2022年6月、経済財政運営の指針「骨太の方針」に国民皆歯科健診の一文が盛り込まれた。歯の定期検診はどれほど重要なのだろうか。認知症専門医の長谷川嘉哉さんは「歯のケアにより認知症リスクは下がると考えられている」という――。

※本稿は、長谷川嘉哉『認知症専門医が教える! 脳の老化を止めたければ 歯を守りなさい!』(かんき出版)の一部を再編集したものです。

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認知症専門医が気づいた、歯のケアで脳が元気になる理由

認知症専門外来で歯のケアを受けた方が、症状の緩和・改善をしました。つまり、「ボケない脳」をつくる鍵は「歯」にあったのです。

ところで、なぜ歯のケアがこれほどまでに、脳に好影響をもたらすのでしょう?

その理由については、次の不思議な図を見ていただくとわかります。

出典=『認知症専門医が教える! 脳の老化を止めたければ 歯を守りなさい!』より

これは「ホムンクルス図」という、医学生が生理学の授業で必ず目にする図です。

脳神経外科医であるワイルダー・ペンフィールドが描いた図で、脳の中で動作を司る「運動野(うんどうや)」と、感覚を司る「感覚野(かんかくや)」を表しています。それぞれの外周には、いびつな形で手・足・顔などが描き込まれていますよね。脳が体のどの部分と密接につながっているか、それが示されているわけです。

長谷川嘉哉『認知症専門医が教える! 脳の老化を止めたければ 歯を守りなさい!』(かんき出版)

私の著書でベストセラーになった『親ゆびを刺激すると脳がたちまち若返りだす!』(サンマーク出版)では、表面積は体の10分の1もない指が、脳の中では運動野と感覚野のそれぞれ3分の1を占めることを指摘しました。

実は、歯や舌や唇を含む「口」に関しても、同じことが言えるのです。

表面積は指と同じく10分の1以下しかない口が、脳の中では、運動野と感覚野のそれぞれ3分の1を占めています。口とつながっている顔まで含めると、なんと半分近くを占めているのです。

これはつまり、歯のケアなどで口を刺激すると、大脳の広い範囲に影響が及ぼされることを意味しています。

■命は口に始まり、歯で終わる

それにしても、なぜ口は、脳内でこんなにも広い範囲を占めているのでしょう?

それは、命が口に始まり、歯で終わるからです。

私たちがこの世に生まれ落ちて、一番初めにすることは、お母さんのお乳を飲むこと。

つまり栄養の摂取です。

そのときの栄養の摂取口が「口」。生まれたばかりの私たちは、必死になって、舌、口、顔面の筋肉を動かして栄養を摂取します。生まれたてで未発達な脳は、生きるために欠かせない栄養の摂取を最優先で行うために、口にまつわる運動領域を思いきり広くしました。

同時に、摂取した栄養から受ける味覚・嗅覚・触覚などの多彩な情報を処理するために、感覚領域でも口の範囲をドカンと広げたのです。

口による栄養の摂取は、生まれてから死ぬまで続きます。

つまり、私たちが生きていくために絶対になくてはならないものだから、脳内の口の領域がこれほどまでに広くなったのです。

極端なことを言えば、手がなくても、足がなくても、生きていくことは可能です。

けれど、歯がなくなり口が使えなくなって栄養の摂取ができなくなったら、生きていけません。歯が使えなくなったときから、命の終わりに向かっていきます。

命を支えるために、脳とどこよりも強く結びついているのが、口なのです。

だからこそ、歯のケアで口の中を刺激された認知症患者さんたちは、脳全体が刺激されて、どんどん元気になりました。

脳寿命を延ばす鍵は、歯にあったのです!

■「歯がない人はボケやすい」は本当だった!

実は、歯でものを噛むと、ひと噛みごとに脳に大量の血液が送り込まれます。

ここでちょっと、歯の根元の構造について見てみましょう。

歯の下には「歯根膜(しこんまく)」というクッションのような器官があって、歯はそこにめり込むようにして立っています。噛むときは、歯がこのクッションに約30ミクロン沈み込みます。

そのほんのわずかな圧力で、歯根膜にある血管が圧縮されて、ポンプのように血液を脳に送り込むのです。その量は、ひと噛みで3.5ml。

3.5mlといえば、市販のお弁当についている、魚の形の醤油入れ。

あの小さい容器がだいたい3〜3.5mlサイズです。

だとすれば、噛むということは、そのたびに、あの容器いっぱいの血液をピュッと脳に送り込んでいることになります。

出典=『認知症専門医が教える! 脳の老化を止めたければ 歯を守りなさい!』より

ひと噛みでこの量ですから、よく噛む人の脳にはひっきりなしに血液が送り込まれて、その間、常に刺激を受け続けていることになります。

つまり、噛めば噛むほど刺激で脳が活性化されて元気になり、どんどん若返るのです。

ところが、歯の本数が少なくなればなるほど、歯根膜のクッションにかかる圧力が減って、脳に送り込まれる血液の量が少なくなります。脳への刺激が減って、脳機能の低下につながるわけです。

脳機能の低下は、ヤル気の喪失や、もの忘れを引き起こし、やがては認知症へとつながっていきます。事実、口の中に残っている歯の数と認知症発症率には、関連があります。

東北大大学院の研究グループが、70歳以上の高齢者を対象に行った調査によると、「脳が健康な人」の歯は平均14.9本でしたが、「認知症疑いあり」と診断された人はたったの9.4本でした。

出典=『認知症専門医が教える! 脳の老化を止めたければ 歯を守りなさい!』より

つまり、残っている歯が少ない人ほど、認知症になりやすいことが明らかになったのです。

昔から言われている「歯がない人はボケやすい」は、科学的に見ても正しかったわけです。

■失った歯の本数が多い人ほど脳の萎縮度が高い

私のクリニックでも認知症患者さんたちの歯の数を調べたところ、衝撃の結果となりました。

そもそも数えるべき歯がない。歯が0本の「総入れ歯」の方が非常に多かったのです。

クリニックの75歳以上の外来患者さんの総入れ歯率は、25%。

一方、厚生労働省が発表した75歳以上の方の総入れ歯率は、18.24%です。

比べると、クリニックの認知症患者さんの総入れ歯率は、一般の方より6%以上も高くなっています。

これは医学的に見て、とても高い数字です。

この結果からも、歯がないと認知症になりやすいことがおわかりいただけると思います。

このことを裏付けるようなデータもあります。

名古屋大学大学院医学系研究科の上田実教授が行った調査によると、アルツハイマー型認知症の高齢者は、健康な高齢者に比べて、残っている歯の本数が平均して3分の1しかなかったと言います。

また、歯がないにもかかわらず入れ歯などの補助的な歯を使用していない率が高く、健康な高齢者の半分ほどしかいなかったのです。

さらに、アルツハイマー型認知症の高齢者は、健康な高齢者より、20年も早く歯を失っていたことも明らかになりました。

上田教授は、歯が早く失われ、しかも治療もせずに放置しておくと、アルツハイマー型認知症の発症リスクが、健康な人の3倍になると結論づけています。

加えて、この研究では、すでにアルツハイマー型認知症を発症している高齢者に関して、失った歯の本数が多い人ほど脳の萎縮度が高いという画像診断結果が出ました。

つまり、歯がないとアルツハイマー型認知症を発症しやすいだけでなく、進行しやすいことも明らかになったのです。

だとすれば、これから私たちがすべきことは明らかです。

歯をしっかり温存するような歯のケアを心がければよいのです。

■歳をとると歯周病菌が増えやすくなる

脳を活性化し若返らせるには、歯をしっかり温存するための歯のケアを行えばよい。

こう言われたあなたは、もしかして次のように思いませんでしたか?

「ふーん、それなら自分は歯みがきを1日3回しているから大丈夫だな」
「自分はほとんどむし歯がない。つまり、きちんとケアしてるってことだから、この調子なら問題ないな」

いえいえ、待ってください。今までのやり方で大丈夫だったのは、これまでの話。

実は、歳をとると、口の中の環境が変わって、ある細菌が増えやすくなります。それが歯周病菌です。

歯周病は、歯周病菌の感染によって起こる「歯茎の炎症」です。ごく軽い炎症から始まるので痛みもなく、ほとんど自覚できません。

そのまま静かに進行し、違和感に気づいて歯科医院に行くころには、すでに歯茎も歯根もボロボロになっていることがよくあります。そうなると、歯医者さんも抜歯するしかありません。

歯がなくなれば脳血流が減って認知症リスクが高まることは、先ほどお伝えしたとおりです。歯周病は脳を老化させる大きな原因なのです。

出典=『認知症専門医が教える! 脳の老化を止めたければ 歯を守りなさい!』より

この歯周病は日本人の大人のほとんどが患っている、いわば国民病。

その発症率は35歳前後から上がっていき、40代になるころには、なんと8割もの人が進行に差はありますが歯周病を発症します。

実は、若い人の口の中にも歯周病菌はたくさんいるのです。それなのに、35歳前後から発症率が増えていくのは、このころから加齢により免疫力が低下するせいだとする説があります。

若いころは歯周病菌で歯茎に軽い炎症が起こってもたちまち治っていたのに、免疫力が落ちたせいで修復のスピードが追いつかず、歯周病が進行するというわけです。

だとすれば、若いときと同じ歯のケアをしていたのでは、たちまち歯周病を発症することになります。事実、むし歯がなかったり、歯みがきに自信があったりする人ほど、「自分は大丈夫」と過信して歯科検診を怠り、歯周病を進行させてしまうことが多いのです。

歯周病は、風邪などと違って自然治癒しませんから、脳の老化を防ぎ、イキイキとした脳の状態を保ちたいなら、35歳からは、歯のケアをこれまでと変えなければいけません。

あなたがこの記事を読んでいる今が、そのタイミングなのです。

■歯のケアを意識しないと、老後1000万円損する可能性

今すぐあなたに歯のケアを意識していただきたい理由が、他にもあります。

それは、歯のケア次第で、生涯医療費が1千万円以上も安くなる可能性があるからです。

日本歯科医師協会が、全国の40歳以上、約1万9000人を対象に行った調査では、残っている歯の数が20本以上ある人は、0〜4本の人よりも、年間の医療費が平均で17万5900円も低いという結果が出ました。

この金額を1日あたりに換算すると、17万5600円÷365日=約482円となります。

つまり、歯を20本以上キープする歯のケアを続けるだけで、毎日約500円もの医療費を得することになるのです。

ところで、なぜ歯の数で、生涯医療費にこれほどまで差が出るのでしょう?

実は、残っている歯の数が多い人は、認知症リスクが下がるだけでなく、全身疾患リスクも下がるのです。

これについては次の章で詳しく説明しますが、大人が歯を失う主な原因である歯周病が、さまざまな病気の発症率を高めていることが、日本臨床歯周病学会や米国国民健康栄養調査(NHANES)などの報告で明らかになっています。

その発症や悪化に、歯周病が関わっていると考えられる主な病気には、

・アルツハイマー型認知症
・血管性認知症誤嚥性肺炎
・糖尿病
・動脈硬化
・脳梗塞
・心筋梗塞

などが挙げられます。

正しい歯のケアを身につけると、これだけの病気が予防・改善できるわけです。

出典=『認知症専門医が教える! 脳の老化を止めたければ 歯を守りなさい!』より

この先、私たちの寿命は延び続け、2050年には、日本の100歳以上の人口が100万人を突破すると推計されています。

もしあなたが100歳まで生きるとして、そのとき歯が0〜4本しか残っていないとしましょう。先ほどのデータをもとに、歯周病患者が増えはじめる40歳以上から100歳までの60年間分の医科医療費の差額を計算すると、年間平均医療費17万5900円×60年=1千55万4000円となります。

つまり、残りの歯が20本以上ある人に比べて、1千万円以上も多く生涯医療費を支払わなければいけないことになるのです。

もしこの1000万円を支払わずに済めば、老後のお金の不安はずいぶん減るのではないでしょうか。

このことを知ったあなたには1000万円分の損をしないようにしていただきたいのです。

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長谷川 嘉哉(はせがわ・よしや)
脳神経内科医、認知症の専門医
1966年、名古屋市生まれ。名古屋市立大学医学部卒業。医学博士、日本神経学会専門医、日本内科学会専門医、日本老年医学会専門医。祖父が認知症であった経験から2000年に、認知症専門外来および在宅医療のためのクリニックを岐阜県土岐市に開業。認知症専門医として毎月1000人の認知症患者を診察している。する、日本有数の脳神経内科、認知症の専門医。祖父が認知症であった経験から2000年に、認知症専門外来および在宅医療のためのクリニックを岐阜県土岐市に開業。これまでに、20万人以上の認知症患者を診てきて、いち早く認知症と歯と口腔環境の関連性に気づく。現在、訪問診療の際には、積極的に歯科医・歯科衛生士による口腔ケアを導入している。さらに自らのクリニックにも歯科衛生士を常勤させるなどし、認知症の改善、予防を行い、成果を挙げている。「医科歯科連携」の第一人者として、各界から注目を集めるている医師である。
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(脳神経内科医、認知症の専門医 長谷川 嘉哉)