中村憲剛×佐藤寿人
第15回「日本サッカー向上委員会」前編

 1980年生まれの中村憲剛と、1982年生まれの佐藤寿人。2020年シーズンかぎりでユニフォームを脱いだふたりのレジェンドは、現役時代から仲がいい。気の置けない関係だから、彼らが交わすトークは本音ばかりだ。

 ならば、ふたりに日本サッカーについて語り合ってもらえれば、もっといい未来が見えてくるのではないか。飾らない言葉が飛び交う「日本サッカー向上委員会」──第15回のテーマは、プロサッカー選手を続けるうえで避けることのできない「世代交代」について。激しい競争世界を生き抜いてきたふたりは、チームの"新陳代謝"に対してどう向き合ってきたのか。

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中村憲剛氏と佐藤寿人氏が世代交代について語る

── Jリーグは毎年のように優勝チームが変わる「世界的にも稀有なリーグ」だと言われています。そこには様々な要因があると思いますが、ひとつのチームが継続的に強くあり続けるのは、やはり難しいことなのでしょうか。

憲剛 まず、当たり前の話なんですが、選手は年齢を重ねていきます。いくらいい選手でも、年齢は重ねていきますし、毎年同じパフォーマンスというのは出せません。そして、優勝したチームに対してはどのチームも何とか倒そうと、いつも以上に分析も対策もしてくるわけです。

 その包囲網のなか、新シーズンを迎えるたびに人が入れ替わる状況で常にアップデートをして、上回り続けなければなりません。そこで補強も含めてチーム力を上げることができなければ、どうしてもチーム力は落ちますし、去年よかった選手が今年もいいとも限らない。

 要因は本当に無数にある気がしますけど、大きく言えば、年齢を重ねることと、厳しくなる包囲網、人が入れ替わりながら勝つためのアップデートを図ることの難しさ、になるんですかね。

寿人 Jリーグって海外に比べると、資本と結果が必ずしも一致しないですよね。お金のあるチームが勝つというわけではないから、30年の歴史のなかで本当にいろんなクラブが優勝してきました。

 たしかにここまでバラけるというのは、なかなか珍しいですよね。本当の意味で強いクラブは、まだ生まれていないのかもしれません。

 ただ唯一、フロンターレはその可能性があるクラブなのかなと。この6年で選手が抜けながら4回も優勝しています。人が入れ替わりながらも強さを保てているのは、すごいと思いますね。

憲剛 「クラブの哲学」は大事だと思います。それが大局的に勝ち続けられる要因にもなるのかなと同時に思っていて。

 フロンターレの場合は今でこそ勝っていますが、それ以上に勝てない時代を長く経験してきました。そのなかでもフロンターレは、攻撃的に戦うという哲学のもと、多くの監督・選手たちで築き上げた結果として、今があると思っています。

 哲学が見えづらく、毎年のように方向性が変わってしまえば、当然積み上がらない。そうなると、「クラブの定める方向性」がとても大事なファクターだと感じますね。

── サンフレッチェ広島も、2012年からの4年間で3度の優勝を果たしましたが、クラブの哲学というものはあったのでしょうか。

寿人 2007年にJ2に降格した時が、一番のターニングポイントだったと思います。あそこでミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)を代えないという判断を当時の社長がしたことで、クラブとして積み上げていくことができました。

 やりたいことを明確に打ち出せていたので選手もやりがいを感じていましたし、ほかのチームからも「広島でやりたい」という選手が入ってきてくれた。広島ってそれまで、オファーしてもなかなか入ってきてくれるようなチームじゃなかったんですよ。

 でも、西川周作(大分トリニータ→)だったり、フロンターレと競合した柏好文(ヴァンフォーレ甲府→)も広島に来てくれましたから。それを考えると、しっかりとした哲学があったからクラブが育っていったんだと思いますね。

── ただ、それを継続することは難しいですよね。

寿人 もちろん、同じ監督が長くやることの弊害もあって、維持することの難しさも同時に感じましたね。ミシャが6年やって、その後を引き継いだ森保(一)さんは4年で3回優勝を勝ち取ったんですけど、6年目の途中に解任になって......。

 その後に哲学を継承するところがうまくいかなかったというのは、僕はその時もう名古屋に移籍していましたけど、外から見ていて感じていました。実際に選手も、広島のサッカーに魅力を感じられなくなって出ていく、という流れも生まれてしまいましたから。

── 長期政権の弊害という意味では、フロンターレも鬼木達監督が7年目を迎えています。今季は苦しんでいますが、これまで結果を出し続けられた要因はどこにあるのでしょうか。

憲剛 鬼さんは同じことをやらないですから。もちろん、入ってくる選手の特長を生かすことでやることは変わるんですけど、鬼さん自身が常に新しいチャレンジ、アップデートをしようとする方なので。

寿人 練習メニューもけっこう、いろいろ変えてくるんですか?

憲剛 引退してから日常的に見続けているわけではないので、そこは正直わからない。これはライセンス講習会の講師の方も言っていたんですが、一度監督になってしまうと、インプットする機会と時間がなかなか取れないと。

 常に自チームの分析、対戦相手の分析、それに対しての自チームの準備に日々追われるので、アウトプットがほとんどになり、インプットがなかなかできない。監督を長くやればやるほど、自分のなかにある"財産"みたいなものが減ってくると言っていました。

 自分は止まっているつもりはないんだけど、指導者は孤独だし、インプットがなかなかできないうえに、インプットをしたとしても、それを腰を据えてチームに落とし込むほどの時間も猶予もなかなかないとなると、持っているものが枯渇していく感じがすると。

寿人 たしかに。どこかに学びに行くこともできないですからね。インプットする時間がないから、自分の引き出しのなかは減っていく一方なんですね。

憲剛 だからフリーになった時に、ほかの指導現場を見に行く方が多いって。枯渇しているので、その欲求がすごいと。長期政権の難しさはそこだと。

 だからこそ、大事なのはコーチングスタッフで、今回2期目を迎えた森保さんが、名波(浩)さんや(前田)遼一を入れたのも、そういう考えがあったからだと思う。あのアレックス・ファーガソン(元マンチェスター・ユナイテッド監督)だって、コーチングスタッフを入れ替えながら25年もやってきたわけだから。

── フロンターレもコーチ陣は代わっていますよね。

憲剛 そうなんです。そういう話を聞くと、その部分で変化を起こすのは長期政権を維持するうえで必要なことなんだろうなと思います。

寿人 長い目で見るとそうなんでしょうね。結果を出したスタッフ陣を代えるのは勇気がいることでしょうけど、入れ替えていかないと長くは続かない。

憲剛 だから、フロントサイドはそういうことも考えながらマネジメントする必要があると聞きました。たとえいい時でも、常に新陳代謝を促していく必要があると。Jリーグ30周年の歴史を見ても、そうなんだろうなと思います。

寿人 広島時代も分析担当が代わったりしていたんですけど、それは選手にとってもよかったと思いましたね。前任者がどうとか、新しい人がどうとかいうことじゃなくて、いろんな物の見方を知ることができましたから。

憲剛 そうなんだよね。それが積み重ねの「プラスアルファ」の部分になってくる。人を代えるという言い方はあまりよくないけど、違う視点を持った人を入れるというのが大事なんだろうなと思いますね。

── Jリーグ30年の歴史を振り返ると、オリジナル10のなかで鹿島アントラーズと横浜F・マリノスだけがJ2降格の経験がありません。この2クラブにも確かな哲学が感じられますか?

憲剛 鹿島にはしっかりとした理念があると思います。やっぱり、ジーコさんの影響というのは今も色濃く感じられますね。鹿島もそうだし、マリノスもそうですけど、名門の上に胡坐(あぐら)をかいていないし、常に進化を目指している。

寿人 マリノスに関して言えば、補強が的確ですよね。これはシティ・グループの力もあると思うんですが、去年までいたレオ・セアラなんて、J3の琉球でも活躍できなかった選手ですよ。もちろん、ブラジルでの成長があったにせよ、はじめは大丈夫かと思いましたけど、見事に活躍しましたからね。

憲剛 トレーニングの質だったり、チームの空気感だったりというのは当然いいだろうけど、まだ実績がそこまでない選手でも、うまく機能させて成長させているのはすごいなと。角田(涼太朗)にしても、筑波大学を中退して入ってきて、代表に選出されるところまで行きましたから。

── 絶対的な評価基準があるんでしょうね。

憲剛 基準が高いのもそうだし、スタイルが明確なので、それに合った人材を探せばいい。獲得すべき選手がはっきりしているのではないでしょうか。

 マリノスもあのスタイルを作るまでは、かなりリスクがあったと思います。アンジェ・ポステコグルー監督の1年目の時は、残留争いにも巻き込まれていましたから。でも、そこで基盤を作ったからこそ、タイトルを取るために積み上げるものが明確になり、次の年に優勝できた。

 フロンターレに風間(八宏)さんが来た時も同じで、うしろの選手から意識を変えないといけなかったから、当然リスクは大きかった。でも、それを本気で押し通したチームが、紆余曲折あったなかで、今、自分たちのスタイルを手にしていると思います。

 苦しくなった時に我慢できるか、どうか──。しかし、この世界では「結果」に左右されるので、勝てなければ普通は待てないですよ。結果が出なければ、監督を代える判断をしなければなりません。でも、監督が代われば当然スタイルが変わるので、その回数が多くなればクラブとして積み上げることができない。選手たちも混乱してしまいます。

 個人的には今、ダニエル・ボヤトス新監督を迎えたガンバ大阪は、産みの苦しみのフェーズなのかなと。ガンバはここ数年、シーズン中もしくはシーズン毎に新しい監督を迎えて、その度にスタイルが新しくなる印象です。今シーズン、ここまではなかなか結果はついてきていないなかで、内容を精査したうえで、それでも続けられるかどうか。

 先ほど言ったように「結果」そして「内容」が判断材料になるので、判断精度が重要になってくると思います。

◆第15回・中編>>「オシムさんのサッカーはオシムさんじゃないと......」


【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都小平市出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに加入。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグMVPを受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。

佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪→ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。