「シニア世代のファッショニスタ」として話題の女優・柏木由紀子さん(75歳)。先日、初めてのファッションブック『柏木由紀子ファッションクローゼット』(扶桑社刊)が発売。発売前重版がかかるほどの反響です。そんな柏木さんのスペシャルインタビューを3回に渡ってお届けします。2回目の今回は、坂本九さん亡きあとの、2人娘さんとの関係について伺いました。

柏木由紀子さん、夫亡き後、娘2人との関係を振り返る

――38年前の日航機事故で夫の坂本九さんが亡くなったことで、仲よし4人家族が3人になり、それが日常になっていくまで…。さぞ大変な日々だったのでしょうね。

【写真】当時の柏木さんと坂本九さん

柏木:じつは、細かいことはあまり覚えていないんですよ。

娘たちはそれまで別々の部屋で寝ていたのですが、以来、私たち夫婦の寝室で3人で休むようになりました。2つのベッドをピッタリくっつけて、川の字になって。

最初の頃は抱き合ってただただ泣いていたように思います。それから、少しずつ、他愛のないことを寝る前に話すようになっていきました。主人(坂本九さん)のことには触れないんですけど、学校のことや友だちのことが、娘の口から出てくるようになって、元気を取り戻すまでにはまだまだ時間が必要でしたが、それでも少しずつ少しずつ。

●長女も感じていたプレッシャー

あの頃とくに心配だったのが、長女の花子です。きっと「私がママを守らなくちゃ」と強く思っていたんだと思います。長女でしっかり者だったから、周りの方から「お母さんを助けてあげてね」「花子ちゃんが力になってあげてね」なんて言われることが多かった。それがプレッシャーにならないはずはありません。

ずいぶんあとになってから当時のことを聞いたら、「ママを守らなくちゃという気持ちが、私自身を支えてくれた部分はあると思うよ」と言ってくれたんですけど、小さな体で精いっぱい母を守ろうとしていたと考えるだけで胸が苦しくなります。

いつのことだったか。

花子に「これからはママが働かないと暮らしていけないの?」と聞かれたことがありました。家計のこともすべて夫に頼りきりだった私は、あのとき初めて自分が家計を管理する立場になったのです。もちろん子どもの前で口には出しませんが、「どうやって生活していこう」という不安を抱えていました。そんなことまでこの子は感じ取ってしまうのか。

あのとき「ママが働くわ」と答えたかどうかは覚えていないのですが、「私が働こう」とは思っていました。生活をスリムダウンして、私が一生懸命働いて、暮らしていこうって。

●仕事をすることへの背中を押してくれた長女

――花子さん、「仕事をしているママは、すごくかっこよくてすてきだった」と発言されているようですね。

柏木:「ママ、その役、やった方がいいよ」と背中を押してくれたこともありました。1986年にミュージカル『シンデレラ』の王子の母親役のオファーをいただいたのですが、私はミュージカル未経験。不安でやるかどうか悩む私に、花子が絶対やるべきだ、言いきってくれた。

本当にそのとおりだったんです。

花子も次女・舞子も学校がお休みのときは毎日楽屋に来て、お席があれば熱心に見て、セリフも踊りも全部覚えてしまいました。夏休みの地方公演は2人を連れて回らせていただいたんですが、舞台袖で毎日マネをしている姿を見たスタッフさんが、千秋楽の日に舞踏会に出席する子どもの役で出演しないか、と誘ってくださったんです。

2人とも大喜び。一生懸命練習して、なんとか立派につとめあげることができました。弾けるような笑顔で、とっても楽しそうで。

思えば、あれが彼女たちが、芸能の道に進むひとつのきっかけになりました。

そして、今3人で楽しくやっているユニット「ママ エ セフィーユ」のコンサート活動にもつながっていると思うと、感慨深いです。

●どんどん進む娘たちの自立に困惑も…

――わが子が自分の道を見つけて歩き出せば、どんなに仲よしの親娘だったとしても、親離れ子離れの季節がやってきますね。

柏木:主人が亡くなって以来、3人で川の字で寝ていたはずが、「ここは狭い」とか言って1人、また1人と自分の部屋へ戻ってしまい、いつのまにか私1人になっちゃって。当たり前ですが、それがすごく寂しかったんです。

振り返れば、私はこのあたりで子離れの準備をしておくべきだったのです。でも、できていなかったのでしょうねえ。まず舞子が、宝塚音楽学校を目指して猛レッスンを開始。努力を重ね、本当によく頑張って、高校2年のときに合格をいただきました。入学式の晴れ姿を見て私は泣きっぱなし。

そんな感激をかみしめている間もなく、舞子はさっそうと学校の寮へ入ってしまいました。

必然的に始まった花子と2人の生活。子離れができていなかった私は、寂しさのあまり花子に依存気味で、ついついあれこれ干渉してしまう。

「今日はどこへ行くの?」「だれと?」「何時に帰る?」「もっと早く帰って来られないの?」――うっとおしい母親だったと思います。

これもあとになって花子から聞いたことなのですが、10代の頃は「ママとの約束があるから」と友だちからの誘いを断ることも多かったのだとか。それで、友だちから「なんでそんなに親に気を使うの?」と問われ、「あれ、うちって普通と違う?」と思ったそうです。

「今日は友だちと約束があるからダメなの」と私に言いたくても言えなかったのでしょう。あの年頃ならボーイフレンドもほしかったかもしれません。でも、私はそんな悩みに気づくことができなかった。

主人の事故で3人になり、何でも相談し合って結束してきた私たち3人。でもその関係を1度ゆるめる時なのかもしれない。

胸が張り裂けそうな寂しさ。でも、それが自立ということなんですよね。

おしゃれは楽しんでいましたが、それは趣味というよりも日常そのもの。あの頃、花子からも舞子からもよく言われたのは「ママはもっと友だちをつくった方がいいよ」「趣味をたくさんがもった方がいいよ」。

そう、それは私の子離れへの第一歩。私もそう自覚して、テニスサークルに顔を出したりするようになりました。

花子が突然、ひとり暮らしをしたいから家を出る、と言い出したのは、そんな矢先のことです。びっくりしたし、せっかくお家があるのに、わざわざ離れて暮らさなくても、とも思いました。本音を言えば、ストップをかけたかった。けれども、花子が決意したことだから、もう見守るしかないと思いとどまりました。

52歳。花子のひとり暮らしをきっかけに、主人の遺した広い家で本当に1人になるときが来たのです。

すべて私物、セルフコーディネートで77の着こなしを紹介している、柏木由紀子さんの新刊『ファッションクローゼット』(扶桑社刊)は発売中。