レアル移籍のベリンガムも!「奇妙な背番号5」を背負ったスターたち

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ドルトムントからレアル・マドリーに移籍したイングランド代表MFジュード・ベリンガムは新天地で背番号5をつけることになった。

5番はディフェンダーが背負うことが多いが、ラ・リーガではトップチームの背番号が25番までに限られていることもあるため、この番号はかつてジネディーヌ・ジダンも背負ったことがある。

ベリンガムはバーミンガム時代から22番を好んでおり、バーミンガムはこの番号を永久欠番にしているほど(4番、8番、10番タイプを全て兼ね備えた選手になるという意味で合計した22番を好んでいた)。

ただ、レアルではジダンの番号を背負いたかったそうで、昨季までつけていたヘスス・バジェホから譲ってもらった。

ジュード・ベリンガム

「5番を譲ってくれたバジェホに感謝したい。彼と話したが、素晴らしい人だ。素晴らしいよ。

僕はジダンを本当に尊敬している、彼がこのクラブで背番号5をつけたというレガシーもね。奮い立たせてくれる番号なんだ。

自分はずっと22番をつけてきたし、心の中ではこれからも22番をつけ続ける。5番をつけられることは嬉しい。

このユニフォームそのものに、大きな責任がある。ジダンは僕が敬愛してきた選手。最高の選手だ。

自分は彼と同じことをしようとするのではなく、この番号のレガシーを広げていきたい。

彼の番号をつけることで、あまり迷惑はかけたくなかった。チャンピオンズリーグ決勝以来、連絡はしていない。

彼の足跡をたどり、彼の背番号をつけることはとても名誉。僕は彼をとても尊敬している。僕や僕の家族にとって特別な存在だった」

ここでは、ベリンガムのように一風変わった背番号5番たちを振り返ってみる。

ジネディーヌ・ジダン

意外な背番号5といえば、この人。

稀代の天才MFはフランス代表では10番に君臨し、アレッサンドロ・デルピエロがいたユヴェントスでは21番だったが、レアルではまさかの番号をつけた。

ただ、ミラレム・ピャニッチやジョルジニオ・ワイナルドゥムはジダンに憧れて5番を着けたそうで、ベリンガムもそれに倣うことに。

久保建英

日本が誇る秀英レフティ。

2021年1月にレンタル移籍したヘタフェでまさかの5番を背負った。これは前述したようにリーガでは25番までのなかから背番号を選ばなくてはいけないことによるもの。

マジョルカでは26番、ビジャレアルでは16番、マジョルカ2年目は17番、そして、レアル・ソシエダでは14番を着用。

日本代表では11番が多かったが、今月の試合では20番を背負うことに。

ルーカス・オカンポス

ミランでは本田圭佑、マルセイユでは酒井宏樹ともプレーしたアルゼンチン代表の長身アタッカー。

完全なアタッカーだが、マルセイユに復帰後から背番号5を好んでいる。

アヤックスでは11番だったが、今年1月にセビージャに復帰すると、背番号も5番に回帰。UEFAヨーロッパリーグ優勝にも貢献したが、ルール上の関係でELでは55番をつけた。

サミュエル・エトー

もとはレアル・マドリー出身ながら、宿敵バルセロナのエースとして大暴れしたカメルーン人ストライカー。

9番を背負うことが多かったが、エヴァートンではまさかの5番をつけた。

「社会通念として年をとれば、番号(年齢?)は変わるもの。将来の嫁の誕生日である22番を選ぶこともできた」というのが理由だったそう。

その後、キャリア晩年は81番も背負った(1981年生まれなので)。

ミラン・バロシュ

EURO2004で得点王に輝いた元チェコ代表ストライカー。

トップスピードでもぶれないボールコントロールと狡猾さを武器に活躍。だが、徐々にピッチ内外でエゴイスティックな面ばかりが目立つようになり、一気に転落していった。

リヨン時代の2007年には時速270kmで愛車フェラーリを爆走させ、仏史上最速スピード違反記録で御用になった伝説も…。

ディエゴ・フォルラン

セレッソ大阪でもプレーした元ウルグアイ代表ストライカー。

代表では主に10番を背負ったが、ビジャレアルではまさかの5番を着けた。これも前述したようにリーガの背番号ルールによるもの。ただ、ビジャレアルではリーガ得点王に輝くなど大暴れした。

ちなみに、ビジャレアルはフアン・ロマン・リケルメが背負った8番が人気だが、現在はアルゼンチン人DFフアン・フォイトがその番号を背負っている。

最後はGKなのに5番をつけた激レア選手たち。

ルーカ・ブッチ

イタリア代表経験もあった実力派キーパー。

180cmと小柄ながら、スキルやインテリジェンス、安定した足元を備えていた。一時はジダ以上のGKと評価されたことも。パルマ時代には5番だけでなく、中田ヒデもつけた7番まで背負った。

【画像記事】サッカー史上最も奇妙な「背番号1〜11番」を背負った男たち

ウバルド・フィジョル

アルゼンチン代表として58試合に出場した名キーパー。同国史上最高の守護神と評価されることもある。

アルゼンチンがワールドカップ初優勝した1978年大会で5番をつけた。その理由は当時のアルゼンチン代表が名前のアルファベット順に番号を着用していたため。

彼はW杯3大会に出場しているが、12番・5番・7番を着用。前述の理由で、オズワルド・アルディレスらフィールドプレイヤーが1番をつけることもあった。