エジプトの砂漠を4,800km渡り切る
ファラオラリーの勝利と共にデビュー!

1988年、ヤマハはファンの意表をつくモデルを発表した。直前にエジプトの砂漠を駆け抜けるファラオラリーで、250ccのクラス優勝を遂げた初見参のマシンが発売になったからだ。

パリダカールが世界で注目を浴びるようになり、ラリーレイドマシンが続出した'80年代、主力はビッグシングル、もしくはビッグツインと、キャリアを積んだスゴ腕ライダーでなければ乗れそうにないイメージだった。

そんなイメージを払拭して、この新しいカテゴリーをポピュラーな領域に拡げようとしたのがこのTDR250。
エンジンは何と当時のレプリカ最前線マシン、TZR250の最新水冷クランクリードバルブの2気筒を搭載、45ps/9,500rpmとクラス最強のままデジタルで点火の進角や可変排気ポートを制御するハイテク化も加え、専用のダブルクレードル・フレームへ搭載。

極めつけはクロスチャンバーと呼ぶエキゾーストが前方で交叉して管長を稼ぎながらセンターアップ配置として、グランドクリアランスを稼ぐ見た目にもローヅスポーツとは明確に一線を画すレイアウトで、前18インチに後17インチのホイール、ガス圧を加えたドカルボン・タイプのリヤサスと装備もハイエンド揃い。
TZRエンジンなので、ミッションはドライサンプと高度なメカニズムのまま。
加えてマスターシリンダーとブレーキホース間にバルブ機構を設けたバリアブルタッチシステムを採用、オンロードとオフロードともデリケートな操作を可能とした配慮など、いかにもヤマハらしい高度な装備。
さらには燃料タンク側にセットしたタコメーターの配置など将来を切り開く意欲が漲っていた。

レプリカ全盛の次世代を狙い
新構想バイクが目白押し……

当時ラリーレイドマシンは確かに強いインパクトがあり、スポーツマニアにはたまらないオーラを発していた。
ただオフロード専用のイメージが強く、パリダカールのイメージの延長上に、いわばツーリングバイクとしての懐の広さが評価された、いまのアドベンチャー系のコンセプトが浸透するには至ってなかったのだ。

ヤマハもレプリカ全盛の後を継ぐカテゴリー開拓にやや前のめり気味で、新しいコンセプトを広めるのに、ツーリングやタウンユースのイメージを広告で盛り込めずにいたのでは伝わりようがない。

ちょうど同じ頃、ホンダから登場した250cc4ストシングルの、AX-1がタインユースを前提としたデザインに、シート形状などオフロードバイク然としたイメージが強く、中途半端に見えユーザーがあまり関心を寄せなかったのと似ている。

この1980年代終盤は、アンチ・レーシーなツーリングイメージのデザインや、ネイキッドも新デザインの模索が続き、却ってユーザーを現実味のない疑心暗鬼に陥らせていた時期ともいえる。

後にアドベンチャー系として
メインストリームになろうとは想像すらできなかった

TDR250は国内向けとしては短命に終わったが、ミドルクラスで希少な2スト2気筒のビッグマシンを追い回す活気ある走りがヨーロッパでは評価され、グラフィックをラリーレイドのイメージよりツーリングスポーツ的なグラフィックへ変更した1990年モデルが存在していた。

現在のスーパースポーツは超弩級のハイパフォーマンス・マシンへと先鋭化してしまい、サーキットでなければ醍醐味を味わえない領域にあるため、さすがに長距離ツーリングをしようというライダーはいない。
そうしたニーズには、アドベンチャー系で出かけるのがひとつのスタイルとして確立されはじめている。

しかもこのアドベンチャー系も、ビッグマシンから750~600ccへとダウンサイズが好まれる傾向にある。
そんな流れの受け皿として、第二のTDM250コンセプトが求められているのは間違いない。
ただ直近のスタイルだけのスクランブラーと称する趣味性が皆無のカテゴリーでは、経験の浅い層にしか響かないのをメーカーが理解しているのか、正直心配ではある。

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