北千住の南東、東武線の牛田駅付近には、桁下1.7mというとても低いガードが存在。「金八先生」にもしばしば登場する低すぎるガード、なぜできたのでしょうか。

道路を挟んで向かい合う「乗換駅」

 東京都足立区にある東武スカイツリーラインの牛田駅と京成本線の京成関屋駅は、どちらも普通列車のみが停まる駅ながら、細い道路ひとつ挟んで向かい合う乗換駅です。荒川に近いこのエリアは、テレビドラマ「3年B組金八先生」のロケ地としても知られます。
 
 なかでも、牛田駅ホームの東端をくぐる“低いガード”はドラマでもたびたび登場しており、ロケ地巡りの定番スポットのひとつにもなっているようです。


牛田の桁下1.7mガード(乗りものニュース編集部撮影)。

 桁下高さは1.7mとなっていますが、それより低い車高のクルマでも通るのはためらってしまうかもしれない低さ。幅もクルマ1台分ほどです。ガードの前後に立つと、ほぼ大人の目線の高さで特急列車などが轟音を立てながら通過していくので、なかなか迫力があります。

 この牛田のガードの壁はレンガ造りで、かなり古いものだとわかります。もっと低く長い桁下1.6mのガード(車両通行不可)も牛田〜北千住間にあるのですが、こちらは大ターミナル北千住駅の手前で線路敷が広がる区間をくぐるため、レンガ、大谷石、コンクリートと異なる素材が使われ、時代の変化とともに線路施設を拡張してきた跡が伺えます。

 では、なぜこうした低いガードができたかというと、ガードがまたいでいる道路が、もともと水路だったからという説があります。

 足立区観光交流協会が作成したYouTube動画「あだちミステリーハンターが行く 東武鉄道千住編(前編)」によると、大正から昭和にかけて人工河川である荒川放水路(荒川)が建設されると、付近の道路や用水路にも変化があったそうです。低すぎるガードは、その名残だと推測されるといいます。

 東武線自体も荒川放水路の建設にともない、牛田のひとつ浅草寄りとなる堀切駅前後でやや西側へ移設しています。もともと堀切駅は、現在の荒川のなかに位置していました。ただ、移設前の線路と牛田駅近くで合流しており、低すぎるガードがあるのは1902(明治35)年開通当初の区間にあたります。

駅の下は川だった?

 もうひとつ、水路の名残を示すスポットが、牛田の低いガードのすぐ西隣に存在します。線路(真上は牛田駅ホーム)のところで道路が行き止まりになり、フェンスの先に、途切れた築堤と築堤のあいだに架けられた低い橋桁が確認できます。

 ここは、荒川放水路によって分断された「古隅田川」の跡。国土地理院が公開している昭和20年代の空撮写真でも、その河道を確認できます。この時代には京成線の南側から隅田川にかけ、住宅や工場が立っていますが、戦前の一帯は低湿地や水田が広がっていたようです。

 その京成線は、明治に開通した東武線とは好対照をなしています。同線は荒川放水路の完成後、1931(昭和6)年に開通しており、放水路をまたぐため高さを確保する目的もあってか、東武線よりもはるかに高い築堤の上に線路が通っています。


京成線(左の高架)をくぐっていく東武線(乗りものニュース編集部撮影)。

 東武線の1.7mガードの南側では道路幅が広がり、その先に京成線のガードもあります。このガードは東武線と比べてかなり高くなっていますが、ここで道はいきなり狭まり、ガードの幅自体は東武線とほぼ同じになります。古隅田川をまたいでいたガードの幅も東武線とほぼ同じであることからすると、東武・京成とも、やはり同じ水路をまたいでいたのではないでしょうか。