旗手怜央が語るゴール量産の古橋亨梧のすごさ 「年間最優秀選手には悔しさも覚えた」
旗手怜央の欧州フットボール日記 第19回 連載一覧>>
セルティックがスコティッシュカップ決勝を制し、リーグ、リーグカップとともに3冠を達成。今シーズンの自分の出来を振り返ると同時に、ゴールを量産したチームメイト・古橋亨梧との関係についても語った。
◆ ◆ ◆
【ピッチではまず亨梧くんを探した】スコットランドにおけるすべてのタイトルを獲得して、2022−23シーズンを締めくくることができた。
スコティッシュカップ優勝。旗手怜央はセルティックのシーズン3冠に貢献した
プロになってから3年半――幸運にも毎年、タイトルを獲得できている。何度、優勝を経験しても、どれもが同じではなく、そのたびに異なる充実感と達成感を得られるのは、自分たちを応援してくれるファン・サポーターが見せる、あの爆発的な歓喜のおかげなのだろう。
6月4日、スコティッシュカップ決勝でセルティックはインヴァネスに3−1で勝利し、ハムデンパークで喜ぶファン・サポーターの姿を見ながら、そんなことを考えていた。
川崎フロンターレ時代は等々力陸上競技場で見る笑顔が、セルティックに加入してからはセルティックパークで見る笑顔が、自分の「さらに」「もっと」という意欲をかき立て、成長をうながしてくれる。
リーグ優勝、スコティッシュリーグカップ優勝に続く、3つめの国内タイトル獲得になったスコティッシュカップ決勝で、ゴールの口火を切ったのは、(古橋)亨梧くんだった。38分、マット・オライリーのパスに亨梧くんはニアへと走り込むと、右足で合わせて先制点を奪った。
亨梧くんのストライカーとしての魅力は、僕が言うまでもなく、動き出しの速さにある。先輩である亨梧くんのプレーについて自分が語るのはおこがましいけど、その動き出しの速さを生かそうと、今季はピッチで前を向いた時には、まず亨梧くんを探し、可能な限り彼へのパスを狙うことを意識していた。
記憶に新しいところとしては、5月7日のハーツ戦(67分の得点)であり、5月20日のセント・ミレン戦(14分の得点)でのアシストがそれだった。また、スコティッシュリーグカップ決勝で記録した亨梧くんへのアシストも、彼を常に意識していたことから生まれたプレーだった。
自分がアシストしたゴールも含め、今季、亨梧くんが決めたゴールの多くが、ワンタッチによるものだった。いかに彼が動き出しで勝負し、一瞬の動きでゴールを決めているかがわかるだろう。
【二桁得点、二桁アシストを目指していた】セルティックには日本人選手が多く在籍しているからといって、常に彼らとだけ固まるようなことがないように意識している自分は、ピッチ外で亨梧くんと一緒に過ごす機会はほとんどない。
でも、今季はピッチ上での会話が格段に増えた。たとえば、試合中に亨梧くんへのパスがずれた時には、合間を見て話しに行き、感覚を擦り合わせた。亨梧くんから、今のタイミングであれば、どういったパスがよかったのか。さらにはどこにほしかったのかを聞くことで、次のプレーに生かし、そして結果につなげてきた。
自らコミュニケーションを取りに行き、意見を聞いたのは、自身の数字にこだわるのもさることながら、チームのゴール、さらにはチームの勝利につながる行動だと思っていたからだった。
そして結果的に、常に亨梧くんを探し、彼へのラストパスを意識したことで、僕はパサーとしても大きく引き上げてもらったように思う。もともとはストライカーだった自分は、セルティックでは2列目やボランチのポジションでプレーするようになった。その役割を全うできたのは、自分のパスからゴールという結果を残してくれた亨梧くんの存在が大きい。
異国の地であるスコットランドのリーグ戦において、日本人選手が27得点を挙げて、得点王に輝く。これは決して簡単ではない。それだけに自分もアシストという結果で、少しだけ貢献できたのであれば、うれしく思う。
自分自身の1年間を振り返れば、リーグ戦では32試合に出場して6得点9アシスト。すべての公式戦で見ると、9得点11アシストだった。二桁得点、二桁アシストを目指していただけに、アシストは達成できた一方で、ゴールは目標とする数字に届かなかったのは、来季への課題と言えるだろう。
冬にセルティックに加入した昨季は、シーズン終盤になりコンディション的にも息切れしてしまったところが課題だった。
1年間を通して高いパフォーマンスを維持する。そこを目標に掲げて臨んだ今季、シーズン序盤はUEFAチャンピオンズリーグを戦いながらもコンディションを維持し、乗り越えられたところは、ひとつ確かな成長と振り返ることができる。
亨梧くんのようにゴールという目に見える数字だけでなく、攻守における貢献が求められるポジションにおいて、シーズンを通して安定したプレーを見せることができたのではないかと感じている。
【密集でもターンして前を向くプレーに手応え】個人的にはチーム内の競争に打ち勝ち、常に出場機会を得られたのも自信になった。同じ中盤のポジションを争ってきたのは、カラム・マグレガーであり、マット・オライリーであり、アーロン・ムーイだった。
マクレガーはチームのキャプテンであり、スコットランド代表。ムーイもオーストラリア代表で、オライリーは22歳と自分よりも年齢が若く、勢いがあった。そうした選手たちとポジションを争う日々は、自分自身、かなりの労力を要していただけに、試合に出場し続けられたことに確かな手応えを感じられた。
またプレーにおいては、人が密集している状況でもターンをして前を向けるようになったことで、プレーの選択肢が大きく広がった。
実は川崎時代は、このターンがスムーズにできずに苦労したし、何度も繰り返し練習していた。当時は4−3−3の左サイドでプレーしていたけど、前を向く時に、右足でトラップして前を向くのと、左足でトラップして前を向くのとでは、見える幅や広がる景色が全く違っていた。
逆サイドまで見渡すには、左足でボールを触ってターンしなければならなかったが、いつも右足でターンしてしまっていたため、(川崎の)吉田勇樹コーチから映像を見させられては、「この場面は反対側にターンしたいよね」と、何度も言われていた。そのプレーを克服、改善しようと、吉田コーチや戸田(光洋)コーチに何度も居残り練習に付き合ってもらったのを思い出す。
セルティックに加入してからも、適切にターンして前を向くのをずっと意識して取り組んできたことでプレーが改善され、今季は自分でも実感できるくらいできるようになった。
亨梧くんも、(前田)大然もスピードを持ち味とするストライカーたち。その彼らが動き出したタイミングで、素早くパスを出すために努力してきたプレーが、自分のものとなった結果、11アシストという数字として大きく表れた。
また、亨梧くんは得点王に輝いただけでなく、スコティッシュ・プレミアシップの年間最優秀選手にも選ばれた。同じ日本人選手として誇らしく感じる一方で、悔しさも覚えた。自分ももっと頑張れば、その栄誉に手が届いたのではないか。喜ばしいと思う一方で、率直にそう感じている自分がいた。
きっと、この悔しさが自分をさらに成長させてくれる意欲につながる。だから、この素直な気持ちに目を背けることなく、これからもこの思いを大切にしていきたい。
旗手怜央
はたて・れお/1997年11月21日生まれ。三重県鈴鹿市出身。静岡学園高校、順天堂大学を経て、2020年に川崎フロンターレ入り。FWから中盤、サイドバックも務めるなど幅広い活躍でチームのリーグ2連覇に貢献。2021年シーズンはJリーグベストイレブンに選ばれた。またU−24日本代表として東京オリンピックにも出場。2022年3月のカタールW杯アジア最終予選ベトナム戦で、A代表デビューも果たした。2022年1月より、活躍の場をスコットランドのセルティックに移して奮闘中。