昨年9月に現役を引退した寺村美穂

寺村美穂インタビュー前編

 競泳200m個人メドレーで、リオ五輪、東京五輪と2大会連続で出場した寺村美穂。166cmと競泳選手としては決して大きくない身体ながら、ダイナミックかつ滑らかな泳ぎで、日本選手権を2度制し、アジア大会では2度メダルを獲得した。そんな彼女が昨年9月、26歳で現役生活にピリオドを打った。充実かつ苦難に満ちた25年間の競泳人生を振り返ってもらった。

ふつうの女子よりパンチは強い

――引退後、どのような活動をされてきましたか。

 水泳を25年間やってきて、そこで学んだことをみんなに伝えていけたらいいなと思っています。水泳を知ってもらうのはもちろん、スポーツの楽しさも伝えていくために、イベントや講演会を中心に活動しています。今は子どもたちに泳ぎを教えるのがメインなんですが、水泳でもなんでもいいんですけど、頑張れるものを何か見つけてくれるとうれしいなと思っています。

――ボクシングを始めたということですが。

 ボクシングは今年からやり始めました。これまで毎日泳いでいたので、いきなり何も動かなくなるのはよくないなと思ってボクシングを選びました。食べるのが好きなので、ダイエットも始めた理由の一つですね。何もしなかったら、太っちゃいますから。

――選手を目指しているわけではなかったんですね。

 それは目指していないです(笑)。でもふつうの女の子よりは、パンチは強いと思います。ボクシングって体幹をすごく使っているんですが、アスリートでないとなかなか体幹の使い方って難しいんですよね。私は体幹を意識して動くことはわかっているので、体幹を使って打てていると思います。動き一つひとつにこだわってしまって、脇がしまってないなとか、形がかっこ悪いなとか、そこを考えてしまうのが、アスリートの癖なのかなと思っています。

2度の手術を経験

――昨年9月、26歳での引退となりました。どんな競技人生だったと思いますか。

 本当に恵まれていたなと思います。ほかの人にはない辛い経験もあったのかなと思いますが、結果的にすべてプラスになっていると感じています。五輪に2度出場できましたし、最後はいい方向に向かったので、辛かったことも全部必要だったんだなと思います。環境面でも、周りの人にも恵まれていました。

2大会連続五輪に出場した寺村美穂 photo by JMPA

――輝かしい成績を残しつつも、苦難もありました。2度のヒザの手術とリハビリ。先が見えないなかで、どのような気持ちが自分を支えていたのでしょうか。

 先のことよりも、今をどう乗り越えようかとしか考えていなかったです。マイナスな気持ちにはならず、手術を乗り越えれば、絶対に結果が出ると思っていました。手術後には、まったく自分の足ではない感覚になってしまうんだろうなという気持ちがありましたし、手術前の泳ぎに戻れるのかなという不安もあったんですけど、水泳を辞めようかなとは思いませんでした。

――泳げなかった期間はどんなことを感じていましたか。

 本当に悔しかったです。同年代の人たち(※)のレベルがすごく高かったので、その人たちのなかから外れたくない、ずっとその場にいたいという気持ちがありました。たくさんの方がお見舞いに来てくださったので、その人たちに対して全力で向き合おうという気持ちもありました。家族も含め周りの方々も、私のやることを見守ってくれていたからこそ頑張れたと思っていますし、感謝の気持ちを持てたと思います。
※94年生まれ:寺村美穂、瀬戸大也、萩野公介など/95年生まれ:大橋悠依など

今でも不安はなくならない

――競泳は体力の限界まで追い込む印象があります。そのほかでどのような悩みを抱えていましたか。

 高校生や大学生の頃は、合宿に行ったりすると、長い時で3か月くらい生理がこないことがありました。合宿から帰ってきたら生理がちゃんとくるので、精神的なものが関係しているんだろうなと感じていました。

 逆に、生理がくると体調が優れなくなったりするので、生理がこなくてラッキーだなという気持ちもありました。だから生理がこないことに疑問を持つことはあっても、それを診てもらうために、婦人科に行く勇気はなかったです。

「婦人科に行ったほうがいいよ」というアドバイスをしてくれる人はいましたが、半年や1年間、生理がこなかったら、婦人科に行っていたと思いますけど、生理がくる時期もあったので、あまり深く考えていませんでした。

――その気持ちが変化したのはいつ頃ですか。

 社会人になってからです。20代前半に一度体調を崩したことがありました。熱もなく風邪もひいていないのに、体がボッーとして練習も頑張れない時期が続いていて、その時は生理がきていませんでした。もしかしたらホルモンバランスの問題なのかもしれないと思い始めて、勇気を出して婦人科に行くことにしました。

 検査の結果、排卵が正常にできていないことがわかりました。その時に先生から「卵巣がおばあちゃんです。このままでは子どもを産むことはできません」と言われたんです。私は子どもが大好きだったので、衝撃的すぎて、その言葉は忘れられないですね。なんでもっと早く婦人科に行かなかったんだろうと本当に後悔しました。

 自分に子どもができないことは、信じられなかったので、正常に生理がくるようにすぐに薬を飲み始めました。その後は生理がくるようになり、体調を崩すこともなくなりました。

――今27歳ですが、まだ不安はありますか。

 ちゃんと生理がきていなかった時期があるのは、健康的ではないので、それが今後どう影響してくるのかわからないですし、不安はまだ消えないですね。だからまだ薬はやめられないです。これで飲むのをやめてしまって、正常に生理がこなくなるのが、怖いんですよ。

――多くの女性アスリートが同じような悩みを抱えている可能性があります。そんな方々にどんな言葉をかけたいですか。

 高校生など10代の選手でも悩んでいるのであれば、絶対に婦人科に行ったほうがいいです。私は20代前半に婦人科に行きましたが、年齢が上がってくると、リスクがどんどん高くなってくると思いますので、今20代の選手であれば、すぐにでも婦人科に行ってほしいです。今振り返ると、私はもっと自分を労わってあげるべきだったなと思っていますね。

インタビュー後編に続く>>

【Profile】
寺村美穂
1994年9月27日生まれ、千葉県出身。小学生時代から才能を発揮し、14歳で日本選手権に平泳ぎで出場。その後、個人メドレーに転向し、15歳の時に全国中学校水泳大会で中学新記録をマークして優勝。16歳の時にもインターハイで優勝した。2016年、21歳の時に200m個人メドレーでリオ五輪9位、26歳でも同種目で東京五輪15位の成績を残す。2021年9月に現役を引退した。