愛知県最初の鉄道という出自を持つJR武豊線で高架化計画が進んでいます。名古屋市内の通勤輸送を担いますが、明治期には日本の近代化を支え、沿線には当時の鉄道遺産があります。それらはどうなるのでしょうか。

役目を終えたら撤去されるはずだった

「愛知県で最初の鉄道」――そんな古い歴史を持つ武豊線は、国鉄からJR東海となってからも長らく非電化路線で、沿線には明治期の開業時からの鉄道施設が現役でした。2015(平成27)年3月1日に電化された後もそれらのインフラは使われ続けてきましたが、半田駅(愛知県半田市)周辺の高架化工事が始まると、同駅の跨線橋や駅舎などの施設が用途を終えました。
 
 そこで2020年6月、工事が着手される前にと、転換期を迎える武豊線の鉄道施設を記録しました。約3年が経過していますが、在りし日の姿を紹介しましょう。


JR武豊線は単線である。半田駅で交換する武豊行きと大府行き。上下線の架線の高さに注目。跨線橋があるため下り線の架線はかなり低い(2020年6月16日、吉永陽一撮影)。

 明治時代初め、東京と大阪方面を結ぶ鉄道は、中山道に沿った中山道線が計画されました。その建設資材はほぼ全て輸入に頼ろうというもので、諸外国から輸送された資材を陸揚げせねばなりません。名古屋付近では大型船が入港しやすい武豊港(愛知県武豊町)が選ばれ、陸揚げされた資材を運搬するため、1886(明治19)年3月、知多半島東側の熱田〜武豊間に工事用の鉄道が敷設されました。これが武豊線の前身です。

 中山道線は東海道ルートへ改められて東海道本線が建設され、工事用の鉄道は大府駅(愛知県大府市)から先が東海道本線となりました。そして東京方面から延伸してきた線路が大府駅で接続されると、大府〜武豊間が東海道本線の支線となります。この工事用鉄道は当初、資材輸送などが終了したら線路を撤去する予定で、橋梁も簡易な木橋であったそうですが、東海道本線の支線「武豊線」として再運用されるため、鉄橋へと架け替えられたとのことです。正式に旅客鉄道の武豊線となったのは、1909(明治42)年10月12日の鉄道院告示の際でした。

 では武豊線の電車に乗り、開業時から現役の施設を観察する旅に出ましょう。起点の大府駅から4つ目の東浦駅(愛知県東浦町)で衣浦臨海鉄道が分岐し、その隣駅の亀崎(同・半田市)は1面2線の島式ホームに、大ガラスが特徴の近代的な跨線橋が構えています。その跨線橋降り口の傍らに、ちょこんとといった感じで年季の入った木造駅舎が佇んでいるのが目に止まりました。木造駅舎は駅名標が木目板の壁面と同化しそうなほど文字が消えかけており、かなり年代ものの駅舎だと推察できます。

半田駅にあったJR最古の跨線橋

 木造駅舎の玄関脇には、「建物資産標 鉄 03-1001 M19年1月」とプレートが掲げられています。「明治19年1月に竣工」と記され、武豊線が工事用鉄道として開通する直前に駅舎が建設されたことになりますが、おそらくそういうこともあったのでしょう。亀崎駅舎は日本最古の現役駅舎とされ、愛知県や半田市などの観光案内にも紹介されるほどです。

 ただ、亀崎駅では1895(明治28)年に火災が発生し、逓信省鉄道局『鉄道局年報』(明治27年)に「(前略)亀崎停車場本屋及駅長官舎並附属建物火災二罹リ(後略)」と記載があります。本屋は駅舎のことを示します。この年報によると駅舎は焼失し、1895年以後に再建されたことになりますが、どのみち100年以上前の木造駅舎には変わりありません。路線が電化され、跨線橋が新設されるなど近代化されていても、最古級の駅舎が現役で活躍する姿は嬉しいです。


亀崎駅。近代的な島式ホームや、近年増備されたエレベーター付き跨線橋に混ざって、日本最古の現役といわれる木造駅舎がある(2020年6月16日、吉永陽一撮影)。

 もう1か所は亀崎駅から2つ先の半田駅です。半田駅には、建設時と同じ場所で使われていた、JR最古の跨線橋がありました。ただ先述の通り連続立体交差事業によって駅が高架化されるため、2021年に惜しまれつつも撤去されました。

 跨線橋は1896(明治29)年に設置されて以降、一度も移設などされたことはなく、撤去されるまでの125年間、半田駅を見つめてきた生き証人でした。跨線橋には「明治43年11月に完成 JRでは最古の橋です。昭和62年11月 半田駅」と掲げられ、最古の存在をアピールしてきました。

高架化により解体 しかし…

 跨線橋を観察すると、ペンキが厚めに塗布された鉄柱にはうっすらと「鉄道院」の文字が浮かび、丸みを帯びたの鉄柱の造形は、重厚感のなかにも瀟洒な佇まいを見せ、思わず「美しい……」と呟いてしまうほど繊細なつくり。明治時代末期の跨線橋と313系電車の対比も面白く、この鉄柱はどれほどの車両を見送ってきたのだろうかと想像してしまいます。

 さらに半田駅のホーム上屋や駅舎は、跨線橋に負けず劣らずの木造で、入線する電車やTOICA入場機など現代の風景を除けば、駅本屋側の柱の装飾、深い屋根のホーム木造上屋など半世紀前と変わりません。点在する建物資産標には「T 11年9月」「S 19年5月」と、大正昭和の竣工を表すものがあり、半田駅の歩みが詰まっている気がしました。

 しかし、その姿はもう過去のもの。高架化事業により、プレハブ仮跨線橋と仮駅舎に切り替えられました。高架化事業は半田駅前後の踏切9か所を解消するもので、2016(平成28)年から始まり完成は2027年度を予定しています。

 半田駅の最古の跨線橋は解体され、“現地”には存在しません。しかし高架化された際には駅前に、跨線橋をはじめ油庫などの鉄道施設を保存すると半田市が発表しました。跨線橋は移設保存という形で、後世へ残されることとなったのです。高架化事業によって歴史へと消えたわけではありません。


在りし日の半田駅舎。リノベーションされているが木造駅舎であった。建物資産標には「T11年9月」と表記があり、大正11年築とのことだ(2020年6月16日、吉永陽一撮影)。

 武豊線は、終点の武豊駅の先に手動の貨車用転車台が保存され、日本油脂専用線の廃線跡もあります。かつて気動車が行き交った愛知初の鉄道路線は、313系電車が走り抜ける通勤通学路線と成長し、その沿線には鉄道遺産が点在しています。半田駅の整備が終了するのが待ち遠しいですね。