15歳のモカさんがホームレス生活を選んだ背景とは(写真:hellohello/PIXTA)

ホームレスと聞くと、『貧困』『路上生活』などを想像する人は多いのではないでしょうか。しかし近年、10〜20代といったZ世代のホームレスが増えているのです」

そう語るのは、元お笑い芸人で、現在はホームレスの実態に迫るYouTubeチャンネル「アットホームチャンネル」を運営する青柳貴哉さん。彼らがホームレス(=家に帰らない)生活を選んだ背景には、さまざまな社会問題が見え隠れしているといいます。

青柳さんの書籍『Z世代のネオホームレス 自らの意思で家に帰らない子どもたち』より一部抜粋・再構成してお届けします。

お姉さんはトー横キッズですか?

モカさん(仮名・当時15歳)に取材した日のことは、今も僕の心に印象深く残っている。そのインタビュー動画は500万回再生を超え、僕のチャンネルで最も試聴されている。さまざまなメディアでも取り上げられ、大きな反響を呼んだ。本書において、彼女のことに触れないわけにはいかないだろう。僕が彼女と出会ったのは2022年2月の終わりだった。

その日の昼12時、僕はJR新宿駅の東南口でホームレスの取材をスタートした。しかし、この日はことごとく取材を断られた。取材を承諾してくれる人が一向に見つからない。東南口から東口へ、東口から西口へ、そして西口から歌舞伎町へと向かう間、10人ほどのホームレスに声をかけてみたものの、良い返事をもらうことができなかった。すでに時計の針は15時を回っている。2月の寒さは厳しかったが、3時間も歩き回った僕のシャツの背中にはほんのりと汗が滲んでいた。

歌舞伎町の中へと入っていった僕は、ゴジラの頭部を象った巨大なオブジェで知られる新宿東宝ビル、通称ゴジラビルの植え込みのあたりにたどり着いた。腰ほどの高さまである植え込みの側面にもたれかかり、少しだけ足を休める。3時間歩き回ったのに取材対象者を見つけられず、僕は疲れと焦りを感じながら「ふぅ」と弱々しく息を漏らした。腰かけるのにちょうど良い一段低い高さの植え込みもあったが、そちらの植え込みには囲いの上部にトゲ状の突起が付いていた。そのトゲトゲを眺めているうちに、最近よく耳にする言葉がふと脳裏に浮かんだ。

「今、トー横キッズっていう集団が歌舞伎町にいて、すごいらしいよ」

「10代で家に帰らず、ネカフェで生活してる子もいるんだって」

「取材してみてよ」

トー横界隈に集まる少年少女たち「トー横キッズ」

ホームレスを取材している僕に、そんなふうに声をかけてくる人も少なくなかった。聞かされた時には興味を抱きつつも「へー」と受け流していたが、今まさに自分がいる場所こそが、そのトー横だった。目の前にあるトゲ状の突起は、若者が座り込んでたむろするのを防止する目的で、数年前に植え込みに付けられたものだったはずだ。

トー横界隈とも呼ばれる新宿東宝ビル周辺の地理をあらためて整理しておこう。ビルの西側は歌舞伎町一番街と呼ばれるエリアで、位置的には歌舞伎町の中心に近い。かつてコマ劇場前広場と呼ばれたシネシティ広場もビルの西側にあり、通りの両サイドは飲食店などの看板で埋め尽くされている。

一方、ビルを挟んで正反対に位置する東側には、僕がもたれかかっていた植え込みがある。このあたりも歌舞伎町の一角には違いないが、西側の派手な光景と比べると東側はわずかに“裏路地”の雰囲気が漂う。このトー横界隈に集まる少年少女たちは数年前から「トー横キッズ」と呼ばれており、警視庁による一斉補導などもニュースになっている。

トー横キッズ、か。

僕はそれまでの徒労感を振り払って、あらためて一帯を見回してみた。噂で聞いていたトー横という場所は、平日の昼間ということもあって人気はまばらだ。時折、お金で結ばれているであろう男女がホテル街に続く細い路地の方に消えていく。

しばらく周辺をうろうろしていると、閑散とした通りを1人の若い女の子がスマホを触りながら歩いて来る。僕は咄嗟に声をかけてみた。

「すみません。お姉さんはトー横キッズですか?」

突然かつ直球な質問にもかかわらず、僕の呼びかけに彼女は足を止め、スマホから顔を上げる。彼女の表情からは驚いたような様子は見受けられなかった。

「はい」

彼女はごく自然に僕の質問に答える。たったこれだけのやり取りから、路上で声をかけられることに慣れているのだろう、と僕は感じ取った。

「トー横キッズの方ってネカフェとかホテルとかで生活してる人が多いと伺ったんですが、お姉さんもそういう場所で寝泊まりしてるんですか?」という少し踏み込んだ質問にも、彼女は間髪をいれず「はい」とだけ答えた。

これが彼女、モカさんとの出会いだった。

パパ活で平均月収60万円の15歳

すぐに僕は、自分が何者であるかを説明した上で、モカさんに取材交渉を試みた。彼女は悩んだり考えたりする素振りは一切見せず、それまでと同じトーンで「いいですよー」と了承してくれた。それは内容を理解して快諾したというよりは、「どうでもいいですよー」に近いような印象を受けた。投げやりというほど後ろ向きでもなく、興味津々というほど前のめりでもない。「よく分からないけど暇だし、まあいっか」くらいの気持ちで僕の取材に付き合ってくれたのかもしれない。

「もう2年くらい家には帰っていません。良く言えばホテル暮らし、悪く言えば家出少女」

取材を始めると、彼女はそう切り出した。僕は家出少女の“少女”の部分が気になった。雰囲気から彼女が若いことは察知していた。肩まであるミディアムヘアの毛先は赤く染められていて、その赤に合わせるかのように黒いパーカーには、紫やピンクという刺激的な配色のキャラクターが所狭しとプリントされていた。黒のスカートの丈は短い。髪を後ろで束ねるリボンも黒、足元のスニーカーも黒い厚底、彼女の小さい顔の半分を覆うマスクも黒だ。いわゆる“地雷系”と呼ばれる出で立ちだった。

僕は「かなり若いな。19歳、いや18歳くらいか?」と予想しながら「今、何歳ですか?」とあらためて年齢を確認すると、モカさんはまたもやはっきりと淀みなく、こう答えた。

「15歳です」

彼女は中学3年生だった。頭の中が真っ白になったあと、僕は大混乱に陥った。「え? 中学生ってYouTubeに出ていいんだっけ?」「え? 中学生って撮影したら捕まるんだっけ?」などという素っ頓狂な疑問が頭を駆け巡った。彼女の年齢を10代後半と予想していた僕の認識はグニャリと歪んだ。

モカさんの年齢を聞いて僕は分かりやすく動揺し、会話もしどろもどろになりかけていた。そんな僕にお構いなしの様子で、彼女はつらつらと自分の生い立ちを語り始めた。

モカさんが初めて歌舞伎町に来たのは小学4年生(10歳)の頃。両親はいるが2人とも本当の親ではないこと。その両親の虐待から逃げるように出た実家には、2年ほど帰っていないこと。血の繋がった本当の父親からは性的虐待を受けていたこと。現在はパパ活で生計を立てていること。平均して月60万円は稼いでいること。

そして、昔も今も、ずっと“死にたい”と思っていること――。

彼女の話は、そのすべてが驚きと衝撃の連続だった。15年という人生の中でモカさんの経験したことは、その倍以上生きている僕の理解をはるかに超えていた。

両親の虐待から逃げ込んだのは歌舞伎町

モカさんの両親は、離婚・再婚を繰り返し、彼女の父親や母親はその都度替わっている。

母親が最初に結婚した男性との間にモカさんのお兄さんが産まれた。その後、2人は離婚。お兄さんを連れた母親は別の男性と再婚し、その再婚相手との間にモカさんが産まれた。そして再び母親は離婚することになり、モカさんとお兄さんは今度は父親の方についていった。この時点でお兄さんと父親の間に血の繋がりはなくなっている。さらにその父親が別の女性と再婚し、またもや離婚。この時はモカさんだけが母親に連れられ、お兄さんは家を出ていった。その母親がさらに再婚し、現在に至る。よって、モカさんと現在の両親との間に血の繋がりはない。

あまりにも複雑すぎる家庭環境。

この話をしながら、モカさんは笑っていた。その表情は、自分の生い立ちに呆れているようにも見えたし、「私ってめんどくさいでしょ?」と訴えかけるような自虐的な笑みにも見えた。彼女は今まで幾度となく、他人に自分の境遇を話してきたのだろう。この話を打ち明ける時、耳を傾ける相手には血の繋がった本当の両親がいて、温かい食事や温かい布団があって、というケースも多かったのではないだろうか。

ちょうどこの時の僕と同じように、モカさんの話に相槌を打つのが精一杯、という引きつったような相手の表情を、彼女は何度も見てきたのだろう。そのたびに「あなたは普通じゃない」と突きつけられたような、あるいは「かわいそうだね」と同情されたような、そんな気持ちを15歳の少女が抱いたとしても不思議ではない。自分の生い立ちを話すモカさんの笑顔は、僕にそう思わせた。それほどに、15歳とは思えない悟りきった笑顔だった。

そんな特殊な環境の中で育ったモカさんにとって、同じ境遇でともに育ったお兄さんだけが唯一の理解者であり、拠り所であったようだ。

「お兄ちゃんと私はお父さんが違うんです」

「お兄ちゃんが家を出たのは15歳。今の私とちょうど同じ歳でした」

モカさんはたびたびお兄さんを引き合いに出しながら、自分の過去を語っていった。彼女が歌舞伎町に通うようになったのも、お兄さんがいたからだという。

兄も15歳で家を飛び出し、歌舞伎町に救われていた

「私、両親は嫌いだけど、お兄ちゃんだけはすごい好きだったから、お兄ちゃんのいる歌舞伎町に行こうと思ったんです」


血の繋がりがない両親との生活は想像を絶するものだった。彼女は両親から毎日のように虐待を受けていた。そんな両親から逃げるように初めて千葉の実家を飛び出したのは10歳、小学4年生の頃。モカさんが向かった先はお兄さんのいる歌舞伎町だった。

15歳で家を出たお兄さんはさまざまな仕事を転々としたあと、歌舞伎町でホストとして働くようになっていた。モカさんは「歌舞伎町」「ホスト」などのキーワードだけを頼りに、なんとかお兄さんの働くホストクラブにたどり着く。10歳の女の子が初めて目にする歌舞伎町はどのように映ったのだろうか。僕はお兄さんから「早く家に帰れ」と言われなかったか聞いてみた。

「言わないですね。両親がやばい人だって知ってるんで」

お兄さんも同じ境遇で育ち、両親から逃げるように15歳で家を出ていた。モカさん曰く、再会した時にお兄さんは店でも人気の売れっ子ホストになっていたという。過酷な生活環境から15歳で飛び出したお兄さんは歌舞伎町にたどり着き、言うなれば歌舞伎町に救われていたのだ。そんなお兄さんが同じように両親のもとから逃げてきた妹に対して、家に帰るよう促すはずがないし、モカさんを家に帰すよりも歌舞伎町に留まらせる方が安全だと考えたのかもしれない。とにかく、10歳のモカさんは歌舞伎町に入り浸るようになった。

(青柳 貴哉 : 元お笑い芸人/YouTubeチャンネル「アットホームチャンネル」運営)