ヤマハには創業当時のオートバイは「黒」という選択肢はなかった!【このバイクに注目】(このバイクに注目)

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車体色が圧倒的に黒が主流の中に、ひとり華麗な光を放っていたヤマハ!

このYDS1は1959年のヤマハ初のスーパースポーツ。パイプフレームに2ストローク250cc2気筒を搭載した、創成期のレースから生まれた超ハイパフォーマンス・マシンだ。

しかしその車体色は何とゴールド。世界を見渡してもここまで派手な車体色は見当たらなかった。
そんな贅沢で優雅なグラフィックは、当時に栄華を誇った英国製バイクにも存在していない。

この突き抜けた感性は、ヤマハの意図を汲んで世界と肩を並べようと猛チャージしたGKデザインが発信。
以後、長い間ヤマハのデザインを担ったペア的な存在だった。

そのYDS1の次作、1962年のYDS2では渋い深緑とベージュのツートン。
まさかの渋いコーディネイトは、250ccながら650ccOHVバーチカルツイン並みのパフォーマンスと共に世界中から注目を浴びた。

オトナが嗜むからには贅沢な特別感を意識したオートバイづくり

いわずもがなのヤマハ発動機・第1号バイク、1955年の125ccYA1。
この処女作から赤というかエンジの明るいカラーとベージュを組み合わせている。

ピアノや楽器のヤマハがオートバイをつくる事業、ヤマハ発動機を創設した川上源一が、欧米を視察してきた一番のインパクトが、人生を楽しもうとする旺盛な姿勢、いまでいうライフスタイルを確立していこうとする人々の暮らしだった。

いずれは日本もこうなっていく……この意識をデザイナーをはじめ共有したことで、ヤマハのバイクは個性的という流れが形成されていったのだ。
次いで1956年にリリースした174ccのYC1。
「シャンゼリゼの濡れた舗道」をイメージした灰褐色の塗色には、既に世界のマーケットを意識したクリエイティブな意識が詰まっていた。

アメリカに端を発した曲面を多く使った流線形には、YA1を越える上級機種というコンセプトをそのまま反映、他の日本メーカーとは大きな差異を感じさせる。

世界の流行りの真っ只中に位置していた張り合う気持ち!

その勢いを強く感じさせたのが1957年の250ccYD1。まさにミッドセンチュリーそのままの、滑らかな曲面構成と中間色とのコンビネーションは、世界の潮流と互角を意識させる実力を漂わせている。
この秀逸さを僅か数年で開花させたのは驚きというほかない。

既に相応の歴史を積み上げてきた日本のオートバイにいま求められている感性とは、こうした時代に培ってきたオリジナリティを大切にする意欲ではないだろうか。

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