世界陸上男子100メートル予選を突破し、他国選手と健闘を称え合ったサニブラウン・ハキーム【写真:ロイター】

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オレゴン世界陸上、男子100m予選でサニブラウンが9秒98

 オレゴン世界陸上が15日(日本時間16日)、米オレゴン州ユージンのヘイワード・フィールドで開幕した。男子100メートル予選に登場したサニブラウン・ハキーム(タンブルウィードTC)は、自身3度目の9秒台となる9秒98(向かい風0.3メートル)の7組1着で2大会連続の予選通過。いきなり叩き出した好記録にも、レース後は平然とした様子を貫いた。運命の準決勝と決勝は16日(同17日)に行われる。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 いきなり、だ。サニブラウン、23歳にして4大会連続の世界陸上。ピストル音からスムーズにスタートを切った。徐々に加速し、自己ベスト9秒77のファーディナンド・オムルワ(ケニア)を突き放す。最後は流し気味に組1着でフィニッシュした。全体の上位11人で唯一の向かい風。好条件とは言えない中、6番手のタイムで予選から衝撃を与えた。

「しっかり60メートルくらいまでスッと抜けて、そこからは本当に気持ちよく走れた。とりあえずは、明日に向けていい刺激の入った走りだと思います。9秒9台でも(予選を)落ちるかもしれない。こんなにレベルの高い大会はないんじゃないですかね。もの凄くいい経験。『ここにいたんだよ』じゃなくて、しっかりいい結果を残せればと思います」

 予選から2組のフレッド・カーリー(米国)が9秒79(追い風0.1メートル)を叩き出すなど、ハイレベルな幕開けだった。サニブラウンは「このトラックは速いなっていう感想。後半ピョンピョンしちゃってやべぇなとか思いながら(笑)」と自らを制御。しかし、タイムと感触の差について問われると、「あまりタイムは気にせず走っていたので、とりあえずは『9秒出たんだぁ』くらいの感じ」と軽く振り返った。

 自らに言い聞かせるわけでもなく、虚勢を張る様子もない。日本人の9秒台スプリンターは4人いるが、複数回出したのは自分だけ。心から平然としていた。ここに精神面の成長がある。

 所属するタンブルウィードTCは米フロリダ州が拠点。東京五輪男子200メートル金メダルのアンドレ・ドグラス(カナダ)、この日9秒89(追い風0.6メートル)をマークしたトレイボン・ブロメル(米国)ら世界の猛者がいる。9秒台は“当たり前”の世界。「トップで戦う選手はメンタリティーから違う」。練習でも競えば負けてしまう。劣等感を抱くのが日常であり、周囲の高い意識は何よりの刺激だ。

苦しい日々を支えたのはチームメイト「精神面は強くなっている」

 腰椎ヘルニアに苦しんだ2021年。東京五輪は100メートルで出場権を逃し、200メートルは予選敗退だった。何をしても体が痛い、動かせない。「精神的に少し弱っていた」。1か月、陸上について何も考えない時間をつくった。支えになったのが最強のチームメイトたちだった。

「怪我をした時はどうするのか」。すっかり流暢になった英語で質問。「模索しながらアイディアをもらえた」と抜群の環境に感謝する。どんなトップ選手も何かしら問題を抱えながら走っている。そう言い聞かせた昨秋、ゼロから走りをつくり直した。

「一番大きなのは周りの選手の経験値が高いこと。五輪が終わってコーチと話して全てをリセットした。しっかりリフレッシュできたし、秋から練習する中で一番よかったと今振り返って感じます。やっぱりどこかが痛かったり、調子が悪かったり、そういうのに左右されているところが今まではあった。今となっては、そんなのあまり関係ないと思えている。

 どんな状況でもパフォーマンスはしっかり出さないといけない。そういう面ではいい心構えでこの大会に挑めている。そこ(怪我)を経て精神面は強くなっているなと思います。体がよくても精神面で弱くてはよくない。いつもチームメイトに言われるけど、この競技はメンタルが大事。そこを意識しています」

 16歳だった2015年北京大会は、200メートルで大会史上最年少の準決勝進出を果たした。17年ロンドン大会も200メートル7位入賞。19年ドーハ大会は100メートル準決勝でスタートに遅れながら、決勝進出まで0秒03に迫っていた。「もの凄く楽しいですね。久しぶりに万全の状態で世界大会に出られている。このままこの舞台を大いに楽しめれば」

 笑みを浮かべた一方、視線はすぐに次のレースに向いた。「まだ上げられる感覚は?」の問いに「はい、まだ全然」と即答。日本人の100メートルの歴史において、五輪では1932年ロス大会で吉岡隆徳が唯一決勝に進出。世界陸上では誰もいない。

「正念場は準決勝。やっと戻ってきたかなという感覚はある。明日、過去の自分を超えて前に進めれば」

「日本人初」の肩書きすら大きくはないのか。自己ベストは19年6月の9秒97。見据えるのはさらに上の領域。漂わせた風格は、快挙を期待させる。

(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)