日本航空(JAL)の再生を託された稲盛和夫さんが重視したのは、従業員の「心」を変えて、同じ思いを共有することでした(撮影:今井康一)

京セラと第二電電(現KDDI)を創業、経営破綻した日本航空(JAL)の会長として再建を主導し、「盛和塾」の塾長として経営者の育成にも注力した――。

「経営のカリスマ」とも称された稲盛和夫さんが90歳でこの世を去って1年。8月26日(土)にはNHK総合(近畿地方)において稲盛さんの一周忌特番が放送されるなど、稲盛さんの経営者としての歩みやそこで培った人生・経営哲学には、今なお色褪せない普遍的な価値があります。稲盛さんをしのび、日本で25万部、中国で150万部を突破した著書『心。』から一部抜粋してお届けします。

企業再生の第一歩は考え方を合わせること

日本航空(JAL)の再生に携わったときもまた、私がしたことといえば、すべての従業員の「心」を変えて、同じ思いを共有してもらうことでした。

日本航空の経営破綻が発表され、私が会長に就任したとき、すでに企業再生支援機構によって、再建計画が示されていました。つまり、「何をどうすれば再生できるか」という青写真は、すでに用意されていたのです。

しかし、問題はそれを実行する人がいないということでした。

そもそも、経営破綻したということは、トップを含めて全従業員が、そうなるべき心をもち合わせていたということです。

まずはその心のありようを変えなければ、どんな方策を講じたところで、うまくいくわけがありません。

日本航空の再建の期限は3年と決まっていて、私自身もかならずや3年でやり遂げるという信念をもっていました。

したがって、きわめて短い期間のうちに、再生計画を現場で実行するリーダーを育成しなくてはならない。私は京セラから連れてきた役員とともに、経営幹部を集めて1カ月で集中的にリーダー教育をするという計画を立てたのです。

当然のごとく内部からは、さまざまな反発がありました。リーダー教育の重要性について認識している人が少なかったこともありますが、経営破綻という会社の存亡の危機に、幹部全員が集まって週に何日も悠長に勉強会をすることに対して抵抗もありました。

それでも、その大切さを訴え、週に一度は私自身が講義をするということにして、なんとかリーダー教育をスタートさせることができました。

そこで伝えたかったのは、組織のマネジメントの方法でもテクニックでもない。私がまず行ったのは、これまでの経営者人生の中で大切にしてきた考え方、理念であり行動規範でもある「フィロソフィ」を説くことでした。

それらはたとえば、「一生懸命に仕事に打ち込む」「感謝の気持ちを忘れない」「つねに謙虚で素直な心をもつ」など、子どものころに親からいわれ、また学校で先生から教わったようなプリミティブな教訓や道徳をベースにした考え方です。

会社を破綻に追い込んだ元凶

そんな話を聞かされた幹部社員たちは当初、戸惑いと困惑の表情を隠さず、「なぜこのような子どもじみたことを、いまさら学ばなければならないのか」と反発する者も少なからずいました。そういう人たちに対して、私はよく次のようにいったものです。

「みなさんが幼稚といい、当たり前という、とてもシンプルなこれらの考え方を、みなさんは知識としてもっているかもしれませんが、けっして身についてはいないし、実践できてもいません。それが会社を破綻に追い込んだ元凶なのです」

そんな話をしながら粘り強く伝えていった結果、1人、2人としだいに理解を示してくれる者がふえ、やがてだれもが真摯な態度で私の話を聞いてくれるようになりました。

このようにして始まった「リーダー教育」は、やがて幹部社員のみならず一般の社員へと規模を広げ、すべての社員を対象に開かれる「フィロソフィ勉強会」へと発展しました。そして、やがて社内で独自の「JALフィロソフィ」がつくられるまでになりました。

フィロソフィが従業員の心に浸透するにしたがって、会社の業績も驚異的な伸びを見せるようになり、予想をはるかに上回る成果を上げることにつながったのです。

従来の日本航空で経営の中枢を担っていたのは、いわゆるエリートの人たちでした。一流の大学は出たが、現場で汗をかいたことがほとんどない人たちが頭だけでプランを考え、”上意下達”によって会社を動かしてきたのです。

経営というものは、現場を知らずしてできるものではありません。そういう構造をまず変えるべく組織を大幅に改変し、現場で苦労してきた人が経営に携われるようにしました。


稲盛和夫さんが経営者人生の中で大切にしてきたのは、子どものころに親からいわれ、また学校で先生から教わったような教訓や道徳をベースにした考え方でした(撮影:今井康一)

従業員の心が変われば、会社は劇的に変わる

組織をそのように変えただけで、現場で働いている人たちはがぜんやる気を出し、いきいきと働いてくれるようになった。それぞれの持ち場で自分ができることを自らの意志で最大限行ってくれるようになったのです。自分が経営の一端を担っているのだという思いが、彼らの仕事に対する姿勢を劇的に変えていきました。

また私はしばしば現場を訪れては、そこで働く従業員に直接語りかける機会をもちました。日々の仕事への心がまえについてお話しするとともに、お客様に接するにあたって、「利他の心」をもって取り組んでほしいということをお願いしました。

とくに飛行機に搭乗してお客様と直接接する客室乗務員やパイロットの心のありようは、そのまま会社の行く末を担う大きな鍵を握っています。その対応がお客様の心に寄り添うものであれば、また乗ってみたいと思うでしょうし、いい加減なものであれば、お客様はどんどん離れていってしまうでしょう。それはダイレクトに会社の命運を左右します。

私は客室乗務員の人たちを前に、こんな話をしたものです。

「『あの飛行機にまた乗りたい』とお客様に思っていただく。そんな航空会社に生まれ変わるためにいちばん大切なのは、みなさんの『心』です。形ばかりのおもてなしではなく、そこには、お客様に対する感謝や親切、やさしさや思いやりがこもっていなくてはならない。それなくしては会社の再生はかないません」

機長や乗務員が行う機内アナウンスについても、決まった事柄だけをマニュアルどおりにしゃべるのではなく、思いやりの心をもって自分が心に抱いた内容を自分の言葉で話してもらいたい、感謝やおもてなしの気持ちが言葉に表れるような素直で懸命なアナウンスを心がけてもらいたいとお願いしました。

よき心によってなされる行為には、かならずやよき結果がもたらされる。そういう心をもって仕事に従事することは、それぞれの人生という畑に幸せの種をまいてくれるものだ、といったこともお話しした。

単に再生計画がうまくいっただけではない

私の話がどれほど功を奏したのかはわかりませんが、従業員の心はみちがえるほどに変わっていきました。そのことが如実に表れたのが、2011年に起こった東日本大震災のときでした。

水に浸かって陸の孤島と化してしまった空港では、職員が避難していた地元の人々に食料や毛布を提供しました。ある客室乗務員は、機内に長時間閉じ込められたお客様のために炊き立てのご飯でおにぎりをにぎって配ったといいます。


被災地に向かう日本赤十字社の救援スタッフに心あたたまる慰労のアナウンスを行った機長や、そのスタッフの方からお預かりした荷物の中に、ねぎらいと励ましのメモをそっと忍ばせた客室乗務員もいたそうです。

1人で関西のご家族のもとに向かうはずの高齢のご婦人が、乗るはずの飛行機が欠航して困っていたところ、非番だった職員が帯同し、交通機関をやりくりしながら、関西の空港まで送り届けたという話も聞きました。

いずれもマニュアルがあったわけでもなく、だれかの指示があったわけでもない。刻一刻と状況が変わっていく戦場のような現場で、それぞれのスタッフが「いま、お客様のために何をするべきか」を考え、行動してくれた。

日本航空の再生とは、単に再生計画がうまくいっただけではない。こうした従業員一人ひとりの思いが劇的に変わっていった、たしかな「心の改革」だったのです。

(稲盛 和夫)