2019年に52キロ級から48キロ級に階級を変更した角田夏実。試合前の減量は「めちゃめちゃきつい」という【写真:積紫乃】

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角田夏実インタビュー後編、階級変更で重要度を増した体重管理

 1年後の2024年パリ五輪へ向けて、6月29日に日本の注目競技の1つである柔道で4選手に史上最速の代表内定が出された。東京五輪の金メダリストである男子66キロ級の阿部一二三(パーク24)と女子52キロ級の阿部詩(パーク24)の兄妹、女子70キロ級の新添左季(自衛隊)、そして女子48キロ級の角田夏実(SBC湘南美容クリニック)だ。

 角田は21年の世界選手権で初優勝を果たすと、今年5月のドーハ大会で3連覇を達成。圧倒的な強さが評価される形で、自身初の五輪内定となった。30歳にしてキャリア最高の状態にある柔道家は、これまでどんな道を歩んできたのか。インタビュー後編では、52キロ級から48キロ級に階級変更したことで過酷になった減量について、苦労している点や自身の方法論を語った。(取材・文=松原 孝臣)

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 2023年5月、柔道の世界選手権で3連覇を達成した角田夏実。快進撃の契機となったのは、2019年に52キロ級から48キロ級に階級を下げたことにある。

 ただ、階級のあるスポーツでは、誰しも体重管理やコンディショニングと向き合っていて、大抵の選手は減量して試合に臨む。階級を変更、しかも下げるのは簡単ではなかったのではないか。

「52キロ級だと減量がそんなにきつくなくて、社会人になる時にまず48キロ級にしたいと思っていました。ただ膝の手術をして体が大きくなって、とりあえず52キロ級からということで試合に出ていました」

 2015年に社会人となり、52キロ級で戦っていた角田はこの階級を代表する1人になっていったが、東京五輪の代表争いでは一歩遅れをとったと感じていた。

「そこで48キロ級でやるのもありかなと思って、試しに(2019年の)全日本実業個人選手権に48キロ級で出てみました。その後は48キロ級にすると52キロ級の権利がなくなってしまうので、悩みました。48キロ級にしたら、なんとしても48キロ級で勝って強化選手に残らなければいけないんですけど、そこに懸ける意味はあると思い決断しました」

 実業個人選手権の翌月、10月の国際大会は52キロ級で出て、11月の講道館杯が48キロ級での本格的なスタートとなった。

「そんなにきつくなかった」減量が大きく変化

ただ、角田は女子の軽量級では身長が高い部類に入る。

「今は162センチくらいあります。なんだかまだ伸びていて、毎年2、3ミリずつ伸びています。最初は誤差かなと思ったんですけど、毎年そうなので(笑)」

 162センチで48キロ級であるのは、筋肉量なども考えるとかなり絞るイメージがある。角田も、52キロ級では「そんなにきつくなかった」減量が、階級を下げると大きく変化したという。

「48キロ級にしたらめちゃめちゃきついです。なんでこんなきついことをしているんだろうと思うんですけど。普段、練習している時は53キロとか54キロ、今はオフなのでもっとあります」

 そこから大会に向けて、どのように減量していくのか。

「だいたい、3週間ぐらいで落としていきます。運動量もけっこう増えますね。特に有酸素運動を増やしていきます。やり方は勉強してというより、やっていく中でつかんでいった感じです。大会の1週間前くらいには50キロほどにしておいて、そこからあと2キロは2日くらい水を抜いていって落とします。

 水抜きというのは、運動してカロリーを消費するとか水を飲まないというよりも、お風呂で水を出すようなものです。1キロ減らして500グラム飲んで寝て、朝起きて500グラム減っていたら朝ご飯を食べて、と水分調節でやっています。その前の段階は食事も落としていったり、食べ物をちょっとヘルシーなものに変えていきます」

 試行錯誤してペースをつかんでいったことは、次の言葉にも表れている。

「最初の大会の時はビビって、1か月半前ぐらいから落としました。減量自体は問題なくクリアできたけれど、そうなると筋肉の量もかなり落ちちゃうんですね。試合でも力が入らなかったり、その後リカバリーしても全然体重が戻らなくて。今はリカバリーするとしっかり戻るので、大会前と表彰式の時では顔とかだいぶ違うと思います(笑)」

 選手は体重を測定してクリアした後、栄養補給に努める。試合と試合の合間もそうだ。だから大会が終わった段階では、相応に体重を戻している。見た目にも変化が表れる選手も少なくない。

「でもその時は、大会の後も1か月くらい戻らなくて、50キロちょっとぐらいになっていました。体力面でも、自分が軽い感じ、ふわふわ浮いている感じがあって」

 体重管理と、コンディショニングの難しさがそこにあった。

減量成功のポイント「ずっと我慢して減らしていると停滞する」

「本格的に転向した講道館杯では、体重があまり増えていなかったので逆に食べて52キロくらいにして大会前の10日ぐらいで無理やり落としたりとか。何回か試して、やっと今の形でできてきたなと思います」

 食の好みも変化したという。

「52キロ級の時は、そんなに甘いものは食べなくてたまに食べるぐらいだったんですけど、減量して我慢し出すとすごい食べたくなります。ラーメンもめちゃめちゃ好きなんですけど、そういうのはやっぱり1か月前ぐらいからやめたり」

 その「ごほうび」が、精神的に乗り切る原動力でもあるだろう。

 自身の減量法で、アドバイスできるポイントは? そう問うと、角田はこう答えた。

「私の減量方法はあまり良くはないと思います。最後の水抜きなんかは特に良くないと思うんですけど……。その上で言えば、やっぱり塩分量を減らしたり、濃い味のものを減らしたりすることでしょうか。あとはトマトとかバナナといったカリウムが多いものを摂ると、汗が出たり塩分が出てくれます」

 慣れてきているとはいえ、きついことに変わりないのは次の言葉に表れている。

「減量は、めちゃめちゃきついです。大会が近づくと、『また減量が始まるな』と思います。ずっと我慢して減らしていると停滞してしまうので、月曜から金曜まで頑張ったら、土曜日の夜に好きなものを食べて気持ちと体をちょっと一回休ませて、また月曜日から頑張るようにしています。やっぱりずっと我慢というのはできないですから。それがあるから乗り越えられるかな」

 気を張ったままではないことが、コツであるのだろう。

 減量とも戦いつつ、角田は世界の頂点に立ち続けているのだ。

■角田 夏実(つのだ・なつみ)

 1992年8月6日生まれ。千葉県出身。小学2年から父親の影響で柔道を始めると、八千代高を経て東京学芸大に進学。大学で寝技の技術に磨きをかけると、2013年の学生体重別選手権で自身初の全国優勝を果たす。了徳寺大学(現・SBC湘南美容クリニック)に進み16年のグランドスラム・東京大会で優勝。19年に52キロ級から48キロ級に階級を変更すると快進撃が始まり、21年世界選手権から日本の女子選手として史上3人目となる3連覇を達成。6月29日に2024年パリ五輪代表への内定が発表された。

(松原 孝臣 / Takaomi Matsubara)

松原 孝臣
1967年生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わり、再びフリーとなってノンフィクションなど幅広い分野で執筆している。スポーツでは主に五輪競技を中心に追い、夏季は2004年アテネ大会以降、冬季は2002年ソルトレークシティ大会から現地で取材している。