Γも初代が54×54mmのボア×ストロークだったのに対し、56×50.6mmとショート・ストローク化、刺激を楽しむ層を育んでいた。
レース参戦で鍛えられた70°Vツインは、刺激の少ない実質的な速さを獲得、それだけ刺激を失っていた……そうしたエスカレートの一途を辿ったレーサーレプリカ時代も、毎年のように繰り返されるマイナーチェンジからフルモデルチェンジまで、メーカー同士の激突にはユーザーが次第に辟易として、徐々に沈静化の波に呑まれつつあった。
そんな終焉を感じさせる中、スズキは依然として戦闘モードの渦中にいて、1996年に70°Vツインの新エンジンを投入、54×54.5mmと中速域重視が優先課題。
それはレーシングマシンと市販レプリカを同時開発していたからで、Vバンクが20°狭くなったのでエンジン全長が40mmコンパクト化、電子制御キャブレターから排気デバイスまで、レースで勝てるエンジン特性へ方向転換がはかられていたのだ。
その結果、ライディングで旧モデルのような刺激を感じさせず、ファン心理としては魅力がいまひとつと評価されがちなデビューとなった。
チャンピオン獲得はワークスマシンでも市販車がベース、職人ワザのコンセプトがレベルの高さを醸し出す幕引きマシン!実はライバルたちは既に2スト250ccの開発から手を引きはじめていて、そうしたなかスズキはワークスマシンXR95を開発、実戦で鍛えられたフィードバックを反映したレプリカがこの70°Vツイン、RGV-Γ 250SPとしてリリースされた。
左側のみにある吸気の大きなエアインテーク、キックアームを廃しセル始動のみとしたり、前モデル同様にカセット式ミッションに、空力試験を実戦投入で繰り返し改良するなど、最新のフォードバックだけに他モデルには見られなかった高い次元の仕様となったフォルムも特徴のひとつだ。
こうして最期の'95年シーズンまでXRワークス参戦していたが、いかにも職人ワザを知り尽くしたスズキらしさで包まれていた。
とくに中速域の逞しさは、ひとり抜きん出ていて、ライバルに大きな差がついていたのが忘れられない。
ただ自主規制の見直しから、以前は45ps上限だったのは40ps/9,500rpmのスペック表示。しかし規制のない輸出仕様は62psでレース用のキットパーツでは70psとされていた。
本格的なレーサーレプリカ全盛の幕開けだった1983年のRG250Γから、1998年に生産をやめたRGV-Γ 250SPまで、15年間の熱いドラマの連続だった。