2018年から、そのフレーズはメディアで盛んに露出されるようになった。

「バルサ化」

 それは甘い響きのある言葉だった。ロシアワールドカップ後、バルサで数々の栄光を手にしたスペイン代表MFアンドレス・イニエスタが入団することになって、一気に広められた。ヴィッセル神戸が舵を切った「バルサ化」とは、何だったのか?

 そもそも、神戸が目指した"バルサの本質"とは何だったのか。


2018年、ヴィッセル神戸に移籍、5年にわたってプレーしたアンドレス・イニエスタ

「バルサとは、ラ・マシアだ」

 バルサの中興の祖と言えるヨハン・クライフは、はっきりとそう語っている。「ボールは汗をかかない」「無様に勝つな、美しき敗者であれ」「ボールの声を聞け」......。そんな独特の"ボール芸術"が植えつけられた下部組織ラ・マシアでじっくり選手を育て、数人のワールドクラスの選手とかけ合わせたものがバルサの実体と言えるだろう。

 バルサの土台は、ラ・マシアにあったのだ。

 バルサが最強を誇った時代。(意見が分かれるかもしれないが)それはクライフの薫陶を受けて育ったラ・マシア出身のMFジョゼップ・グアルディオラが監督としてチームを率いた時代と言えるだろう。グアルディオラ自身、ラ・マシアの重要性を説き、一度はトップチームの監督を固辞しながら、バルサBを率いることから指導者としてスタートし、バルサBを見事に4部から3部へと昇格に導いている。そこで見出したペドロ、セルヒオ・ブスケツなどをトップへ昇格させ、伝説の礎にしたのだ。

 当時のバルサは平均して70%以上の圧倒的ボールポゼッションを誇り、その攻撃力=バルサと捉えられるようになった。クライフ時代のバルサはカウンターを浴びることが多く、明らかな弱点を抱えていたが、グアルディオラ監督は発想の転換で優位性に代えた。たとえボールを失っても、切れ目なく奪い返し、「攻め続ける」トータルフットボールを変革させたのだ。

「攻撃こそ最大の防御なり」

 その理念に背かず、彼らは最強軍団となった。

 当時、チームの中心にいたのが、カルレス・プジョル、シャビ・エルナンデス、イニエスタ、リオネル・メッシ、ジェラール・ピケ、ビクトール・バルデス、ブスケツなどラ・マシア組だった。彼らは同じプレーコンセプトのなかで育っていることで、暗黙の了解でプレーできた。相手が反応できないほどのオートマチズムこそ、バルサだった。

【現在のバルサにかつての匂いはほとんどない】

 もっとも、バルサは時代に応じて変身を遂げてきている。そのプロセスでは失敗も少なくなく、順位が低迷するなど、暗黒時代も経験した。また、メッシに似た選手は、何人も出ては通用せずに消えていった。グアルディオラが監督を退任したあとは、変化を余儀なくされ、「MSN」(メッシ、ルイス・スアレス、ネイマールで組んだトリオ)のように前線の個を生かしたカウンタースタイルに流れていった。

 今シーズンはシャビが監督として戻り、ラ・リーガを制した。ただ、かつての匂いはほとんどしない。FWロベルト・レヴァンドフスキの決定力と、DFロナルド・アラウホ、GKマルク・アンドレ・テア・シュテーゲンの防御力が目立っていた。

 バルサもその形を変化させている。

 では、神戸の「バルサ化」に一縷の望みもなかったのか。

 バルサ的な匂いがするチームに、一度だけ近づいた瞬間はあった。グアルディオラが師事するフアン・マヌエル・リージョが監督を務めた時代である。リージョの神戸における求心力は際立っていた。サブ組の選手までがトレーニングから学び、吸収しようとしていた。リージョが作った仕組みのなかで、選手は成長。クラブ全体を「バルサ化」することは一朝一夕にできなくても、プレーコンセプトは極めて近く、匂いを嗅ぐことはできたかもしれない。

 しかし、クラブに完成を待つほどの忍耐もなかったのが実状だろう。どこかで「手っ取り早く勝ちたい」と疼く気配が漂った。それは「バルサ化」とは相反するのだが......。

 皮肉にも今シーズンの、圧倒的な個人が集団を生かす戦い方は、「神戸らしい」とも言える。Jリーグでは無双の大迫勇也を筆頭に、酒井高徳、武藤嘉紀、山口蛍、齊藤未月という海外も経験した日本代表クラスの陣容は、他の追随を許さない。前線からボールを追い、押し込む時間を作ったら押しきれるし、リードしたらカウンターに切り替えられる。個人戦術で相手を凌駕できるのだ。

 イニエスタがその戦い方のなかで居場所を失っていったのは、当然の帰結である。彼はまさにバルサそのものと言える「ボールプレーの権化」である。今のチームで輝く選手ではない。

 言い換えれば、イニエスタの退団セレモニーの一環となる6月6日のバルサ戦は、神戸が「バルサ化」の看板を下ろすにふさわしい場と言えるだろう。

 ただ、繰り返すが、バルサも常に「バルサ」ではない。彼らも時代の変化のなかで変わることを迫られる。それがサッカーという"生のスポーツの原理"なのである。