遠藤久美子、“マックの子“から“エンクミ“へ。「毎日が目まぐるしい10代だった」
17歳のときにマクドナルドのCM「証明写真編」に出演し、大きな瞳とショートカット、キュートな笑顔で注目を集めた遠藤久美子さん。
『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)、映画『富江 re-birth』(清水崇監督)、主演映画『五日市物語』(小林仁監督)、主演ドラマ『安宅家の人々』(東海テレビ)、舞台『ダブリンの鐘つきカビ人間』など多くの作品に出演。
2016年に一目ぼれした横尾初喜監督と結婚したことも話題に。公私ともにタッグを組み、2023年9月29日(金)に横尾監督最新作『こん、こん。』が公開される遠藤久美子さんにインタビュー。
◆バスケ部でショートカットに
東京・葛飾区で5人兄弟の次女として生まれ育った遠藤さん。小学生の頃から芸能界に興味はあったという。
「小学校3年生ぐらいのときに、新聞のテレビ欄の横に『子役募集』みたいな記事があったので、こっそり応募したんですけど、書類審査の次の審査でお金が発生するんですよね。それで、お金がないのでやめました」
――ご両親にはバレなかったのですか。
「自分では隠しているつもりだったんですけど、知っていたと思います。応募用の封筒を『出しておいて』って渡したりしていましたから(笑)。でも、特別反対されることもなく、『そういえば(芸能界に)興味をもっていたね』みたいな感じで」
――可愛いので目立っていたでしょうね。
「いいえ、まったくそういうのはなくて。小学校、中学校、高校では、いつも絶対的なヒロインがいたんです。お友だちでいつも隣にいたので、私がこのお仕事を始めたときに周りの友だちたちは、『えーっ、何で?どうしたの?』って驚いたと思います(笑)」
――芸能界に入ったきっかけは?
「16歳のときに、姉のお友だちが『妹は芸能界に興味あるの?』って声をかけてくださったんです。その方が、私が最初に所属した芸能プロダクションの社長とお知り合いで、女性の社長さんだったんですけど、すぐに会いに来てくださったんです。
それで、『オーディションがあるんだけど行かない?』と誘っていただいて、マクドナルドのCMが決まってという感じでした」
――すごく印象的なCMでしたね。
「ありがとうございます。でも、撮影のときは本当に大変でした。初めての現場で、1日中ずっと何百テイクやったかわからないぐらい撮り直して。ずっと『いいよ、いいよ』って言っていただきながら細かく撮っていたので、どのテイクがOKだったのか、わからないくらいでした(笑)。出来上がったのを見て、『あー、こうなったんだ』って」
――あのマクドナルドのコマーシャルが放送されたときは、いかがでした?
「最初にテレビで流れたときは、ちょうど修学旅行先だったんです。クラスメイトと皆でテレビを見ていたときにちょうどCMが流れてきて、私もお友だちと一緒になって『ワーッ』ってなっていました」
――一躍注目を集めることになりましたね。
「そうですね。ありがたかったです。『マックの子だ』って言っていただけるようになったのは、それがきっかけです」
――ショートカットで大きな瞳とキュートなルックスが印象的でしたが、それまでずっとロングヘアだったとか。
「そうなんです。浅野温子さんに憧れていたので、小学校のときはワンレンにしてすごく長くしていたんですけど、中学でバスケを始めたら、先生に『髪の毛が長いと試合中に相手の目に入ったりするので、みんなショートにして』と言われてショートカットにしたんです。
でも、あまり抵抗なかったですね。長いほうが良かったとか、短いほうが良かったとか、髪に対してそこまで深い思いはなかった気がします」
――ショートカットもとても良く似合っていましたね。
「ありがとうございます。デビューのときがショートだったので、当時の事務所の社長さんから『顔を覚えてもらうために、髪の毛はしばらくショートにしましょう』って言っていただいて。『マックの子だ』から、『エンクミだ』という風に言っていただけるようになるまでショートにしていました」
――「エンクミちゃん」浸透しましたね。
「ありがたいですね。確か、雑誌で『エンクミ』って略してもらったんです。事務所の社長さんも『何か略されているみたいだけど、いいんじゃない?』と喜んでいました(笑)」
※遠藤久美子プロフィル
1978年4月8日生まれ。東京都出身。1995年、マクドナルドのCM「証明写真編」で注目される。映画『ゆらり』(横尾初喜監督)、『武蔵−むさし−』(三上康雄監督)、『こはく』(横尾初喜監督)、テレビ『警視庁捜査一課9係』シリーズ(テレビ朝日系)、『競争の番人』(フジテレビ系)など映画、テレビ、舞台に多数出演。2016年に横尾初喜監督と結婚。6歳の長男と3歳の次男の母親としても奮闘中。2023年9月29日(金)に横尾初喜監督最新作『こん、こん。』の公開が控えている。
◆ドラマ、バラエティ番組、歌手活動も
CMで注目を集めた遠藤さんは、『冠婚葬祭部長』(TBS系)でドラマデビューし、『人気者でいこう!』(朝日放送)、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)などバラエティ番組にもレギュラー出演することに。
「目まぐるしかったです。毎日行く場所もやることも違っていて、すごく新鮮でした。何か毎日が現実世界じゃないみたいでした(笑)」
――最初にCMで注目を集めましたが、ご自身では女優さんになりたいとか、バラエティとか希望はあったのですか。
「デビュー当時はオーディションに行って、いただけるお仕事をやってという感じだったので、『私はこうなりたい』とかじゃなくて、いただいているお仕事に対して、何とかその日1日を頑張るという毎日でした。初めての舞台『ダブリンの鐘つきカビ人間』をやるまでは。その舞台に立たせていただいたときに、初めて『舞台っておもしろい。女優さんってステキ』って思ったんです」
――結構すごい勢いでお仕事をされていましたものね。
「そうですね、前の事務所の社長さんも、『うまくスケジュールがはまった。すごい!』って、いつも言っていました(笑)」
――出演作品もかなり多いので、ほぼ毎日仕事という感じだったのでは?
「そうですね。毎日その日のことで精一杯でした。今どこにいるのかとか、昨日は…とか、振り返る時間もあまりなかったです。私が未熟だったということもありますけど」
――1998年には歌手デビューもされました。
「前の事務所の社長さんが、Winkさんが所属していた会社で働いていて独立されて、事務所を作ったので、アイドルをやってみたかったという思いがあったみたいです。もともと前の事務所はモデル事務所だったんですけど、私を見たときに、『あなたはちょっとモデルじゃないわね。タレントで行きましょう、アイドルになりましょう』ってなったんです(笑)。
それで、当時は、アイドルは歌(レコード)を出すというのがあったみたいで、『カラオケ好き?』って聞かれたので『好きです』と言ったら、『じゃあ、歌を出そう』って(笑)。
一応、うまくないって言ったんですけど、『いいの、いいの。アイドルはね、歌い上げなくていいの。うまくなくていいの。ちょっと音がはずれているぐらいのほうがみんな応援したくなるから』って(笑)」
――20歳のお誕生日にデビューされましたが、レコーディングはスムーズにいきました?
「何回も何回も録音しました(笑)。『ちょっと低い』とか言ってくださるんですけど、その『ちょっと』というのがわからなくて(笑)。
『大丈夫、大丈夫』って、微妙な調整をしてくださって繋げていただいて、レコーディングは何とかなったんですけど、ライブがすごく困りました。生歌が。一生懸命歌っているんですけど、音程がとれなくて、みんな『頑張れ!』みたいな感じで聞いてくださっていました(笑)」
◆怖くて観られなかったホラー映画に挑戦!
2001年には『富江 re-birth』でホラー映画に挑戦。人気ホラーシリーズ第3弾となるこの映画は、奔放で恐ろしいほど身勝手な富江(酒井美紀)が何度殺されても増殖し再生していく恐怖を描いたもの。
遠藤さんは、殺したはずの富江が甦った姿を見て自ら命を絶った英雄(忍成修吾)の親友(妻夫木聡)の恋人・ひとみ役。死・再生・増殖を繰り返す富江に取り憑かれることに。
「ホラー映画は本当に怖くて、私は全然観られなくて(笑)。本当に苦手で、私にできるのか不安でした。その頃は一人暮らしをしていたので、台本を開くのも怖くて家中の電気を点けて、音楽もかけてセリフを覚えたりしていたんですけど、清水(崇)監督が、『これはホラーじゃないよ。ブラックジョークだよ』っておっしゃって。
それで、『おもしろいでしょう?(からだから切り離されて)顔だけになっても顔が動くんだよ。顔が割れるんだよ。おもしろくない?』みたいなことをおっしゃったんです。それまで恐怖が勝(まさ)っていたんですけど、ブラックジョーク的な目線で見たら、おもしろいとまではいきませんでしたけど、たしかにちょっと怖さが和らいだような感じがしたので、そういう目線で見るようにしていました」
――出来上がった作品をご覧になっていかがでした?
「『私の首も顔もこんな風になったんだなあ』って。清水監督が『何かごめんね、顔がこんな風になっちゃって』って言っていました(笑)。
完成した作品は効果音も付くので、音がやっぱりホラー映画独特のダーンと来る感じで衝撃的でした。撮影しているときも怖かったんですけど、清水監督は終始楽しそうに笑いながら演出されていました。ずっとホラー映画を撮り続けていらっしゃいますし、やっぱり感覚が独特なんでしょうね。すごいなあって思いました」
――2002年には『ダブリンの鐘つきカビ人間』で舞台にも挑戦されて。
「はい。私の場合、仕事は決まったものをやるという感じだったので、『今回は舞台だよ』って『ダブリンの鐘つきカビ人間』の台本をいただいたのですが、その台本がすごくおもしろかったんです。お話も独特で。
後藤ひろひとさんの世界観と、G2さんの演出がすごく優しくて。キャストの方たちも皆さん本当に仲良しで。出来上がった舞台は、すごくエンタメとしてきちっとしているんですけれども、その過程がユニークで。舞台の稽古前にラジコンで遊んでみたりですとか、大人たちがわいわい遊んだ先の延長にエンタメがあるような感じで、お稽古場に行くのがすごく楽しくて。
私は、お客さんの目の前で何かを発表するというのが初めてだったんです。それまでは映像、カメラの前だったので。映像だと、今日はこのシーン、次はこのシーンという感じで撮っていって、繋がったものをテレビやスクリーンで観るんですけど、お芝居は幕が開いて最初から最後まで順番に続けてやるじゃないですか。
それで、笑ったり泣いたりしてくれるお客さまの声が聞こえて…それが何かすごく楽しくて、『何か好きかも、この世界』って思って。『年に1本は舞台をやりたいです』って初めて言いました」
――舞台は、何もないところからみんなで作り上げていくという達成感がありますよね。
「はい。構築していく過程が本当に楽しいです。ドラマとか映画だと、本読みをやって、現場に入って2回ぐらいお話して本番に挑むんですけど、舞台だと、稽古は毎日毎日そのセリフが言えるし、毎日毎日自分で考えることができます。
それで、ある程度作って、『じゃあ、これで行こうか』ってなっても、同じテンションで言うのではなく、自分の中で少し、微妙なんですけれども変化があってセリフを話すことができるし、やっぱり前に戻そうかとか。そうやって調整してくださったりしながら作っていく。それで幕が開いて、最後に千秋楽を迎えても、『これでOK』って終わらない世界というか。何かそれが映像とは違うなと思って」
――舞台を経験したことで、女優さんとしてやっていく覚悟が?
「確実にそうですね。初めて『女優になりたい』という目標が生まれました。その舞台のヒロインが水野真紀さんですごくステキだったんです。同じ楽屋を使わせていただいていたんですけど、水野さんはセリフも完璧に入ってらっしゃるのに、鏡の前で細かい動きとか、セリフの言い回しとか、発声とか、繰り返し練習されていたんですね。
映画やドラマだと楽屋も別なので、スタジオ前とかでちょっとお話するくらいですけど、楽屋でずっと一緒に女優さんと過ごして、役との取り組み方を初めて間近で見させていただいてすごいなあって思いました。
舞台後しばらくは、何かテンションが上がりすぎて寝つきが悪かったりしましたね(笑)。初めて女優さんと一緒に生活できたことが、多分大きかったんだと思うんですよね。『女優さんってステキだなあ』って。今、その水野真紀さんと同じ事務所にいるというのも、何か不思議な感じがします」
初舞台を経験したことで女優として生きていく覚悟を決めたという遠藤さん。2008年には昼帯ドラマ『安宅家の人々』に主演。映画『五日市物語』、『警視庁捜査一課9係』シリーズなど多くの作品に出演することに。
次回は撮影エピソード、独立、横尾初喜監督との出会いなども紹介。(津島令子)
ヘアメイク:佐々木彩