4月末で営業を終了した大人気ラーメン店「神保町 黒須」の店主・黒須太一さん

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4月末で営業を終了した大人気ラーメン店「神保町 黒須」の店主・黒須太一さん
4月末に惜しまれつつも閉店したラーメン店「神保町 黒須」。東京ミシュランガイドのビブグルマンに3年連続選出、食べログTOKYO百名店など、数々の賞を受賞した行列店を経営してきた店主の黒須太一さんに、突如の閉店を決めた理由と今後についてを伺った独占インタビュー完全版をお届けする。

【画像】黒須さんのこだわりが光るラーメン

■「年齢的にも今が最後のチャンスかもしれない」

――今年2月20日に突如Twitter上で4月末での閉店を発表して以降、多くのファンが店を訪れ、連日これまで以上の大行列となりました。

黒須 本当、ありがたいことです。

――閉店理由については、ネット上で「より大きな店舗に移るのではないか」「行列が長すぎて近隣からクレームが来たのではないか」など、さまざまな憶測が飛び交っていました。

黒須 そういったことはありません。これは僕自身の問題で、日本料理を勉強したいという気持ちが強くなったからです。

――京都の日本料理店に修行に行かれるそうですね。なぜ人気店となったラーメン店を閉じてまで決断されたのでしょうか?

黒須 たくさんのお客様に来ていただき、それなりの売り上げもいただいて、そのことにはとても感謝しています。しかし反面、あまりにも忙しすぎて、自分が納得できるような味の追求ができていないのではないかというジレンマがあり、実はずっとモヤモヤしていたんです。

そんな中、今年の1月にケガ(肘の靭帯損傷)で初めて長期のお休みをいただき、自分の人生についてあらためてじっくり考えてみました。「このままで本当にいいのか......」と自問自答する中で、もっと料理人として成長したいと思うなら、基礎から勉強し直すべきではないかと思ったのです。


黒須の最終営業日(4月30日)の様子。別れを惜しむファンが多くかけつけ、隣接する集英社のビルを一周するほどの長蛇の列ができていた

――人気になりすぎてしまったという感覚があった?

黒須 そうではないんです。僕はこだわりが強い人間で、自分以外の人に仕込みも調理も任せることが上手にできませんでした。毎朝4時半からスープを仕込んで、自分で製麺もして......とやっていると、日々のラーメン作りに追われて、味の追及に費やす時間を十分に持てなくなっていたんです。もっと試したいこと、挑戦してみたいことがあっても、その時間がない。体力の限界まで働いても、まったく余裕がない。そういう状況が続いていました。

それでもお客様の期待には応えたいので、すべての調理を自分で行ってきました。ですが、「このままでは先の見通しが立たない」と思ったときに、一度、ラーメンから離れてみたほうがいいのではないかと考えました。

――そこでなぜ和食に興味を?

黒須 もともと和食の世界にあこがれがありました。日本ならではの繊細な表現とか、四季折々の食材の使い方とか、自分自身の料理もすごく感化されてきました。

でも、僕はラーメン店も独学で始めましたし、ちゃんと料理を学んだことがない。しかも、僕は今年で40歳になります。料理人としての限界も感じていましたし、一度はちゃんとした店で修行して、もっといい料理を提供できるようになりたい。それをするには、年齢的にも今が最後のチャンスかもしれないと感じました。


黒須で1番人気の「塩蕎麦」は、岩塩や海塩など7種類の塩を絶妙なバランスで配合した一杯。トリュフとカキのペーストを混ぜていくことで味の変化も楽しめる

■「自分の実力を周りに認めてもらいたかった」

――とはいえ、これだけのファンのいるラーメンが食べられなくなるのは惜しいと多くの人が感じています。お弟子さんを取って味を継承する選択肢はなかったんでしょうか?

黒須 考えたことはありますが、結局はうまくできませんでした。僕は「自分の料理でお客様に喜んでもらいたい」という思いが強く、常に自分自身が厨房に立っていたい人間なんです。この仕事の醍醐味は、お客様が目の前で「美味しかった」と言っていただけることだと思います。そういう意味では結局、僕は職人気質が強すぎて、経営者としては不器用だったのかもしれません。

閉店を決めてから、「これだけの店になったのにもったいない」という声もいただきますが、自分なりに悩み抜いた末の結論なので、すみません、としか言いようがないですね......。

――独学で始められたとのことですが、そもそもどうしてラーメン店を開くことに?

黒須 僕は30歳まで陸上自衛隊にいたんですが、そこから民間企業の新入社員になるのは厳しいと思ったんです。学歴も大したことがないし、できることは限られている。その中で自分が興味を持てることで、仕事としてずっとやっていける職業は何かと考えたら、以前から好きだった飲食の世界が思い浮かびました。それでいろんな店でアルバイトをする中、自分にもできそうだと思ったのがラーメン屋でした。

僕は20代の頃から仕事がうまくいかず、なんとか入った自衛隊でも芽が出なかった人間なので、自分で商売をやる以上はなんとしても結果を出したいと強く思っていました。青臭くて恥ずかしい話ですが、「僕の実力を周りに認めてもらいたい」という気持ちがすごくあったんです。

ずっと父親にも認めてもらえず、お店を始めるときには、「お前にできるはずがない」と、保証人になるのを断られました。悔しかったんですよね。おそらく、僕のストイックなイメージっていうのは、そこに起因しているんじゃないかと思います。


ラーメンを作る黒須氏。その真剣な眼差しからもラーメンに対する思いが伝わってくる。いつかまたラーメンを作る黒須氏が見れる日が来ることを期待してしまう

――しかし、お店はミシュランガイドに掲載されるほどの人気店となりました。その悔しい思いは報われたんでしょうか?

黒須 そうですね。ある程度評価していただけるようになって、当初の目標は達成されました。でも、次の目標を探す中で、今度は一人の料理人としての欲が出てきたんです。「今のままじゃダメだ」「もっと料理を追求したい」という欲が生まれて、今回の決断に至ったということです。

――修行先を京都に決めた理由は? どなたか知り合いがいらっしゃるとか?

黒須 いえ、履歴書を持って......。

――まったくのゼロから?

黒須 そうです。「なんで東京のラーメン屋さんが?」と言われました(笑)。

――ちなみに、どちらのお店に行かれるんですか?

黒須 京都の「日本料理 研野」さんです。「RED U-35」という35歳以下の料理人コンテストでグランプリを受賞された酒井研野さんのお店で、ミシュランガイドでも一つ星を受賞されています。

――かなり年下の方のもとで働かれるんですね。

黒須 研野さんは30代前半で、僕は40歳ですが、まったく気にならないですね。何より研野さんの料理が面白いんですよ。新しい世代の考え方が伝統的な日本料理に反映されていて。伝統的な料理も素晴らしいのですが、それ以外での探求心、チャレンジ精神がすごく魅力的で、ぜひ働かせてほしいとお願いしました。お店では一番下っ端の追い回しから始めます。

――これだけの人気店を手掛けたあとなのに、抵抗はないんですか?

黒須 全然ないです。僕は自衛隊入隊も25歳でかなりオーバーエイジでしたし、マイナスからのスタートは慣れています。収入も当然下がりますが、あまりお金に執着がないんでしょうね。僕がやりたいことだから、何も気にしていません。僕は結婚もしているんですが、奥さんも僕がこういう人間だとわかっているのであきらめています(笑)。

――修行はどれくらいされる予定なんですか?

黒須 まずは3年、という約束をしています。でも、そのあとで自分がどうなっているかはわかりません。和食の道に進むのかもしれないし、またラーメンに戻るかもしれない。何も決めていません。とにかく今は日本料理を学びたいという気持ちが一番なんです。


黒須のもうひとつの看板メニュー「醤油蕎麦」。営業開始当初から閉店に至るまで、常にアップデートが繰り返され、より洗練された味わいへと進化していった逸品。最終的にたどり着いたシンプルな具材構成からもその自信がうかがえる

■「こうなるとは想像もしていませんでした」

――ラーメン屋としてはやりきったという気持ちはありますか?

黒須 やりきったとは思っていません。ラーメンにはまだまだ可能性があると思っていますし、「1000円の壁」どころか、2000円、3000円で提供できるような料理になる力は秘めていると思っています。ただ、今の僕の力量ではそこまで到達できないというだけで、ラーメン自体がもういい、というわけではないんです。

――辞めた今だから話せる、目標としていた店のような存在はありましたか?

黒須 それはないですね。自分は自分で、他人にはなれないですから。東京では割りと簡単に料理に点数や評論されたりすることが多いじゃないですか。でも、本来の美味しさに絶対的な基準なんてないですよね。それと同じで、ある程度の水準以上はラーメンも好みの問題でしかないと思います。

だから、僕は自分がやりたいことをやれて、お客様から「美味しい」と言っていただけるだけで十分です。それで十分だったんですが......、やはり一人では限界が来ましたね。「もっとこうしたい」という欲はあっても、現実的にやれることに限界があると痛感しました。

だから和食を勉強しに行くのは、チームとしての料理を学ぶためでもあるんです。人の育て方を学びたい。そういったことも含めて、日本料理の最前線のお店で学べる機会をいただけたのは本当に貴重だと思っています。

――黒須さんの熱意とこだわりで行列のできるラーメン店となった「神保町 黒須」ですが、お店を始めたころに思い描いていた姿と比べていかがでしょうか?

黒須 まさか、こうなるとは想像もしていませんでした。

――それはいい意味で?

黒須 いい意味です。ここまでの応援をしていただけるようになるとは、まったく思いもしませんでした。それは感謝しかありません。僕がもっと器用だったら......とは思いますが、自分を変えようはないので、申し訳ありませんが、「神保町 黒須」はこれで本当に終わりです。今まで本当にありがとうございました。料理は続けていきますので、違ったかたちになるかもしれませんが、またどこでお会いできればと思います。

取材・文/小山田裕哉 撮影/松田嵩範