浸水エリア内でも大丈夫か? 市庁舎再建をめぐり揺れる陸前高田市 - 渋井哲也
※この記事は2017年03月24日にBLOGOSで公開されたものです
震災によって全壊した岩手県陸前高田市の市庁舎の再建はどうなっていくのだろうか。再建場所を巡っては議論が続いている。最も有力な候補は、現在の市立高田小学校を解体、移設し、新築するというものだった。しかし、3月14日の3月定例会では、高田小跡地に市庁舎を新築するための「庁舎位置改正条例案」が否決された。そのため、市は、他の案を含めて、再検討することになっている。
「庁舎位置改正条例案」が否決される
陸前高田市は宮城県の気仙沼市と隣接する県境、かつ沿岸南部の市だ。また、県内で隣接する大船渡市や住田町とをあわせて「気仙地区」と呼ばれている。現在、市の業務は、内陸部の高台にあるプレハブの仮庁舎で行われている。仮庁舎は、三陸道の陸前高田IC出口付近、国道340号線(高田街道)沿いにある。
市の資料によると、これまで再検討された新市庁舎の位置は3ヶ所4案だった。
1)高台に新たな用地を確保する
2)現在の仮庁舎の敷地内。その場合は、別の仮庁舎を作り、本庁舎を建設することになる。
3)移転予定の高田小学校の場所。
a)高田小が新しい場所に移るのを待って、改築する
b)新しく建設する
'13年に行われた市民アンケートでは、「仮庁舎の敷地内」との回答が41%で最も多かった。
しかし、市側の説明では、敷地面積ではクリアできるが、駐車場の面積が確保できない。また、交通網として難しい面があるという。さらに高台に新しい用地を確保する場合、私有地がほどんどで、用地確保に時間がかかる。そのため市では、高田小跡地での建設案に絞った。
建設費用の面でも、高田小跡地案は安かった。
1)の場合は総事業費64億円(市の負担は24億円)
2)の場合は総事業費45億円(同18億円)
3)の場合で、
a)校舎改築なら、総事業費56億円(同17億円)
b)校舎解体し、庁舎新築なら、総事業費54億円(同11億円)
という試算だ。
これらの案の中で、市側は3)案のb)、つまり高田小を解体し、庁舎を新築する「庁舎位置改正条例案」を提出した。改築案ではない理由は、小学校建設の財源が不足することや、築30年が経っているため、今後のメンテナンス費用がかかることだ。市議会の3月定例会の復興対策特別委員会では、同条例案が過半数の同意を得て通過した。しかしこの採決は、地方自治法の特別多数議決案件のため、可決には出席議員の3分の2が必要だ。
本会議の討論では4人が賛成、6人が反対の趣旨で意見を述べた。 結果、賛成は10人、反対派7人となり、出席議員17人のうち3分の2(12人)を超えなかったために、否決となった。議会後、戸羽太市長は「私自身は何が何でも高田小という考えは持っていない」などとし、6月議会に再提案をする考えだが、市によると、「市長が6月定例会に提出すると会見で言ったが、それ以上でも、それ以下でもない。今後のスケジュールなどは詳細は決まっていない」といい、市議会や市民への説明会などは、まだ決まってないという。
「想定では2階以上は浸水しないはず」も浸水した旧庁舎
東日本大震災での被害を振り返ってみる。 津波にのまれた旧市庁舎(コンクリート3階経て。一部4階建て)は、気仙川の西に約1.5キロ。海岸線まで約500メートルほどの位置にあった。
岩手県の「地震・津波シミュレーション及び被害想定調査」('04年)では、高田松原付近で最大遡上高10.2メートル、市庁舎周辺の浸水深は50センチ以上1メートル未満とされていた。これを前提にすれば、少なくとも市庁舎は2階までは浸水しない。本部長室や副本部長室、防災対策室、総務課、対策本部を予定していた会議室などは2階以上にあるために、浸水被害にあわない、とされていた。
しかし、東日本大震災による津波では3階まで浸水した。
「陸前高田市東日本大震災検証報告書」('14年7月)によると、'11年3月11日には震度6弱を観測している。市内の死者・行方不明者あわせて1757人('14年6月末時点)で、人口2万4246人('11年2月末時点)の7.2%を占める。被災地では宮城県石巻市につぐ死者・行方不明者数で、岩手県内では最も大きい被害だ。市庁舎も津波にのまれ、屋上に登った人だけが助かった。公的な役割を持つ人からも多くの死者行方不明者を出した。市職員は111人、消防団員は51人、区長が11人、民生児童委員が11人だった。
屋上に避難して助かった住民の証言
津波発生から約1ヶ月後、避難所になっていた高田一中の体育館で、市庁舎の屋上に避難し、助かった老父婦を筆者は取材していた。男性(当時74)は津波から難を逃れて、屋上で一晩過ごした。家は市役所のそば。そのおかげで助かったという。
「大きな地震があって、避難する前、用事があって出かけており、車の中でラジオを聞いていた。そしたら、釜石ではもう津波が来ている、とのことだった。そのため、『ここにも来る』と思った」
急いで家に帰り、避難所になっている「ふれあいセンター」に向かおうとしていると、すでに黒い波が見えていた、という。
「線路の手前に2階建ての建物があったが、それを超えていた」
結局、市庁舎に避難でき、屋上まで上がった。そこから見えるのは、市民会館、ふれあいセンター、スーパーだが、その屋根まで津波がきていた。男性と妻は助かったが、どこからともなく助けを求める声が聞こえた。しかし、助けようにもその手段はない。
「暗闇から、『助けて!』という声があちこちから聞こえた。誰がどこにいるのか見えない。どうしようもなかった」
市庁舎周辺は津波の遡上高は15.8メートルにも及んでいたのだ。
そのため、内陸かつ高台にあった学校給食センターに市災害対策本部を移動した。その後、100メートル離れた場所にユニットハウスの仮設庁舎を設置。さらに、5月、国道340号線沿いにプレハブの仮庁舎を完成させていた。
商工会は「高田小」案を推進
岩手県は津波対策の考え方を示している。頻度の高い津波(数十年~百数十年)に関しては、海岸堤防で、人命や財産、産業・経済活動、国土を守ることが目標だ。また、発生頻度は低いが、最大クラスの津波の場合は、住民の避難を軸に、土地利用、避難施設、防災施設などを組み合わせる方法で被害の減殺をはかるというものだ。これは岩手県のみならず、復興庁の考え方でもある。
中心部に近い海岸では、岩手県が整備する長さ2キロの防潮堤がほぼ完成している。高さは12.5メートル。震災前よりも7メートル高い。周辺は復興祈念公園として整備される予定だ。また、津波浸水エリアは10m前後のかさ上げをした。
高田小は震災で校舎の一階まで浸水した。高田小跡地案では、浸水エリアのため、市民には懸念の声がある。しかし、市としては、防潮堤が建設されたことやかさ上げ工事をしたために、「震災クラスの津波による浸水はない」として、安全性を強調していた。高田小の敷地は海岸線から約1.2キロ地点。旧市庁舎が約600メートルだっただけに、倍の距離になる。
陸前高田商工会の会長で、伊東文具店の社長・伊藤孝さんは、市街地の再建プロジェクトの企画・運営もしている。商工会では、中心市街地と新市庁舎とは近い距離にあることを望んで来た。12年、新たな中心市街地形成について復興計画をまとめた。その中で、市庁舎建設予定地は、「商業ゾーンの隣接地区に」と提言していた。また、16年11月には、市と市議会に対して、「新市役所庁舎に係る要望書」を提出した。
「市街地の活性化、経済効果など総合的に判断した結果、商工会として、高田小跡地案がいいと思っていた。場所によって中心市街地の活性化も変わるだろう。しかし、市議会で3分の2の賛同を得られなかった。市民に聞いてもだいたい(賛否は)半々かな」(伊東さん)
浸水域への建設に反対の声も
一方、市職員で二人の子どもを亡くした戸羽初枝さんは高田小跡地案に反対意見だ。発災翌日、避難所へ子どもたちを探しに行くと、たくさんの人がいた。安否確認のために窓口にいた市職員に訪ねたところ、「今私たちも屋上にいてやっと助け出されてここにいます。誰がどこにいるのかわかりません」と返って来た。戸羽さんは「ひややか」に感じたという。
「今ならわかる。あの職員さんは、死と隣り合わせの場所で命からがら助かっても、休むこと無く働かざるを得ない状況にあった。もし子どもたちが生きていたら、あの方々と同じ状況になっていただろう」
こうした経験がある戸羽さんはさらなる高台がよいという。
「津波被害の常襲地域のこの土地では、一夜にして壊滅状態になる低い浸水域へ庁舎があっては、職員が十分な市民へのケアはできない。高いところにあれば、そんな思いをせずに、遺族へのケアを考える余裕が生まれるかもしれない」
語り部をしている釘子明さんも高田小跡地案に反対だ。震災では市役所職員111人が亡くなり、市役所の機能は完全にストップした。だから市民は、災害時、自分たちで、避難所を立ち上げるしかなかった。
「市役所や病院は、災害の際、最後の市民の砦になる場所だ。だからこそ、安全な、孤立しない高台に作るべき。東日本大震災で、起こった悲劇を二度と起こさない。それが私たち生き残った者の使命だ。未来ある子供たちに、私たちと同じ思いをさせてはいけない」
津波などの災害から守れる安心・安全な場所を探せるのか、また、市街地との連動をどうしていくのか。市としては、悩ましい選択だ。もちろん、安全が第一だが、同時に、市民の利便性も求められる。市では、6月定例会で条例案の再提出に向けて準備を進めている。