若い男と不倫の末に、夫から阿波国を奪った悪女「阿波の小少将」の恋愛劇【前編】

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戦国時代末期、傾城の美女と呼ばれた「阿波の小少将」という女性をご存じでしょうか?

彼女は、生まれ持った美貌で敵将をも簡単に手玉に取り、意のままに操って戦国の世を生き抜いています。まさに、城を傾けさせる女性「傾城の美女」の呼称にピッタリな女性でした。

悪女・小少将の誕生

阿波国(現在の徳島県阿波市)に存在した西条東城の城主・岡本牧西の娘として産まれたのが小少将。当時、阿波国を支配していた細川持隆の居城・勝瑞城に侍女として仕えました。

侍女として働くなかで細川持隆に見初められた小少将は側室となり、諸説ありますが14歳で長男・真之を産んでいます。

正室には跡継ぎとなる子どもがおらず、真之が跡継ぎ候補に。小少将は跡継ぎを産んだ側室として、次第に勝瑞城での権力を握っていきます。

夫の部下との不倫

自分よりもはるかに年上で、不在がちだった細川持隆に不満を募らせた小少将は、細川持隆の部下・三好実休を誘惑しました。細川持隆と三好実休は不仲であったとされ、一族の方針について意見が割れることもしばしば。

そんな、夫より30歳も若く、豪胆でたくましい性格の三好実休との不倫関係は小少将にとって不倫を盛り上げるスパイスだったのかもしれません。

小少将との関係も影響し、三好実休は勝瑞城内で権力を持つように。このことに危機感をおぼえた細川持隆は、1552年8月19日に三好実休の暗殺を企てます。

しかし、自身の暗殺計画を小耳に挟んだ三好実休は2000の兵を連れて、細川持隆を返り討ちに。

これは良い機会と、見性寺にて細川持隆を殺害しました。
この事件は「見性寺の乱」と呼ばれています。

見性寺の乱が起った当時、小少将は三好実休の子を身籠っていたと言われており、実はこの妊娠が見性寺の乱を引き起こした原因なのではないかという説もあるようです。

阿波国を手にした小少将と三好実休

細川持隆の死後、小少将の息子・真之が細川家の家督を継ぎましたが、実権を握ったのは三好実休。小少将は三好実休の継室となり、家中では大形殿(正室)と呼ばれ、三好実休からも寵愛を受けて幸せに暮らしました。数年間は…

後編では、細川家を巻き込みながらさらに続く小少将の破天荒な恋愛劇を紹介します。

【後編はこちら】