パリ五輪出場を目指すレスリング女子53キロ級の藤波朱理(右)とコーチの父・俊一さん【写真:積紫乃】

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連載「10代逸材のトリセツ」、藤波朱理(レスリング)中編

 日本スポーツ界の将来を背負う逸材は幼少期からどんな環境や指導を受けて育ち、アスリートとしての成長曲線を描いてきたのか――。10代で国内トップレベルの実力を持ち、五輪など世界最高峰の舞台を見据える若き才能に迫ったインタビュー連載。今回はレスリング女子で116連勝中と、破竹の勢いを見せる19歳の藤波朱理(日本体育大)だ。来年のパリ五輪出場への期待も高まる、その強さの原点はどこにあるのか。中編では4歳の頃から指導する元レスリング選手の父・俊一さんが、娘の選手としての変化について証言する。「そこそこやれる選手」から印象が一変した試合があった。(取材・文=松原 孝臣)

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 2017年以来、今日までに116連勝という壮大な記録を打ち立てたレスリング女子53キロ級の藤波朱理。その足跡を辿る時に欠かすわけにはいかないのは父・俊一の存在だ。

 レスリングを始めたきっかけもそうなら、その後に指導を受けたのも父にほかならない。

 昨春、朱理が日本体育大学に入学したあとも父の指導を受けている。俊一は2021年春、朱理の上京に先駆けて日体大のコーチに就任していた。

「コーチに空きができたということでオファーがありました。朱理が入るかどうかはその時点では分からなかったですけど」

 その後、朱理が入学を決めて、ともに日体大レスリング部で過ごすことになった。

 俊一は選手として活躍したあと、指導者の道に入り、教職の傍らで教えてきた。

 朱理の兄である勇飛がレスリングを始め、朱理もそのあとを辿るようにレスリングを始めた。俊一が当時を振り返る。

「私は指導者でしたし、兄もレスリングをやっていているうちに、朱理も連れて行って遊んでいた感じですね。はじめはそんなに一生懸命というわけでもなかった」

 その経歴を辿っていると、いわゆる「親子鷹」のイメージも浮かぶが、それを否定する。

「何がなんでもやらせる、というのは全然なかったですね。レスリングを続けたのも、本人の『やる』という意思からだったので。本人がやる気になって自然な形であって、無理させたこともなかったです」

中3春の大会で高3相手に逆転勝利「これは凄いなと」

 過剰に期待することもなかったし、肩入れすることもなかった。

「たくさん教えている子はいましたからね」

 朱理をはじめ多くの子供を指導するなかで、共通して大切にしていたことがあったと言う。

「強制はしないということです。やる時は自分で参加すること。こちらの役割はまずレスリングをする環境は設けるということ。自分でやりたくないのにやる必要はないし、無理やりさせてもいいことはないですよね。その子のやる気に合わせて教えるということです」

 レスリングを始めてから、娘の朱理はずっと無双であったわけではないと父は振り返る。

「小学生の頃は勝てていたけれど、中学生になると勝てなくなった。まあこんなもんかな、という感じでした」

 いわば、「そこそこやれる選手」。そう見ていたが、ある時、印象が一変する。

 それは2018年4月、朱理が中学3年生になってすぐの時に出場したジュニアクイーンズカップだった。勝ち進んだ朱理は準決勝で高校3年生の選手と対戦する。学年で3つの差は大きい。しかも相手の選手も全国大会で数々の好成績をあげてきた実力者だった。

 その難敵にリードを許した朱理は、だが逆転で勝利を収める。その後の決勝も勝利して優勝を飾ったが、この準決勝こそ、俊一の印象を変えるものだった。

「最後、攻めて逆転して、これは凄いなと思いました。そこまでは『普通やで』っていう感じだったかな。普通と言っても、目線の高いレベルのなかでの普通。全国のトップレベルくらいまでは行くだろうなとは思っていました。でも、あの準決勝を見て変わった。強い選手にタックルで攻めることができた。ポイントを取られても取り返して最後は勝った。しかも相手の選手のレベルも高い。これは世界でも行けるかな、と思った時でした」

 ある意味「ブレイクした」と言える瞬間を迎えたのは、そこまでの取り組みの変化にあったかもしれない。

片足タックルの才能は自発性によってさらに磨かれた

 中学生になって思うような結果が出なくなったあとのことだ。

「泣いて、『強くしてほしい』と言ってきました。それに対して、言ったとおりに練習することを約束したのですが、そこから取り組み方が変わりました。特別な練習をしたというわけではなく、姿勢ですね。もう真面目そのもの、手を抜くことがなかったです」

 その積み重ねがあっての、準決勝の逆転劇ではなかったか。

 朱理の武器に「片足タックル」がある。瞬時に入るスピードやタイミングは図抜けている。それはどう培われたのか。俊一は「先天的、才能」だと言う。

「タックルは入るタイミングが大事です。でもこのタイミングというのが難しい。いくら練習しても、入れる、入れないが分かれる。練習するのは前提だし練習で磨いていく部分もあります。ただタイミングだけは教えきれるものではない。もともとの才能、生まれつきのものですね」

 そしてこう続ける。

「天性のものがあって、反復してきちんと練習を怠らずに続けられる。それが成績になっているのだと思います」

 泣いて「強くしてほしい」と父に頼んだのも自らの意思にほかならない。自発性を軸とし、努力を惜しまなかったことが、才能に磨きをかけることができた要因だった。

 そして朱理には、レスリングで伸びることができた要因がさらにあった。

(後編へ続く/文中敬称略)

■藤波 朱理(ふじなみ・あかり)

 2003年11月11日生まれ。三重県出身。父と兄の影響を受けて4歳からレスリングを始める。中学3年生だった18年に世界カデット選手権で優勝。19年に父が監督を務めるいなべ総合学園高に進学すると、全国高校総体(インターハイ)53キロ級で1年生チャンピオンに輝く。20年には全日本選手権に17歳で出場し初優勝、21年も勝ち続け、世界選手権に初出場で優勝した。昨年4月に日本体育大に進学。17年から始まった公式戦の連勝記録を「116」に伸ばしている。兄・勇飛は17年世界選手権フリースタイル74キロ級銅メダリスト。

(松原 孝臣 / Takaomi Matsubara)

1967年生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わり、再びフリーとなってノンフィクションなど幅広い分野で執筆している。スポーツでは主に五輪競技を中心に追い、夏季は2004年アテネ大会以降、冬季は2002年ソルトレークシティ大会から現地で取材。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)、『フライングガールズ―高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦―』(文藝春秋)、『メダリストに学ぶ前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)などがある。