6月1日から大阪・ヤンマースタジアム長居で開催されている日本陸上選手権。男子200mで大学生たちが活躍した。

 大会初日の予選で飯塚翔太(ミズノ)、昨年の日本選手権を制した上山紘輝(住友電工)が決勝に進出。上山に関しては、第2組3位の記録で拾われての決勝進出と本調子ではないようだった。


ケガから2年。徐々に自分の走りを取り戻しつつある鵜澤飛羽

 台風の影響から雨が降り、向かい風0.2mという条件のなかで行なわれた6月2日の決勝で勢いを見せたのは、予選第1組を20秒52で1位通過していた鵜澤飛羽(筑波大/3年)と、予選第2組で予備予選に続く自己新で20秒49までタイムを伸ばしていた宇野勝翔(順天堂大/4年)の2人だった。

 コーナーからの抜け出しはともに先頭でほぼ差のない状態。そこから鵜澤が抜け出して20秒32の自己新で初優勝を決め、宇野は20秒55で2位と新戦力の台頭を印象づけた。

 優勝した鵜澤は思いどおりのレース展開だったと振り返る。

「しっかりタイムも狙いながら、120から130mくらいまでは勝ちきることを意識して行きましたが、そこからは自分の走りをすれば前に出ることはわかっていました。一番自信がある最後の伸びをしっかり意識して走りました」

 この結果で目標にしていた7月のアジア選手権出場を確実にするとともに、上山に次ぐ日本人2位につけていた200mの世界ランキングも上がり、世界選手権代表にも一歩前進する結果を残した。

 日本選手権初出場だった昨年は20秒68で4位だった鵜澤。今年、5月3日の静岡国際では予選で自己ベストを0秒16更新する20秒38でトップ通過すると、決勝では参考記録ながら20秒10を出して新星誕生を印象づけた。そこから4日後の木南記念も20秒44で優勝と、その力が本物であることを証明し、満を持しての日本選手権だった。

「最近はまだ10割に仕上げるというのではなく、8割くらいをキープし続けるという、動きや調整をずっと繰り返してやっていてスピード練習もあまりやっていません。そういうなかでもちゃんと勝ちきらないといけないので、予選は決勝へ向けた刺激にというくらいにしか考えていませんでした。それでも風の条件がよかったこともあり、8割に合わせたなかで10割を出しきれてあの走りができたのは、決勝に向けて自信になりました」

 こう話す鵜澤だが、突然力を伸ばしてきたのではなかった。中学までは野球をやっていたが肘を痛めて断念し、宮城県築邢高校に進学して本格的に陸上を始めた。高校時代のベストは100mが10秒45で200mは20秒83だが、高校2年だった2019年8月には陸上歴1年4カ月ながら衝撃の走りをしていた。沖縄インターハイで非公認ながらも、100mを追い風2.9mの条件の10秒19で制し、200mも2.1mの追い風で20秒36を出して優勝して2冠をしている。

 特に200mは風速が0.1mだけ強かっただけで、サニブラウン・ハキームが15年に出した20秒34の高校記録に肉薄するタイム。その才能を評価されて日本陸連が有望選手と認定するダイヤモンドアスリートにも選出されたが、高校3年の時は新型コロナ拡大のためにインターハイが中止となり、連覇の夢は絶たれケガにも悩まされた。

 周囲からは期待される選手だったが、「高校を卒業するときも大学に行こうか悩んでいたので、8月下旬の県選手権が終わってからはほとんど練習をしていませんでした」とマイペース。結局、筑波大に進んだものの、2021年5月の関東インカレ100m決勝で2位になった時に左ハムストリングの肉離れを起こしてしまった。

「予兆はあったけど、初めての関東インカレで頑張ろうという気持が先行し、棄権という選択ができなかった」

 こう振り返るが復帰までの道のりは長いものだった。

「車椅子の時期が結構長くて、そこから松葉杖をついて、歩いて、ジョギングを始めてという感じだったので、4〜5カ月かかりました。もう1回やったら多分引退しなければいけないようなケガだったので、2度目のケガをしないようにすることを優先して体の使い方など、細かなことに取り組みました」

 競技に戻った昨年は200mの自己記録を20秒54まで伸ばしたが、今年はそれをさらに伸ばしている。追い風参考で20秒10を出した静岡では、「スタートはそんなに突っ込みすぎずに後半行けるようにするレースプランだったが、カーブを抜けた時点でそれなりに前にいたので、あとはいつもどおりに行けばと思ったけど途中で力みが出てしまった。ケガをしてから2年経つけど、まだ8割方しか治りきっていないので左足を使いきれていないのが出てしまった。そこは改善点だと思います」と冷静に分析している。

 高いレベルを安定させて、日本選手権も制した鵜澤だが、「まだスピード練習もあまりやっていないので、もうちょっとタイムが上がるのはあと1カ月後くらいだなと、谷川聡先生とも話をしているんです」という状態だ。

「今は全体としたらタイムはある程度出ているかも知れないけど、前半をもっと突っ込めないと世界では戦えない。だから今年はそんなに気負わずやって、世界選手権やアジア選手権に出られたら楽しんでやろうと考えています。そのなかで自己ベストくらいは狙っていこうかなというくらいですね」

 そんな鵜澤に200m強化のための100m挑戦を問うと、「待ってました」とばかりに笑顔でこう答える。

「みんなそう言い始めると思うけど、100mは練習程度にどこかの記録会に出るかもくらいで何も考えていないですね。100mに関してはハムストリングが治りきるまでは一旦置いておいて......。200mもまだまだですけど今は走れているので、『200mをやっていたら100mも勝手に速くなっていたね』というのが一番適切だと思っています。だから9秒台を狙いますとは言いません(笑)」

 静岡の快走のあと「やっと高2の頃に(調子が)戻ってきましたが、まだ超えてはいませんね」と話していた鵜澤は、ケガの状態は万全に戻るまでにはまだまだ時間もかかると考えている。

「今、陸上を絶対に続けると決めているのは、2025年の世界選手権東京大会までで、それが終わったら辞めてもいいかなと思っているので、そこはまた谷川先生との相談ですね。でも僕は陸上以外にもたくさんやりたいことがあるので。いろいろ勉強したいこともあるし、自分の趣味で好きなこともいっぱいあるので。でもそこまでは本気で、狙える限りやっていくつもりです」

 この優勝でアジア大会などでの4×100mリレー出場も期待されるが「その意欲はないですよ。そんなのはおこがましいと思うので」と笑わせる鵜澤。型破りなスプリンターが、これからどんな走りを見せてくれるか、楽しみが広がってきた。