※この記事は2021年07月29日にBLOGOSで公開されたものです

熱海の土石流災害、さまざまな報道や取材が続いているけど、どう見ても「人災」が濃厚だな。死者21名、行方不明者6名(27日現在)。尊い命を奪ってしまった。地域一帯の被害は甚大で130軒以上の家屋が被害に遭い、何百名という人が避難をしている。

あの土石流を生んだ原因は「盛り土」だってことがほとんど明白。調べれば、盛り土を作った業者、それを買って放置していた業者、どっちも守るべきルールをさんざん無視して、その積み重ねがまさしく盛り土となって大惨事を招いた。俯瞰すれば業務上過失致死。悔しくて腹立たしいよ。

関わった業者は被害者へのまともな謝罪も無く、弁護士に任せてあるなんて言って逃げ回ってるみたいだな。もしも、やましくなければ、あの山で何をしてきたのか公の場で説明すればいい。表に出てこないのはやはりまともな説明がつかないんだ。

ルール無視の人災は法の下で裁かれるべき

静岡県と熱海市も土地を管理する行政として、この業者が違反をするたびに指導を繰り返してきたという経緯があるようだけど、結局、何の効力もなく問題を先送りにしてしまったんだろ? 行政側の歴代担当者はどこまで職務を果たしたのか、不法な盛り土をどうすることも出来なかったのか、これから調査が進むようだけど、行政側の責任も深刻だと思うよ。

日本は法治国家だ。法があって条例があって誰もがそれを守って暮らしている。なのにそのルールを無視して死者を出す人災を引き起こしたなら、きちんと法の下で裁かれるべきだよな。原因と責任を明らかにして罪を償い、亡くなられた方、ご遺族、被害者全員に謝罪するべきだよ。

なのに、知らず存ぜずで逃げたもの勝ちのようになったら、日本の社会はどんどん荒んでいく。俺たちが暮らしたいのは、違法なことをして金を稼いだ人間が逃げられる社会じゃない。正直者がバカを見ない、きちんと生きてる人が報われる社会だ。

そのために行政側が市民生活に関わることをきちんとチェックするのは言わずもがな大切。もしそこで業者側のインチキがバレた時に相応の罰則を与えるのは当然だ。そして最も大切なのは今回のように人命を失う惨事を二度と繰り返さないよう、行政が職務をまっとうしルール違反の業者をしっかり指導することなんだよな。

いつか必ずバレるインチキやごまかし

人間がするインチキはいつか必ずバレるよ。とくに公共事業っていうのは業者による中抜きや手抜きがはびこりやすい。昔から一部の建設業者の間で「公共事業は見えないところはごまかせ」なんて陰で言われてたんだ。ろくなもんじゃないよ。

ごまかしは必ずバレるよ。振り返れば、1995年は阪神淡路大震災があって、高速道路がとんでもない倒壊を起こした。はっきりとは追及されてないけど、土台となる柱、橋脚の工事がきちんとされてなかったとか、使うべき鉄筋が足りてなかったとか、手抜き問題を指摘する専門家の声があったよな。

2005年には姉歯事件の発覚があった。不動産業者とグルになって意図的な耐震偽装で建築費を浮かせるインチキを繰り返していた。一生の買い物としてマンションを購入した人たちは泣く泣く退去することになり大きな損失を負ってしまった。

築地市場移転による豊洲の問題もそうだよな。これは2016年か。生鮮品を扱う市場にふさわしい土壌なのかって話が浮上して、いざ移転という直前で小池都知事がストップをかけた。これも安全に関する情報の公開と説明をもっときちんとしていたら、あんなにモメなくて済んだはずだ。

すべてに共通しているのは、インチキやごまかしはいつかバレるってことだ。

赤字でも素材をケチらなかった大工の親父

俺のオヤジは大工だった。自分が手掛ける仕事に対してやたら頑固でね。建て主からの注文でも自分が気に入らないと「うるせぇ!」ってタテついちゃうんだ(苦笑)。自分が思うとおりに仕事をやれないと気が済まないの。よく言えば職人気質、わるく言えばヘンクツ。

家建てるのにさ、使う材木もオヤジは自分なりに「ここはケヤキがいい」なんて考えちゃう。一方で建て主も建築予算は限られてるワケだから「そこは見えないから杉でいいです」って言ってるのに、オヤジは「いや、長持ちするのははケヤキなんだ」ってんで、杉より高いケヤキを自分の判断で仕入れてきて、黙ってそっちを使う。そんな予算は元々ないから高い材木代は自腹なの・・・。結局、自分が受け取る手間賃に足が出て赤字(苦笑)。そういうオヤジだった。

なんなんだろうね、金じゃないんだ。自分が出来る最高の仕事をしたいっていうプライドなんだな。ヘタなものは作れねえっていう。そのために自分で持ち出しちゃうんだからワケわかんないよ。そういうことがあるたびにおふくろはカンカンだったけどね(笑)。

こういう話って映画制作にも通じるよ。黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男、昭和の名監督たちは撮影用のセットがすごかった。いったいどこまでこだわるんだってくらいに美術スタッフが本物を作ってた。

俺、成瀬巳喜男監督の「鰯雲」(1958年 東宝)に出たんだよ。役者・石井伊吉の時代だね。名だたる方たちが出演してた。淡島千景さん、司葉子さん、木村功さん、新珠三千代さん、中村鴈治郎さん、小林桂樹さんに加東大介さんも出てた。

その時のセットが実に見事だったのを覚えてるよ。撮影で映らないようなところもきちんと丁寧に手を掛けて仕上げてあるの。そういう「意気」って役者に伝わるんだよな。本物に囲まれてる以上、本物の芝居をしないと見透かされるぞ、上辺だけのヘタな芝居は出来ないぞって。ギュッと気が引き締まるんだ。

そういう思いになったのは役者だけじゃなかったと思う。映画に関わるスタッフの誰もが、そのセットを見て気が引き締まったはずだよ。

本来、セットって見えない部分は手を掛けなくてもいい。それが普通なんだ。そんなことをすれば予算だって手間だって余計に掛かってしまう。でも、名監督たちがそこに妥協しなかったのは知ってたんだよな。見えないところが全体のクオリティーを上げるってことを。そういうこだわりから演出が始まっているってことを。

手間ひま掛けてきちんとモノを作ると、人の内面に深く届くんだな。だから俺も成瀬組の撮影ではかなりいい芝居をしたはずだよ、たぶん(笑)。

だけど映画界も最近はすっかり様変わりだ。セットに手間を掛ける時代ではなく、CGに手間を掛ける時代だろ。でも、CGって編集で後から入れるだろ。芝居を撮影している最中の役者には見えないんだよな。それじゃ役者のテンションも上がらないよな(笑)。

そうそう、「ウルトラマン」で俺がアラシ隊員をやった時、演出から「前に怪獣がいると思ってスーパーガンを撃ってください」なんて言われて、最初の頃は何がなんだかわからなかったな。いったいどんな気持ちで演じりゃいいんだ?って。実際には怪獣はいないし、ガンを撃ってもビームも何も出ないしね(笑)。やってるうちに段々とわかってくるようになったけどね。

長い目で見れば手を抜かないことが最良

見えないところに手間を掛けると言えば、水墨の抽象画で世界に知られる美術家の篠田桃紅さんがニューヨークで展示会をした時のエピソードがあるよ。日本から長旅で篠田さんの作品が運ばれて先方の美術館に搬入された時、現地の職員がえらく驚いたって。というのは、作品の梱包、絵画を運ぶ為の木枠がまるで芸術品のように丁寧にされててビックリして感動したって。

これ、最低限、安全に確実に運べれば充分なワケだ。だけどそれ以上に、人目につかないところでもきちんと丁寧な仕事をする。日本にはそういう精神性があるってことに感動したって。

結局、手を抜かないこと、手を抜くこと、どっちも時間が経てば真の評価が必ず見えるんだ。手を抜かず、正直にまじめに取り組むことは、長い目で見れば経済にも安全にも最良の道だ。手を抜いて、表面だけ取り繕ったりインチキでごまかすことは、やがて大きな損失として跳ね返ってくる。

世の中、天災だけでも大変なんだから、人災は本当に許せない。あってはならないよ。人災は必ずバレるんだ。絶対にバレる。「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉があるけど「人災は忘れる前にやってくる」、そういうことだとつくづく思うよ。

(取材構成:松田健次)