DV・ストーカーに娘を奪われた母 二審勝訴でも真相解明を望む思いとは - 小林ゆうこ

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※この記事は2021年07月20日にBLOGOSで公開されたものです

娘は男の暴力によって命を落とした-----。母親が元交際相手の男を訴えていた民事裁判。その経緯は今年1月、「『因果関係ないなら、なぜ娘は死亡した』 DV・ストーカーで娘を奪われた母親の5年間」と題した一文で紹介した。

傷害罪で送検されたものの刑事事件としては不起訴処分となった男に対する損害賠償を求め、母親は神戸地裁に提訴していたが、一審は殴打と死因との因果関係を認めなかった。これを不服として、大阪高裁に控訴。二審判決が6月下旬に言い渡され、一審判決を覆す逆転勝訴を得た。導いたのは、娘が命と引き換えに残した脳のCT画像だった。

母が執念で引き寄せた控訴審の勝訴

大阪高裁の一室、裁判長は着席すると低い声で判決を読み上げた。

令和3年(ネ)第270号 損害賠償等請求控訴事件
主文、原判決中、主文第2項を次のとおり変更する。

(1)被控訴人は、控訴人※1に対し、1000万円※2及びこれに対する平成28年1月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。(筆者注 ※1原告名省略 ※2請求額の全部)

主文は、一審で認められなかった被告への損害賠償請求が、二審では認められたことを意味する。娘の奈緒子(仮名、当時27歳、派遣社員)さんは、男(当時32歳、会社員)に殴打されたことによる外傷性くも膜下出血で亡くなった。裁判所はそう判示した。

そのとき、原告席に座る母親が小さく頷いたように見えた。「勝ったんですね」と、誰にともなく呟く。代理人の目元もほころんでいた。原告には奈緒子さんのふたりの兄も名を連ねていたが、その賠償請求もほぼ全額が認められた。

男が不起訴になった当時、神戸地検はその理由を、「嫌疑不十分。脳動脈瘤がなかったとは言い切れない」としたが、娘の脳に動脈瘤などなかった。そう信じる母は、今年1月に控訴してからも医学的な証拠を求めて奔走した。もし敗訴なら、上告するつもりだった。

ドライブレコーダーに残された怒声

傷害致死事件は2015年12月28日0時50分ごろ、JR芦屋駅(芦屋市船戸町)付近で起きた。奈緒子さんは元交際相手の男に、タクシーの車外で顔面を殴打された。男は容疑を認め、現行犯逮捕された。

奈緒子さんは心肺停止の重体に陥り、救急車で病院に搬送されたが、2週間ほど後の翌年1月10日、入院したまま帰らぬ人となった。

その顔に男の手が当たったと思われたとき、崩れるようにして倒れ込んだと、無人の交番から110番通報したタクシー運転手が証言している。それは、ドライブレコーダーに記録された男の怒鳴り声の直後だったと、二審では認められた。

判決の後、母親は安堵の表情で語った。

「ドライブレコーダーの音声と画像は、一審では証拠採用されませんでした。二審ではそれを元に検証してくださり、頭が下がる思いです。車内で口論していた娘と男の姿がレコーダーの画像から消えた後、つまり、タクシーから降りた後、男が怒鳴り声を上げたのが音声に残っています。そのとき娘は殴打されたようです」

「自分こそ被害者だ」と主張した被告

判決の翌日、母親と共に事件現場となったJR芦屋駅周辺を歩いた。毎年、命日に花束を手向ける駅前交番の前から、車道を見る。

「この場所で最期にどんな景色を見たのかと思うと、何年経っても辛いですね。あの夜、別れたはずの男となぜ大阪で会ったのか。なぜ芦屋駅からタクシーに同乗したのか。まだ分からないことが多いです」

ただ、男の主張は証拠のないデタラメばかりだったことが、二審判決で明らかになり、それが勝訴と同じように嬉しいと、母親は言う。自分に非はないと、男は一貫して次のように主張していた。

・自分は(現場で)暴力を振るっていない
・タクシーに乗車中、奈緒子が一方的に暴力を振るった
・死因は酔っていたこと、奈緒子の因習(飲酒、喫煙など)、持病(バセドウ病、貧血)、車外の寒気
・自分は、「迷惑かけるのはやめよう、帰ろう」と、奈緒子の手を引き一緒に帰ろうとした

二審では、殴打した瞬間についても主張した。
・奈緒子がタクシーから勢いよく飛び出して来て、自分の髪を鷲掴みにしたため、その手を剥がそうとして掴んだ
・通報の後、運転手はタクシーの真後ろの車道にいたので、ふたりの様子を見ることはできない。殴ったというのは思い込み

男の反論はことごとく却下されたが、その書面を見るにつけ、また法廷で耳にするにつけ、母親は男への怒りに震えたという。

「被害者は自分だとも主張しました。交際していた7ヶ月の間、娘はDVに苦しんでも泣き寝入りせず、体を張って抵抗していた。裁判になると男はそのことを利用して、娘を加害者だと言い張ったのです」

ある脳外科医との奇跡的な出会い

母親は勝訴に至る道のりを、事件現場で涙ながらに語った。

「一審では、くも膜下出血を起こした衝撃の程度が明らかでないという理由で敗訴になりました。衝撃の程度とか強さをどう調べればよいのか。途方にくれました。手掛かりは、搬送された病院で撮った脳のCT画像しかない。とにかく脳神経外科の先生を探しました」

くも膜下出血に関する情報を求めてネット検索を続けた。そして、鑑定を依頼できそうな法医学者や医師に手紙を書いた。しかし、意見書を書いてくれる人は、そう簡単には見つからなかった。控訴後、50日以内にその理由を裁判所に提出しなくてはならない。医学誌や法学誌を求めて、図書館に籠もったりもした。

「スマホの小さな画面で検索していたので、目は疲れるし肩が凝るしで、体力的にもしんどい思いをしました」

半年前の一審判決の日、母親の左目は眼底出血を起こしていた。「裁判の疲れが出たか」とも考えたが、ちょうど、ある著名人が脳内出血で急死したことをニュースで知った。症状が同じだった。母親は、眼科でなく自宅近くの脳神経外科を受診することにした。

検査の後、診察室で脳のCT画像を見せながら医師は言った。

「ご心配される脳の病気は見当たりませんね」

淀みなく説明する様子に、ピンと来るものがあった。この先生なら、娘のくも膜下出血を解き明かしてくれるかもしれない。

「先生、実は診ていただきたい画像があるんです。娘のものですが」

そう口をついて出た。医師は快諾した。

「いいですよ。診るのが私の仕事ですから」

西宮渡辺心臓脳・血管センターの大森一美医師。脳動脈瘤手術を含む3000回の開頭手術を経験したという、脳神経外科医。頭蓋底領域に詳しく、海外からの出張要請にも応じている。セカンド・オピニオンの依頼も受ける、まさに脳のCT画像を診るスペシャリストだった。

そのときの思いを、母親は振り返る。

「奇跡が起きたと、胸が熱くなりました。死因に関して、一審とは違う方法で証明できるかもしれない。後で知ったのですが、先生の診察日は週1度。その日に私は受診していたんです。コロナ禍で先生の海外出張が中止となり、日本にいらしたのも幸運でした」

逆転判決「死因は外傷性くも膜下出血」

二審判決は、「大森所見」を次のように証拠採用している。

・CT検査結果では、血腫量が動脈性出血を示唆する量となっている
・血腫が脳表だけでなく脳幹から頸椎を超え胸椎レベルに達している
・頸椎亜脱臼の所見が見られることからも、頭蓋内に入ってすぐの動脈が損傷した可能性が高い
・明らかな動脈瘤は指摘できない
・殴打されて頸部が急激に回旋し、頸椎動脈に亀裂が生じて縦向きに解離、外傷性くも膜下出血が生じたのではないか

大森医師の意見書は、鑑定書と矛盾しないこと、また同様の症例報告が、他の医学論文にもあったことが決め手となった。

医師には、娘が引き合わせてくれたのかもしれないと感じる。その意見書を裁判所に提出できたのは3月中旬。控訴から2ヶ月が経っていた。あと1週間遅ければ間に合わないところだった。

警察はストーカー事件の連鎖を見過ごした

11月の傷害事件、12月の傷害致死事件。2件は連続して起きている。

1件目は兵庫県警生田署管内のダーツバーで起きた。店の通報で駆けつけた警察は男を無罪放免とした。奈緒子さんは全治1ヶ月の大怪我を負ったが、DVの被害届が受理されたのは事件から3週間後だった。

芦屋署管内の路上で傷害致死事件が起きたのは、さらにその1ヶ月後だ。その間に、奈緒子さんは弁護士を通して治療費などを請求したが、支払いを装って男は再接近、ストーカー行為に及んでいたようだ。

1件目の事件で警察が男を逮捕していたら、あるいは、男に適切な指導警告を行なっていたら、2件目の事件は起きなかった可能性がある。1件目の逮捕・送検が2件目より後だったのも、不自然な流れだ。

さらに不可解なのは、迷走とも感じられる検察の動きだ。傷害致死事件後、男が処分保留のまま保釈されたのは2月5日。2件の事件について不起訴処分が下されたのは、4月11日。

審理が長期間に及んだ背景には、いったいどんな事情があるのか。「(被害者に)動脈瘤がなかったとは言い切れない」という理由で不起訴にした医学的な根拠はどこにあるのか。母親は、事件の再捜査を望んでいる。